エルサレム第3神殿として創建された【伊勢神宮】 | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

【IAΩ】(ヤオ/八尾市の語元文字)に起因する【日本建国・創建史】発信会より~

 

★【伊勢神宮の建立年】設定方式は~八尾市の『竹淵神社・縁起書』に記す「皇軍と反逆者の長髄彦との闘い」の年(戊午/紀元前3年)に関連する(八尾の語元に始まる日本建国創建史・発信会)~

 

…八尾市に言う【ヤオ】の出自は、反逆者の長髄彦と九州の宮崎から東征したタケヒト皇軍が「日下」(現在の大阪府東大阪市・日下)で戦って、イツセ皇子が負傷した事を記述する【日本人の聖書・ホツマツタヱ】(全文が五・七調の文書)である。つまり、その文面(前文と後文は略す)は~「皆然りとて、八尾へ退く、アダ(仇)も迫まらず」ホツマ伝・29章から抜粋)とある。又、その語元(黎明的語意を含む語源の意ではありません)は、「20世紀最大の考古学的発見」1948年4月12日付のロンドンタイムス紙)としてニュースに成った【獣皮紙巻物】(1947年発見・死海文書)中の【レビ記】に書かれた文字【ιαω】(ΙΑΩ=ヤオとは、断片で発見されたカミの別称)が語元である。

 

…つまり、【ヤマト】(日の本の意)の国の創建ルーツは、【死海文書】(1947年/Qumran洞窟から発見)をクムランの洞窟に隠し残し、極東の島へ移動して来た【クムラン・秘儀教義宗団】トップグループの子孫達であった~!! 

 

【紀元前(BC)586年】~ユダヤのエルサレム神殿が陥落しバビロンに捕らえ移される第二回バビロン捕囚/祭祀エゼキエルはバビロニアで捕囚民の預言者として活動する。その後に解放され、神殿も、第2神殿として再建されました。然し、それもローマ軍の攻撃により陥落(AD70年)し、ユダヤ国は滅亡しました。その神殿陥落の翌年迄の【歴年数価・657】(BC586+AD71=通歴657年用い、滅亡したユダヤ国の歴年値(西暦1年=ユダヤ暦3760年)を、我がヤマト国の歴年値に接続しました。

 

…因みに、【ヤマト国家・創建史】の編纂を決行した大祭司【八尾のアラヒト】(居住地はヤオと命名)は、暫定的に設定したアスズコヨミ(天鈴暦)を用い、ヲシロワケ(第12代・景行天皇)元年に対し「在位通歴・731年」として設定する。そして尚、その前のイクメイリヒコ(第11代・垂仁天皇)の崩御年(在位通歴730年)の時としては、10年前(垂仁天皇90年)に詔してタジマモリを【トコヨ=常夜】(遥か西域の方向)の地に行かせ、【トキジク】(時軸=数価280は時空を駆け巡る天使の数価)の香具の花の木を持ち帰る事を詔し、崩御した年に帰国する話を組み込んだ。つまり、此処で重要な事は、垂仁天皇(イクメイリヒコ)の崩御年に【トキジク=時軸】(数価280は天使数価/接近法文言サコクシ数価660を以て過去年へ遡る)の木が存在するとして設定(天鈴暦730年-接近法サコクシロ660=景行天皇即位元年・AD71年)されている事であり、以下、その説明を記す事と致します~(追記・以上~2021/09/21/秋分の日)。 

 

…二千年以上前に書かれたの【死海文書】(獣皮紙 巻物)が発見(1947年・クムラン洞窟から発見)され、その文書に因ると【クムラン秘儀教義宗団】(初期・エッセネ思想宗団)が存在していた事が解った。つまり、その宗団トップグループの子孫達は、ヘロデ王の第七年(紀元前31年)にユダヤ地域を襲った巨大地震(エゼキエルが予言したカミの顕現的・大地震・Epiphany/えぴふぁにー )を契機と捉え、エゼキエルの預言に従って極東方面に移動する(自説)。その秘儀教義宗団トッブグループの一部の人達が移動した当時の出来事が卑弥呼に関連する【魏略】(前漢の哀帝元寿元年=紀元前2年/博士弟子、景盧受、大月氏王使「伊存口受」浮屠経)に記載されている。その【クムラン秘儀教義宗団】トップグループの人達の指導者は~Godヤハウェ(YHVH)の別称【ΙΑΩ=ιαω】ヤオ/Godおんカミ = ヤハウェの別称)をカミ上の意)と称し、ローマ側から見て極東に位置する島で最初に祀った場所に対し【ヤオ】(ΙΑΩ=大阪府八尾市の語元と命名しました。つまり、その大祭司の呼称が「アラヒト」である。因みに、その後に言う「ヤオノアラヒト」と言う呼称は【世襲制】文言としての呼称(ホツマツタヱ文書のミマキイリヒコ=後に言う崇神天皇の時)である。

