『ホツマツタヱ』(秀真伝) | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

 …「日本語の始まりを解明しました」…

 

…八尾に始まる【日本建国・創建史】…

【日本建国思想値・図】(平成30年=2018/11月19日完成)

 

 

…日本語の先祖【ヤマト・言葉】は、ゼロ(Zero/無)の状態(紀元前31年以前迄)から【テニオハ】(日本特有の格助詞四語/日本語の基礎)が設定され、「日の本・思想」(世界で最初の日の出地域の意)を定義付けるゲマトリア(文字&数値転換・隠語解読方式)数値単語★【ミコト】が造語されました。

 

★…【ミコト】…とは、モーセ五書の創世記の意とするヘブル語「Bereshith」(ベラシト)のゲマトリア「3910」数値に対し、「ヤマト数値・言語」で言い表された造語(単語)であった。そして、日本国家としての創建は、八尾(大阪府)を居住地としたサドク系大祭司(オニアス氏族)による「ミコトノリ」(詔)を以て創建されました。 

 

…「日ノ本」の元義は太陽にあるが、ヤマト(日本)国家思想としては「1日=24時間」や、四季循環の基本「1年=365日」の始点値を意味表す日時の【日】の意として定義された。従って、最初の国称は【ホツマ・クニ】(秀真国/1年365日に関連する)と命名されました。此の公的証明と成るのが国史大系(1)『日本書紀』の「★神武天皇・31年条」である。

 

★…「神武天皇31年条」…によると、「姸哉(アナニヤ)乎國之獲矣。姸哉、此云鞅奈珥夜。雖內木錦之眞迮國、猶如蜻蛉(トンボ)之臀呫焉(トナメ)。由是、始有秋津洲(アキツシマ)之號也。昔、伊弉諾(イザナキ)尊目、此國曰、日本者浦安國、細戈千足國、磯輪上秀眞國」(此伝袍圖莽句爾=此れ言うホツマ国)。と記す。

 

…「ホツマ・クニ」(秀真・国)の歴史書として、尚、【日本人の聖書】(Bible/バイブル)としての『ホツマ・ツタヱ』(秀真・伝)文書が、戦後(大東亜戦争終結後)の昭和41年に、松本義(ヨシ)之助氏の尽力によって再発見されました。そのホツマの研究結果、『日本書紀』の景行天皇迄は、「ホツマ・ツタヱ」文面を底本として書かれていた事が解明されました。ちなみに、その立役者は聖徳太子(八耳王・厩戸皇子)であった。

 

…厩戸皇子が太子に成った頃迄は【ホツマ】文書は隠されていた。此の事に気が付いた太子は、部下の小野妹子と秦河勝に命じ、隠された春日氏族文書「ミカサ・フミ」は小野妹子が枚岡宮(東大阪市)から、又、泡輪宮(四国)からは三輪氏族の「ホツマ・ツタヱ」文書(大物主・文書)を秦河勝に持ち帰らせた。そして、此の双方のカミ代文字文書に対し漢字を用いて編纂し、『先代旧事本紀大成経』(72巻本)を完成(推古女帝30年=AD622年3月/太子薨・2年後)させました。

 

…その後年、大成経の旧辞等を編纂し作成されたのが逸書【日本紀】(ニホンギ)である。従って、【日本紀】の景行天皇迄は、ホツマ文書を底本として書かれていたと言う事であり聖徳太子の偉業に拠ること大であった。

 

…現存『日本書紀』(国史大系1)とは、元正女帝(第44代・天皇)に奏上(養老四年=720年)された【日本紀】の下書き文書である。つまり、完成(清書)本が奏上された翌年(721年)、早速「日本紀・第一回講筵」が行われ、此の【講筵】(コウエン)にあっては、奏上されたばかりの【日本紀】の下書き文書がテキストとして用いられました。そして、それ以降に開催された講例(宮中行事)時に於いても、最初の【講筵】時に用いられた下書き文書(写本)が随時使用される事となる。そして時を経て、その下書き文書は、明治30年(1897)から行われた国史大系(経済雑誌社)に取り込まれ、それは、(№1)『日本書紀』と題し刊行され、現在に至っています。

 

