…【ΙΑΩ=ヤオ】(大阪府八尾市の名称)の語元に始まる日本建国史…より
◆(2017年11月4日作成ブログの複製/世界史)…
★…『古語拾遺』(コゴシュウイ)は「神代文字の存在」を記している…
…下部画像文面は、『古語拾遺』の著者「齋部廣成」の後裔(コウエイ)である「忌部政通」(インベマサミチ)著『神代巻口訣』(ジンダイカンクケツ)の一部分です。
…【神代文字】(ジンダイモジ)存在に対する否定者達(戦後の古代史系文献史学者達)は何の根拠も示す事が出来ないにも拘わらず、『古語拾遺』に記す或一文を用いて否定説の砦としている。然し、その一文の文言は、【ジンダイモジ】(神代文字)の存在を肯定する内容である。では何故、戦後(大東亜戦争後)に設定された日本史の中の古代史分野にあっては、【神代文字】の存在を否定しなければならなかったのかと言えば、それは、戦後(昭和20年=1945年終戦・大東亜戦争後)の我が国は、アメリカ筆頭による連合国政策(GHQ・政策)によって、【日本・国学者】(江戸後期の国学者/平田篤胤に始まる)達は我が国の教育現場から排除されたからである。それで、戦後から現在にあっては、【日本建国・創建史学】的な国学は在りません。つまり、戦後に設定された「日本・歴史学」(古代史を含む)に対しては、【GHQ】(連合国軍最高司令官総司令部)政策の一貫として、【日本国の弱体化政策】(ウォ-・ギルト・インフォメ-ション・プログラム)が行われたからである。従って、我が国の古代史(国学)に詳しい人達は排除され、尚、【日本神話】も学校の学問から削除された。そして、間違った「日本・古代史観」が、学校の授業を通じ若い人達に植え付けられる事となり、現在(蔓延)に至っている。
…ちなみに、現在に言う【国学】とは、現実的には【国語学】(言語学や文法等の学問)の事。それも奈良時代頃(漢字時代)以降の言語を研究する学問である。従って、「和銅3年=AD710年」頃、以前の言語に付いては全く解らないとするのが現状である。そもそも、現在に於ける我が国の【言語学】の基礎は、『万葉集』(五・七調和の歌を基本とする)を構成する【万葉仮名】(1文字1音の訓読を基本とする)である。尚、その【万葉仮名】とは、元来【1文字1音・方式】の【カミ名・文字】(神代文字/ジンダイ文字)文化時代の【ワカ=和歌】(此の語元はワカ姫が考案した事に由来する)と言う女性(ヒルコ姫=ワカ姫)の御名が、その語元(語源の意ではありません)であり起元でもある。
…【ワカ】の語元は、【ワカ・姫】(天照大神の長女=ヒル子)の御名に起因する。此れらの事が解ったのは、【ホツマツタヱ】(秀真伝)と言う全文面が【神代(ジンダイ)文字】で書かれていた文書が再発見(昭和41年・1966年)されたからである。然し、現在に至っても、「知らぬは亭主(戦後・我が国のアカデミ-的文献史学者達)ばかりなり」と言う事に成っている。
…『古語拾遺』の著者である「齋部廣成」の後裔「忌部政通」は…《【神代文字】は【象形文字】である》…として、【神代巻口訣】文書を用い、その【象形文字】の1つ、つまり、【ホツマ文字】(神代文字)の「サ」(円形=○に横一線の形状)の字を確と明記したのである。
…「忌部政通」(インベマサミチ)が言う処の、その【象形文字=神代文字】(下部画像/○に横一記号)は、『神代巻口訣』文書を以て説明すれば、「右二行目、上から二番目」に位置する円形状文字 、即ち 「円○に横一線の記号文字」の事です。此の「ジンダイ(神代)文字」は、【秀真(ホツマ)文字の【サ】と読む。そして、此の文字(サ)の語意が意味する処は、「朝、東の水平線から大陽が南天高く立ち上がる状態」を表し、4方位の【南】(昼の語意に対応)をも意味表す言語文字である。
(下部の画像は「忌部政通」著【神代巻口訣】文書の一部分)
