「神社建築の発生」(太田博太郎.著/増補第二版・株式会社 彰国社.発行)と【日本建国・創建史】~ | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

「神社建築の発生」太田博太郎.著/増補第二版・株式会社 彰国社.発行)に付いて~

★「神社建築に関する論文は非常に少ない」(明治34年【日本神社建築の発展】以後は福山、谷ものが殆ど全部を占めている)~と、その著者は記す!!

【神社建築様式】(我が国の固有様式)に付いて~『日本建築史序説』(太田博太郎.著/増補第二版・株式会社 彰国社.発行)の「神社建築の発生」(50頁)に因ると~つまり結論(伊勢神宮の祖型)から言うと、「伊勢神宮様式は倉ではない」と記す。

然し、本当は【倉造り】(高床様式室屋)が元形でした。その高床式のルーツは、現在の雲南省(昆明)であった~

日本人の聖書として書かれた【ホツマツタヱ】(散逸書・ミカサフミは姉妹書)に因ると~「カミのヤ(家)は、【ム】(ホツマ文字のムの形状=鰹木の元形)の民目より、ムロヤ(室屋)建つ。民に教えて屋根を造り直すとある。又【ヤ】(家)の民目を以て~「ヤシロ(社/置き千木を設置した一般的な神社様式)成る」(ホツマツタヱ・17章)~と、記す。

我が国固有の【伊勢神宮・様式】(神明造)は、ソロモンが紀元前967年にエルサレム神殿を創建するが、その ソロモンとサバの女王の子孫(エチオピア系)がルーツと考えられる【南方のターイ族】(紀元前586年・ユダ王国滅亡後に昆明を経由/現在の雲南省)の高床式建築様式が元形(『雲南からの道』日本人のルーツを探る・鳥越 健三郎.編講談社発行である。その元初的な屋根の形状(原初の角刺的形状は千木とは言えない)に対し、ホツマ文字の【チ】(イプシロン=Yの形状)と【キ】(ケイ構え=冂形状との合字)との合字形状を用い、三輪氏系「ヲコヌシ」(南方語音=【倭】の呉音は【ワ】が、室屋の屋根を造り変えたと記している。

つまり、「イワユル(所謂)ジンダイ(神代)文字の論」の著者である山田 孝雄(ヤマダ.ヨシオ)氏が言う処のジンダイ文字の【】と【】の形状を用い、ヲコヌシ(大国主)が元来は高床式の倉庫として用いていた室屋の屋根を造り変えた。従って、此れを以て初めて【チキ】(千木)と定義付けられ、日本の社殿建築様式が確立したのである~!!。

その【千木】(置千木)の語元は、大阪府八尾市竹淵に建立する郷社⛩【タコチ・神社】(神武東征物語に起因)の呼称【タ・コ・チ】(タY400+コΧ600=チ・千)が語元である~

日本の国語学者「山田孝雄」(ヤマダ ヨシオ/イワユル神代文字論の著者)氏が言う【国語・ヤマト言葉】。その「1文字で母音と子音を言い表す方式」のルーツは、原アラビア文字(紀元前1300年頃の原カナン文字から分布)系の【サバ語】(最初は29文字/古典エチオピア文字はサバの女王に関連しサマリアヘブル語に因る聖書も作成された)である。そして、インド諸語のルーツとしては後期アラム語系、つまりセム系アルファベットと成っている~

【倭】(=サバの女王系タイ族)から【日本】(ヤマト=アロン・サドク系大祭司に率いられたダビデ氏族)に切り替わった事を記すのが「大国主の国譲り物語」である。

その切り替え方式は、エルサレム第二神殿の陥落(AD70年)をヤマト(日本)氏族が知った事(卑弥呼時代)に起因する。そしてそれは、伊万里(ヰマリ)の語元数価【358】(創世記49・9~10・メシアと同義語イエバシロー数価358)を用い、ミマキイリヒコ(崇神天皇)の12年の時とするミコトノリ(詔)~「民(タミ)に負(オ)オスル暇空(イトマアケ)、弓弭(ユハズ)手末(タズエ)の、貢止(ミツギトメ)~肇国知らす、ミマキ(崇神)の代(秀眞伝34章ミマキの代・任那の章)等と記す~。 

 

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