…【日本語】の起元(起源の意ではありません)は、古代ギリシアのイオニア式ゲマトリア数値(図表参照)の「1191」を有す「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン」(ダニエル書5・25)文言に起因する。その【日ノ本】の語意は、紀元前1世紀後半頃のイスラエルの方から見て、世界最初の「1日」&「1年・循環始点地」(陽=日時が立つ始点地域)を意味表す言語であった。厳格的には、ゲマトリア数値を有す倭語(日本語)による数値言語(ヒフミヨヰ…)の設定を以て始めて★【ヤマト言葉】(国語)と言う。その「日ノ本」の語意に対し、誰が【ヤマト】と定義付けたのかと言えば、それは、【死海文書】(獣皮紙巻物/1947年発見)を、クムラン各地の秘密の洞窟に隠し遺し、極東の此の列島(現在の日本列島)へ移動して来た「クムラン・秘儀教義宗団」(紀元前125年頃結成)トップグループの子孫達であった。

 

★…【ヤマト・言葉】(国語)…とは、「アワの歌」(アイウエオの元点=稲虫祓い・歌)とも称し、ゲマトリア数値配列順言語を用い全国的に広められた…【アワの歌】図表URL☆(ドラッグ・クリック/検索) → https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1806231029496946&set=pob.100003302006418&type=3&theater

 

…クムラン宗団トップグループの中でも祭祀系(大祭祀系オニアス氏族&レビ氏族)の人達が居住地とした地域を【ΙΑΩ】と命名し、此れが現在の八尾市(大阪府)の語元(語源の意ではありません)となる。

 

…先述の「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン」(日本語の前身)とは、ユダヤ民族のバビロン捕囚解放の前年(BC539年)に死去したバビロン王宮での出来事に関連する。それは、突然Yahweh(ヤハウェ/別称・θεοs&ΙΑΩも同義語)の御手がバビロン王宮(空中)に出現し、誰も読めない文字が壁に書かれた。それで、バビロン王に呼び出されたユダヤ人(捕囚)ダニエルは、「Mene,Mene,Tekel,U・Pharsin」(メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン/ダニエル書 5・24~28)と読み解き、バビロン王(カルデア人・ベルシャツアル)の寿命が短い事を王に伝えた。従って、その夜にバビロン王はメディア人ダリヨス(キュロス2世/アケメネス朝ペルシアの初代国王)によって殺される。その翌年、政権者と成ったダリヨスは、ユダヤの捕囚(紀元前597年~538年迄/約60年間)に対し、「祖国帰還許可勅令」を発布した。そして更に、その2年後(紀元前・536年)には「エルサレム・第2神殿」再建工事の許可を与えた。

 

…捕囚解放年から536年」に当る紀元前3年(暫定的・ホツマの天鈴暦55年/クムラン大地震年から29年目に当る)の時として、【ΙΑΩ】の呼称を倭語による【ヤ・オ】(Ψ・Φ=276+231=507+29=536)と称し、その捕囚解放から紀元前3年迄の経過年数に関連付け、新に編輯した「ホツマ・ツタヱ」文書(29章)を用い【ヤオ】の地名を明記しました。その事を証明する国宝的文書が、★『タコチ(竹渕)神社・縁起書』(光正寺文書/大阪府・八尾市)として書き遺されていました。

 

★…【タコチ】(タ・400+コ・600=チ・千)…とは、【千木】の語元と成る数値「千」を意味表すと共に、此の年(紀元前3年/長髄彦討伐開始から5年目)に関連する数値「536」(地震から29年目+ヤオの語元507)と、ダビデ数値「464」とを合算した友愛(割瓜)数値としての【千】をも示唆する単語であった。ちなみに、その後に言う「高・鷹・丈」等の造語も此のタコチの語意が語元である。

 

…此の年(紀元前3年)から計算して「660年」後を伊勢神宮の創建年(垂仁天皇26,年)として預言的に設定されました。従って、【タコチ・神社】(大阪府八尾市竹渕2丁目154)の主祭神は天照大神として祀られています。

 

…天照大神は、何故、カミ代8代目として設定されたのか。それは、【日ノ出】の方向に対し「ヒガシ」(東)と命名された事に関連する。その語意は、★創世記(ベラシト/2章8~9)に記す【命の木】と【知恵(知識)の木】(サカキ=逆木/賢しの語元)にあやかり、此の極東の島の更なる日の出に近い処(東北の南部地域)に『木(28)の実(55)』(キミ=君の語元)を植えて【日】(θ/ヒ)の頭(ヒ・カシラ)と定義されたからである。

