「伊万里」の語元は創世記の預言文言(創世記49・9~10)に起因する! | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

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日本の夜明け(建国始点)は、我が国最初に造語された地名【ゐまり】(IBASILH=イェバ・シローの語元数価358/創世記49・9~10カバラ数価が伊万里市の語元となる)に始まりました。

それは、紀元前1年(庚申)に極東列島に辿り着いた建国創建者(サドク系大祭司)が良質の黒曜石の産地を「ゐまり」(ミナトと同義語)と命名し、世界に向けた表玄関港(松浦郡の語元に起因する)と位置付けたからでした。その港を開いた人物はハテツミ(海神ワダツミは住吉氏族の祖)です。その人に仕えていた與止姫(肥前風土記逸文)が佐賀県の語元となった賢姫です。そしてその王の娘が豊玉姫(神武天皇の父方の祖母/母方の伯母)であり、伝説上の山幸彦(彦火火出見尊の后)の后でした~

何故、正月(元旦)に対し、年賀状に「オメデトウ」(芽出タイ)と書かれるのかと言えば、それはその昔の旧暦正月の名残です。つまり、旧暦正月は立春正月(現在の2月4日頃)であり、植物の芽が出る季節が巡って来た事を示唆する文言だからでした。

又、何故、正月前の大晦日(オオツゴモリ)に🎍角松が設置されるのかと言えば、それは1年循環に於ける四季の動きを、当時の暦の設定者は四角形図的(アセンダント=太陽の道の天体が昇ってくる上昇点)に考えていたからです。従って、冬の終りの角(翌日は立春の元旦に当る)で、立春正月を「始めと終り」の角で待つ(角松🎍)と言う事を示唆した物体として暦の設定者が設置した事に始まりました(年中行事)~😀

又、我が国では年末に「シメナワ」(閉め縄)を張る意味は、それは「新年365日」と「旧年365」との間に、少し時間の誤差(閏年に関連する)が生じます。それで、その隙間を「閉め引き塞ぐ」事で、その隙間から旧年の終えものが入らないように閉め引き塞ぐと定義し、設定されました。
★「あれ鬼モノお破るなら、空這う児(倭天使/3歳の稚児・天使)にて招き入れ、閉め引き渡しミソギなせ、鬼カミ縛る器物=閉め縄」(ホツマ12章)~

我が国ヤマト(日ノ本)民族としての歴史発祥始点地は、伊万里の腰岳から産出された良質黒曜石に起因します。それは、先ず筑紫(語元は身を尽くし生む国の意=当時は九州全体を指す呼称だった)の国造りに始りました。その国造りの王とは、有明海北西部(徐福上陸地域)を居住地としていた海人(アマ=ハデツミ王は魏志倭人伝に記す末廬国の祖/松浦の語元であり後の住吉氏族の祖でもある)の娘である豊玉姫を娶った山幸彦(後に言う彦ホホデミノ尊)です。その子孫タケヒトが後に言う神武天皇です~

因みに「ゐまり」(伊万里)の語元は、創世記49・9~10に記す「遂にはシロ(メシア)が来て国々の民は彼に従う」(そのフレーズ文言IBAΣΛH=イエバ.シロー)の秘儀数価「358」が、神武天皇即位元年設定方式(金印【漢委奴国王】授与年に関連す)となっています~

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