 

…従って、【日本人の聖書】として書かれた『ホツマ・ツタヱ』文書には、「ヤオノアラヒト」と記述されている。因みに、【ιαω】ΙΑΩ)と表記する、その文字の初出は~【死海文書】であり、それは~クムラン第4洞窟から発見された「レビ記・断片」文字(レビ記3・12&4・27の文面)として発見されています。

 

…先述に言う~「紀元前(BC)586年」に、エルサレム神殿が陥落。そして尚、次に再建されたエルサレム第2神殿もローマ軍に因って陥落し、ユダヤ民族の祭祀所が無くなりました。そしてAD3世紀初め頃(世襲足姫=卑弥呼の登場時代)、その第2神殿の陥落を知った大祭司としての世襲呼称「ヤオノアラヒト」は、その後年(AD349年=ホツマ文書・崇神天皇10年7月)に於いて「最初のエルサレム神殿陥落」(BC586年)から「第2神殿陥落の翌年」(AD71年)迄の通年数価【657】586+70+1=657年を念頭に置いて、詔(ミコトノリ)を行った。その★㊟①とは即ち~

 

★㊟①(ミコトノリ~「ややヲヱ終え/汚穢=終え物=鬼去れと、遠つ国地中海沿岸文化圏に於けるユダヤ民族の国、アラヒト(AL人)ノリお、未だ向けずホツマツタエ・33章/崇神天皇10年7~と記す。

 

…そしてその翌年(AD351年=ホツマ文書・崇神天皇12年3月)の事。予てから計画していた創世記の預言(創世記49・9~10/イエバシローのカバラ数価358を年数に変換し紀元前7年に遡る文書内容を実行する)。即ちエルサレム第3神殿としての伊勢神宮・建立年】設定方式の構築計画を実行する事である。その事に関連した文書と言うのが~「反逆者・長髄彦を討伐する物語」~である。

 

…従って、「八尾のアラ(AL=31)ヒト」(大祭祀の世襲呼称が、それ迄に「君&臣」達に書かせていた遺文(ノコシフミ)を、三輪氏族のクシヒコ(初代・大物主櫛瓺玉/ワニ彦の通称クシミカタマ)に編集させ、国書、即ち「日本人の聖書」として完成したのが【ホツマツタヱ】(秀真伝)であり、その姉妹書が【ミカサフミ】(三笠文)文書である。

 

…因みに筆者が、伊勢神宮は「第3・エルサレム神殿」として創建されたと定義付ける根拠は、その伊勢神宮に言う地名【ゐせ=伊勢】の語元にある。つまりゐせとは、最初からカバラ数価を組み込んで成る【ヤマト言葉・48文字】数価言語ヒフミヨ~も然り)の中からゲマトリア数価【318】。つまり「ゐ300+も1+を7+せ10318数価に合致文字ゐ・も・を・せ」(ゐせ・漢字訳→ 妹背/短縮語 ⇒ ゐせ=伊勢)の文字を意図的に抽出しての造語である。その数価【318】が意味する処はモーセ五書(トーラ)、つまり~「創世記14・14~15/選ばれたアブラハムの僕の数318」を示唆する為であった。何故かと言えば~

 