…次ぎ、下部画像の文言文字は…ホツマ文字の母音記号【O・冂・△・弓・囗】と、子音記号、即ち、【Υ】(・=ヨッド)の字を分解した形状(I/T/Χ/V)を合体(組み合わせ)させて考案された文字を用いて書かれている…
… 【神代巻口訣】に記入された「○に横一線入り記号文字」の形は、下部の文字フォントの中に在ります。つまり、画像文字「右2行目。上から5番目」に位置する円記号「○に横一線入り」状の文字の事で、【サ)と読む。
★…上段の右から左へ読むと…
一段目左から~
…ヒコオヌフアウエヲヤ、
…ミモユノワホエ弓(弓・形記号は水を意味する母音記号)タテ、
…ル(ろ/?・変態文字)イスカン(ん=変態文字)ナヰラセ、
…ロヰチシハキ クマ(ま=変態文字)、
…ネノリレケムツサソ」(45文字/文字順不揃い)。
…此の記号文字の配列的文言には意味はあません。此の画像文字は、或【文字フォント・サイト】にあったから貼り付けたもの。つまり、此の【秀真文字】(ホツマ文字)…【サ】の形状を紹介する為に貼り付けたものです…元来の【ホツマ文字】と、其の文字配列方式を見ようと思えば、「Google・検索」(ホツマ文字で検索/下の画像=五・七調 アワのウタ)で見る事が出来ます。
★…上、右側画像(○に横一)文字は、ホツマ文字の【サ】と読む…
★…「齋部廣成」著の『古語拾遺』(神代文字の存在の肯定/筆者説)に関しては、次ぎのURL… http://erusaremu4654.jugem.jp/?eid=9 ← (ドラッグ・クリックして検索)…に記しています。
…『古語拾遺』文中の文言(【日ノ本・カミ代物語】より抜粋す)…「天日鷲神與津咋見神穀木種殖之 以作白和幣 是木綿也 已上二物 一夜蕃茂也 令天羽槌雄神 「倭文遠祖也 織文布 令天棚機姫神織神衣 所謂和衣/古語=爾伎多倍」(後文略す)。
…上記、漢文の訓読(原文に近い表記)を記す…「あめのひわしのかみと、つくひみのかみとをして、かぢのきをうえて、しらにきて/これはゆふなり/かみのふたつものは、ひとよにおいしげれり/をつくらしむ。あめのはづちのかみ/しとりがえんそなり/をして、しつをおらしむ/。あめたなばたつひめのかみ(上=God)をしてかむみそをおらしむ。いわゆるにぎたえ/古語=ニギタエと言う」(日神の石窟幽居の部分に記るされている)…ちなみに「木綿や麻で織った布】を「アラタヘ」(日神の石窟幽意の条)と記す。
…此の文言中の「倭文遠祖」(天羽槌雄神)と「機文布」。つまり、此の文面に言う「倭文/文布」が意味する処は、我が国に於ける【日ノ本・カミ代物語】(自説=此の時代はAD1世紀~4世紀中頃迄の物語に当る)時代には、既に【倭・文字】(ホツマ文字)と、その文字を書く【織り布】(ニギタエ)が在ったと言う事を記している。つまり元を正せば、『古語拾遺』とは、【ホツマツタヱ】(秀真伝)と言う文書を元典としていて、尚、その後の出来事を集約した内容なのである。
…早い話が、読んで字の如く…「当時(カミ代・時代)、我が国の公式文書」…としては、つまり、漢字を導入する以前(AD5世紀中頃より以前)にあって、我が国(ヤマト国家)には既に独自の【カミ名・文字】(ジンダイ文字=神代文字)が存在していた。そして、その文字は【ニギタエ】(木綿&麻布)を書く材料として用い、文字を書いていた」…と言う事である。
…従来(戦後)に言う『古語拾遺』の冒頭に記す此の文言、即ち…「 蓋聞 上古之世 未有文字」(ケダシキク・ジョウコノヨ・モジアラズ )…に言う…「未有文字」とは、「我が国(ヤマト=日ノ本国)には未だ漢字が導入されてなかった」…と言う意味である。「そして…「書契より以来」(ショケイヨリコノカタ)とは、「カミ代文字で書かれた文書が出来た時から」(BC1世紀終り頃から)と言う意味である。