 

★…【創世記2章8~9】…によると、「カミである主は、東の方【エデン】(136+28+120=284/テオス&逆木と同義数値)に園を設け、そこに主の形造った人を置かれた~カミである主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、命の木、それから善悪の知識の木とを生えさせた」。と記されている。

 

…つまり、ヤハウェのギリシア語訳【θεοs】(テオス/イオニア式数値・284)の頭文字が第8番目【Θ】(th/倭語ヒ=陽・日・数値1)に当るからである。

 

…「ヒガシ」(東)の語元も然り、第8順文字【Θ=ヒ】の一文字単語を用い、活動的一日の始まりを意味する「ヒの頭」と言い、その短縮語を以て「ヒガシ」と命名された。此れら一連の造語は、聖書(モーセ五書)のカミ「エロヒム」に意味付けられたゲマトリア数値を用いての造語である。従って、日の出地域には聖書的なtree(木)を植え、その植物種に対し【キ】(Η/定冠詞)と命名された。此れが【木】(樹)の語元である。又、四方位の呼称は、アドナイ(ADNI/アーメンと同義語)のゲマトリア数値【65】を用い「キツヲサネ」(文字順数値/7+11+6+22+19=65/東西中南北)と命名し、造語されました。

 

…四方位の東に植えた木(28)と実(55)の数値(83)、及び、カミの御名テオス(θεοs/284)の数値合計「367」を用い三位一体(3+367=370)とする【アメ・ミナカヌシ】(天・御中主)カミ(上)を出現させた。そして言語を司るカミとして占い用★【フトマニ・図】の中心に【ア・ウ・ワ】(367+3=370)と称し配置された。

 

★…【フトマニ・図】(冒頭の図表を参照)…とは、古代地中海文化圏で用いられていた「一日24時間」、&「七曜サイクル」図表を参考に、元来の七分割を八分割として、尚、【完全数・8128】(当時は・6/28/496/8128迄の完全数が発見済)に関連付、ヤチマタ(八衢)「48文字・カミ」を配置し占い用の「八衢・128祝詞歌」が組み込まれた図表(ホツマ・別伝)です。

 

…「アメ・ミナカヌシ」(天御中主)の元義であるゲマトリア(文字&数値転換・隠語解読方式)数値【370】とは、ヘブル文字数「22」とヤハウェの最初の二字(YH)に秘められた聖なる数値「15」を加算(22+15=37)し、尚、Yahweh(ヤハウェ)の頭文字数値(Y=10)を掛けて抽出した数値であった。その意味する処は、ヤハウェの大顔面(マクロプロソプス)の顎髭から発せられる「370の光線」(アラム語『ジハラ』・光輝の書より)の数とされ、その光が「ウヒルキ」(ワカヒトの幼名)の顔の面を照らしたとする天の岩戸神事を以て【天照大神】の呼称が造語されました。

 

…「日本(ヤマト)・開闢物語」中に元初カミを出現させるに当っては、「ホツマ」(365/東北)地域に「アシカヒ・ヒコチ」(425+ホツマ365=天界1001)カミ(上)を出現させ、別名「クニノトコタチ」(国常立)と称し人格化して日本のカミの始祖として定義されました。

 

…早い話、「日本・開闢物語」とは、創世記の劈頭文面(天地創造物語)の焼き直し版である。従って、その元初的カミに対し【ミコト】(命・尊)の称号が与えられるが、その【ミコト】の語元(語源の意ではありません)は、ユダヤ民族のモーセ五書「ベラシト」(創世記=Bereshith)文字に秘められたゲマトリア数値「3910」(ミコト)が語元である。

 

★…「アシカヒ・ヒコチ」(葦牙・彦舅)…とは、「ノア期に発生したとする大洪水(IAR)のゲマトリア数値「211」を語元とする。

 

…此の元初カミ「アシカヒ・ヒコチ」の出現地域に対し、数値言語「ナコソ」(790/東北南部)と命名し、その意味する処は、アメ(天/アーメンが語元)に最も近い地域(211+790=1001/大洪水阻止祈祷文版・設置値点)として定義する為であった。

 

…此の続きは後日と致します…

 

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