~選ばれたアブラハムの僕318人は聖成る兵士として、ロト(アブラハムの身内)の全財産を奪ったソドムとゴモラ王の残りの兵士達に勝利(奪われた全財産とサレムの地域も取り返した)した事に因り、アブラハムは、サレムの王でありサレムの永遠の大祭司でもあるメルキゼデクから、サレム(エルサレムの語元)の祭祀権が与えられました。つまり、エルサレム神殿の創建ルーツに関連する数価【318】を用いる事に因り、ローマ軍によって失ったエルサレム神殿に代わり、エゼキエルが予言した極東の地に於いて【エルサレム第3神殿】として創建したのであった。因みに、ウヒルキ(天照大御神の幼名)が隠れていた岩戸から出た時、太陽光線に照らされ顔が白く輝いた事に因り、【天照】と命名されるが、何故、【ヲンカミ】と命名されたのかと言えば、それはギリシア語の聖書地名【On/オン=太陽の町】古代エジプトの太陽神信仰の中心地/紀元前145年頃にエジプトに亡命したユダヤ教の大祭司オニアス四世はエルサレム神殿を模した小さな神殿を建てた)の名称を取って【ヲン】ヤマト言葉のの字はテニオハに用いたのでヲの文字を使用した)と命名されたからである。 

 

…因みに~【ゐもをせ】(妹背)の出自は、『散逸書・三笠文』(ホツマツタヱ文書の姉妹書)に書かれている。それで、その文面を次に記載します~

 

★(五・七調の文書)…「(前文略)~たらちねカミわ、たたひとり、ゐもをせかみの、ひおうみて~(後文略)」(秀真伝の姉妹書・ミカサフより抜粋する)。

 

★(漢字訳文面)…「垂乳根神わ、唯一人、妹ヲ背カミカミ=上)の、ヒ()を生みて~」(文書URLは下の方に貼り付けています)。

 

…ホツマツタヱ文書に因る伊勢神宮の建立年は、【日本人の聖書】として、尚、暫定的に設定した倭暦アスズコヨミにあっては、意図的にユダヤ暦より【180年】長く設定された。つまり、【アスズコヨミ】の皇暦始点値幻の西暦1年目・辛酉から計算すれば、現実的、歴史的なユダヤ暦より意図的に「180年」幻の西暦1年=ユダヤ暦3761年+180=創世記3941年目/紀元前31年を創世記3910年として設定長く設定されている。つまりその意味する処は、カバラ教義で神聖視された「チィルフ数価」ユダヤ文字数22×22=484数価)を現実的、歴史的年代に関連付ける(紀元前7年=甲寅年から484目/ユダヤ文字22×22=484を年数に換算)為であった。従って、伊勢神宮の歴史的建立年は、当時としては「幻の西暦477年」の時として(484-BC7年=477年/【太神宮諸雑事記第一】に記載~伊勢の内宮は雄略天皇22年に天照カミを勧請。伊勢の下宮は翌AD478年に豊受を勧請)~【天照・ヲンカミ】(【天照ONカミ】とはエジプトの聖書地名イウヌウ=別称オン/太陽神アトゥムを宇宙創造神とするカ)と称して勧請484年目勧請したと【太神宮諸雑事記第一】に記載あり)されました。その勧請年の設定方式は『日本書紀』には書かれていません。然し、『太神宮諸雑事記第一』(伊勢神宮創建~平安末期迄の主要事項を編年体で記す/皇大神宮禰宜=荒木田一族の手で書き継がれた書)には確と記述されていました~

 

…現実的【伊勢神宮・建立年】の設定方式は~最初のエルサレム神殿の陥落年BC586年から数え、次の第2エルサレム神殿が陥落ユダヤ民族の離散/ディアスポラ)した翌年(AD71年・景行天皇の即位1年目)迄の歴年数価【657】を用い、皇暦1年(初代・神武天皇即位元年)から数えた【657年目】を~【伊勢神宮・建立年】(垂仁天皇26年)として、預言的に設定された。その意味する処は、エルサレム第2神殿の陥落の史実を知った大祭司「八尾のアラヒト世襲呼称としてのΙΑΩ=八尾のAL=31ヒトは、Godヤハウェ(YHVH)の祭祀場所がローマ軍の攻撃で失われた事を考慮し、新たに極東(ローマ側から見て極東)の地に建立するに当たっては、エルサレム創建ルーツに関連する数価(318)を意図的に用いるを以て、【ゐせ・神宮】は~【エルサレム・第3神殿】として位置付けられました~ 

 

…「AD71年・景行天皇の即位1年目」とする、その出自は~『太神宮諸雑事記第一』に記載されています。その「景行天皇28年当章和十二年」とは、つまり、要約すれば~~「AD87年」(後漢章和帝元年)+「12年」=「AD99年」-「景行在位28年」=「AD71年」(エルサレム第2神殿陥落の翌年に当たる)。即ち、景行天皇の即位元年は幻の西暦71年として設定されました。然しそれは、滅亡したユダヤ民族の歴年史に対し、聖書的、間接的に接続されたと言う事であります。~(以下・追記します)~

