「きれいだねー」そう言うと、「きれいでしょ」 まる
で答えるかのように、誇り咲いた
葉桜になる、ほんの一瞬前の北の桜だった。
あらためて、これまで撮った9枚のエコー写真を見較べてみた。
はじめて気付いた。
あの、最も危なかった1週間で、わずかながらに0,1㎜ほど成長していて
彼の心身、そして性的暴力に耐えながらも
「ママ、ぼく、ちゃんと大きくなってるよ」 そう言っているようだった
まだ、間に合ったのだ。
あの時だったら。
泣く涙ものこっていなかった。
どれだけの力をふりしぼって、いったいこの子は生きようとしたのだ?
想像することは、自身が身を刻まれるより痛いことだった。
あらためて、ぜったいに、許せない。 許すものか。
もっと苦しみを与えようというのか。
この子がいなくなった先の人生を、わたしは大分前から、可能性という3文字の中から消去していた。
だからわたしは彼にそう、そのままを伝えた。
すると、「きみにとっての俺の存在が分かった。その程度だったんだね」 と、哀しみを感じさせない程度に目を泳がせた。
ただ、この桜みたさに来年の春も生きようと思ってしまう、その汚れた希望は今、最も疎ましい生命力だ