…此の『古語拾遺』文言…「貴賤老少、口々に相伝へ、前言往行、存して忘れずと聞けり。書契より以来、古を語る事を好まず」(仮名訳=キセンロウショウ、クチグチニアイツタエ、ゼンゲンオウコウ、ゾンシテワスレズ。ショケイヨリコノカタ、イニシエヲカタルコトヲコノマズ)…と記す部分の【書契】(ショケイ)の語意は、イスラエルのカミ(Yahweh=ヤハウェ)との契約の意に関連し、我が【日ノ本国】(ヤマト)に於ける【契約文書】(日本人の為の聖書)の意を意味表す。次の…【書契より以来(コノカタ)、古(イニシエ)を語る事を好まず】とは、「ホツマツタヱ」文書の完成(4世紀中頃)以後、それ以前(イニシエ/ユダヤ教時代)に於ける出来事等の話は避けるように成った。
…つまり、我が日本の国に…「漢字導入以前は神代文字が無かった」…と、今でも言い張る、その戦後(大東亜戦争後)に於ける我が国の文献史学者達(アカデミ-的・古代史系史学者達)は、『古語拾遺』の読み方を全く知らない事、然りである。その証拠の1つが、『古語拾遺』に記す……《天羽槌雄神(シトリ=倭文が遠祖)をして、しつ(文布)を織らしむ》……の記述部分である。此れは読んで字の如く…「文書を書く為の織り布」(文布/日神の石窟幽居の部分に記す)の意である。つまり、倭語(1文字1音/訓読の神代文字言語)で書かれた文言に対し、漢字に書き換える時、その語意を解りやすくする為の当て字を付すにあっては、その意味(語意)を重視した漢字を以て当て字した。それがつまり【文布】(倭語/訓読=しつ)である。要約すれば、我が国、即ち【日ノ本・カミ代物語】(1世紀~4世紀中頃)時代にあっては、既に、【カミ名・文字】(カナ・文字/仮名の語元)が存在していたと言う事を、「齋部廣成」(インベヒロナリ)は、『古語拾遺』文書の作成を以て、確と、明記したと言う事である。
…然し、戦後(大東亜戦争後)に於ける【GHQ・連合軍政策】(日本国の力を削ぐ政策)にのっとり、戦後の我が国の古代史系的な史学者達(江戸後期の国学に対しては素人に等しい人達)は、「我が国には神代文字はなかった」と言う説を唱えるしか方法がなかったのである。
…以下【追記】(平成29年11月11日/土曜)…図表(神代巻口訣の一部)の【追記】と解説…
…『古語拾遺』(齋部廣成・著)の此処の文面は【ホツマツタヱ】(秀真伝)文書を底本として書かれている。その2つ目の証拠となるのが、齋部廣成の『古語拾遺』に記す処の…「(素戔嗚の追放)…阿波礼 阿那於茂志呂 阿那多能志 阿那佐夜憩飫」(仮名訳…アハレ、アナヲモシロ、アナタノシ、アナサヤケ、ヲケ)と記す部分である。此処の部分は【ホツマツタヱ】(秀真伝)の【第7章…ノコシフミ・サガヲタツアヤ】(№7/遺文・性質ヲ絶の章)の部分に当る。その【ホツマツタヱ】(秀真伝)の此処の部分は、天の岩戸から【ウヒルキ】(天照大神の幼名)が現れ…「アハレ、アナヲモシロ(面白)、アナタノシ、アナサヤケヲケ、サヤケヲケ、アハレヲモシロ、サヤケヲケ、アナタノシ」と言った事に関連し、始めて此処に【天照大神】(ヲモシロ=人の顔の表面を照らす意味)と言う呼称(名称)が成立した事を記しいる。
…然し、何はともあれ…『古語拾遺』(齋部廣成)に記す…「蓋聞 上古之世 未有文字」( ケダシキク・ジョウコノヨ・モジアラズ )…と言う文言に対し、我が国の戦後(大東亜戦争後)に於ける文献史学者達が…「我が日本の国には漢字が導入される迄は文字(神代文字)は無かった」(証拠無し/何の根拠も示す事出来てない)…等と言う愚説(グウ説/オロカナな説)は、本末転倒である。
…ちなみに、「文献史学者」と言うのは、文献で在れば、どのような文献であれ選り好みせずに検証するのが仕事である。従って…「文献を選り好みする我が国の戦後(大東亜戦争後)に於ける文献史学者学者」…は、既に、此の時点で「文献史学者」とは言えません。
…
…此の続きは後日(別ブログ)と致します…
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