「ごくろうさまあ」


 仕事帰り、顔も知らない老婆が、話し掛けてきた。

 え、なんで仕事帰りって、分かるんだろ!?

  (真っ昼間である)




 「雨、あがったわね。気持ちいいでしょ」


そのお婆さんが、暇潰しだったかどうかなんて、相手をみて話し掛けているかなんて、どうでもよかった。



 わたしが、この人の視界に入っているということだけで、うれしかった。


 こんなボロボロの人間を、人として、見てくれているんだと。


  1生分泣いてもまだ泣ける。 それが、流産。

 でも、この日の私はとくに出勤前まで、かなり泣きすぎてボロボロだった。

 この世のどこにも存在していなかった。


 もうすぐ終える。 そんな思いを無理やり振り払ってパリッとした制服に袖を通したけれど、顔に出すまいと必死だったけれど、それでもお客さんからは見えないだけで、やっぱり私、部分的にこの世から消えていたとおもう。




 わたしは涙を押し隠して、「あ、もう降らないんですかね、これ!?」 と咄嗟に、答えた。

 いつものくせで。



 こういうときは明るくポーカーフェイスである。


 老婆は笑って手を振りもう1度、「ごくろうさまね」 そう言った。










 わたしは生きている。



すごくすごく不思議だけれど生きている。


 ついさっきまで死を考えていたのに

 生きていたんだ。


 もしかしたら、白シャツに紺のボトムのありきたりな服装が、つい今しがた、老婆のところを訪れた保険レディにたまたま似ていただけかもしれない。

 あるいは、ほんとうにご近所のだれかと勘違いしたのかも ?!

 そんな事を考えたけれど、いずれにせよ私は口を利いた。このお婆さんの、笑顔に笑顔を返してた。