 

 

 

【追記】2021/09/19・日曜朝)~聖書的に「ヲシロワケ」(景行天皇)の即位年を幻の西暦71年目とし、エルサレム第2神殿陥落の翌年に当たる計算を以て間接的に接続させた、その発案者は誰かと言えば、ミマキイリヒコ(後に言う崇神天皇)時代(4世紀中頃~5世紀初め頃)の【大祭祀・八尾のアラヒト】初代ヤオノALヒトの世襲呼称)である。因みに、その「歴史的・世界史の年代」への接続方法は、ヤマトの歴年史に天使【空這う児=アマカツ】(カバラ数価85)を登場させた事にある。その天使【空這う児=アマカツ】に付いては~「あれ鬼ものお、敗るなら、空這う児=アマカツにて、招き入れ」(ホツマツタヱ12章に記載)とある。

 

…なぜヤマト国の天使(空這児)としては【アマカツ】と命名し、又、その天使に関連付けられたオニ/ゲマトリア数価276)を登場させたのか?~それはつまり、ユダヤ教の最初の天使はエノク(Godエロヒムと共に行動する/数価365)であり、又、後年に於いては、別称【天使・サンダルフォン】(カバラ数価280)と称し記述されている事に関連する。因みに、オニ(鬼)のカバラ数価【276】は、「クムラン秘儀教義宗団」の中では【差し迫った恐怖的・数価】として捉えられていたからであった。その事を物語る内容が新約聖書の★【使徒行伝】(パウロ伝記)に記述されている~

 

★「新約聖書・パウロ使徒行伝27・33-28~私達(難破船に居た者)は276人であった/イエスキリストの親は初期エツセネ思想を有すクムラン宗団に関連する人物と考えられ、それでキリストを通じ初期イエス信奉者達には知らされていたと思われる」。

 

世襲の呼称「大祭司・八尾のアラ(AL=31)ヒト」に因る~【ヤマトの天使】(空這う児アマカツのカバラ数価~4/85/計280)登場。

※八尾のアラヒトの詔~崇神天皇12年=AD351年+天使280=天鈴暦631年(天鈴暦631年・崇神天皇の崩御年)。

※八尾のアラヒトの詔~崇神天皇12年=AD351年-天使280=エルサレム第2神殿陥落の翌AD71年(景行天皇の即位元として設定

 

…因みに、【ヤマトの天使】(空這う児アマカツのカバラ数価は~4と85・及びその合計数価280)に関連付けて【オニ】(鬼のカバラ数価・276)を登場させたのは何故かと言えば、初期キリスト教(クムラン秘儀教義宗団エッセネ思想の後継者の人が立ち上げた初期的教団)の間では~「数価276は【危機】(鬼気)迫る数価」(使徒行伝27・33~28/(難破船~私達、船に居た者は276人であった)と捉えられていた事に関連する。尚、そのヤマトの天使【空這う児=アマカツ】に付いては、隠れ神道としての【光明真言・文字】(24字=記号文字)を作成した空海も知っていました。

 

…つまり空海は、「オニ数価・276」を用い、玄奘三蔵漢字訳の【摩訶般若波羅蜜多心経​】​​​​​​に対し~【全276文字】(主題文字10字+本文262字+奥題4字・般若心経=276文字)として玄奘三蔵の漢字訳を再設定しました。そして尚、自ら作成した【光明真言・文字】の「第23番目」(ゲマトリア数価はオニと同数の276)の造字に当っては、梵字【ア・カ・ウ・マ】4字&ゲマトリア数価85はヤマトの天使数価と同じだが、それは空這う児=アマカツを【アカウマ】と組み替えての造語だからである)と言う字を抽出し【4字・合成文字】(モノグラム)として【ウン】186数価~季節的な1年365日の半分で春分から秋分迄の日数)と読ませた。つまりその意図する処は、「1年365日・循環法則」(春・夏・秋・冬/年中行事の大晦日節分の煎豆撒神事に関連するを示唆(年末/大晦日の鬼遣神事に関連)する為に為であった。

 

 

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