八尾市の語元(ΙΑΩ=カミの御名) | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

 

小島 宏

「八尾市の語元」はカミ(上=ΙΑΩ)の御名
 

【追記】(2018/10/11・木曜)…今世紀初頭、即ち21世紀が始まったばかりの現在は、世界平和に繋がる「世界共存思想の構築期」に当たり、世界に出て行くに当っては益々「日本人のアイデンティティ-」が重要視される事と成ります。然し、「日本人のIdentityとは何ぞや?」と言う難しい問題が立ち塞がっているのが現状です。

 

…日本(ヤマト)とは、古代ロ-マ帝国から見た日の出地域(現在のトルコ西域)のベルガモン王国(BC.133年/ローマの属州と成る)から西方を言い表す言語として始めてローマが行政上の地域名「Assu 」(アス=東・日ノ出の意)として使用した言語で、此れが現在に言うアジアの語元です。ちなみに、日本の地名「飛鳥&明日香」の語元も、此の「Assu」(アス)の語意に起因します。つまり、『日本書紀』の【日本神話】に言う、天忍穂耳尊の天降も、当時(AD1世紀始め頃)に於ける世界最初の日の出(ホツマ)の地域(ヒタチ/常陸=茨城県北東部地域)と特定し定義した地域から移動し、新た成る国を開いた処(奈良県の白庭村)に対し「アスカ」(ホツマ・20章)と命名されました。その後、此の飛鳥国の謀反者と成ったナガスネヒコ(長髄彦)の討伐を塩釜(宮城県)の翁に命じた人物が「ヤオ(八尾)のアラヒト」(八尾地域を居住地とする大祭司)でした。然し、最終的には宮崎(九州)のタケヒト(後の神武天皇)に白羽の矢が当り、従って、「長髄(ナガスネ)彦・討伐物語」に於いて、タケヒト(神武)が八尾地域(現在の平野川沿いの竹渕)を経由した目的は、「皇軍の印とする羽々矢」を八尾の大祭司から授かる必要(ホツマ・29章)があったからだった。つまり、【日本人のIdentity】とは読んで字の如く秩序を保ち、規則(1年365日=ホツマ・思想)正しく循環する「太陽思想」(カミの大道)に在りました…ちなみに、【アマテラス・ヲヲンカミ】(天照大神)の、その「ヲヲン」の語元(語源の意ではありません)は、古代エジプトの太陽神信仰の中心地(古代エジプト名はイウヌウ=Iunu)の地名で、その聖書地名としての【on】(オン≒倭語・ヲン/創世記・45&イザヤ書の…ハヘレス=大陽の町)が語元です。

 

…【日本国家・創建史】に言う「国家体制」を意図した本格的な国造り。その手始めは、先ず全国的に黒曜石を利用(北は北海道の蝦夷・白滝村/八岐大蛇&九頭竜伝説の善知鳥神社・由緒書)する事にあり、その最大的な黒曜石の産出地は【腰岳】(佐賀県の伊万里富士・松浦富士とも言う)でした。ちなみに、「山幸彦と海幸彦・物語」(AD2世紀~3世紀頃が時代背景と考えられる)の釣り針探しは竜宮城では無く筑紫(九州)の杵島(佐賀県の有明海・ヨト神社に関連する/ホツマ伝・38章)でした。

 

…ヤマト(日本)と定義して成る国家体制を構築するに当り、計画的に極東列島各地に小国を誕生させる事(1世紀~3世紀初め頃迄)から始められました。ちなみに、その当時は鉄器の補助として黒曜石が利用され、伊万里(佐賀県)の黒曜石(腰岳産出)は大いに重宝(鏃等に使用)されていた事が出土地の状況から伺い知れます。従って、弥生時代末期(AD3世紀)頃の吉野ヶ里遺跡からも腰岳産出の石器が出土しています。ちなみに、【腰岳】の黒曜石は質が良く、量としても山口県から福岡県にかけて広く分布し、北は対馬海峡を越え朝鮮半島南部(鈴木正男分析)からも発見されていて、又、南は沖縄本島(鈴木正男・二宮修治氏が分析)に迄運ばれていました。尚、沖縄最初の発見地とされる仲伯遺跡の黒曜石も腰岳産出の黒曜石と判定(鈴木正男・二宮修治氏の分析)されています。

 

…我が国に於ける3世紀頃の言語は既に「神代文字」(ホツマ文字)による「ヤマト言葉」であり、それは日本の国家としての形成過程期にあって、「ヤオ」(ΙΑΩ)のアラヒト」宗団(大坂/河内を本拠地とする)関連の人達が全国に造った各々の小国を統括していました。

 

ヤマト(日本)独自の【ハガネ】()作りは、古代ユダヤの人達が考え出した秘密技法(イザヤ書54・16~17…見よ、炭火を吹きおこし武器を作り出す職人を創造したのは私である)でした。それはヒッタイト国の滅亡後に於けるイスラエル王国(12支族の国・軍隊はありません)を建設するに当り独自に開発した技法でした。然し、その使用目的は武器ではなく農具等の刃先に取り付けて用いられました。従って、日本の木製農具の刃先にも高度な技術によるを鉄が装着されていました。ちなみに、鉄の技術伝播には、その呼称(デミ-ル→ ティンムル→ ティエ→ 鉄)も付随して伝えられるが、前漢の武帝(BC.140年~BC.87年)は専売(官営製鉄所…後漢時代も此の制度は続けられた)を置き、その技術の流失を防いでいた。だが日本の国は、ユダヤ人(クムラン・秘儀教義宗団者)が直接伝えた製鉄技法(タタラ/踏鞴)である為、漢字言語の「テツ」(鉄)ではなく、日本語独自の【カネ】現在のトルコ/鉄の本家…ヒッタイト地域の地名・カネッシュが語元)と呼び、以後、★弁辰産出の鉄に対して【カネ】(金)の単語で通していました。

 

「弁辰産・鉄」(韓半島の南部地域)の初出は、魏国(AD.220~265年)の「弁辰伝」です。我が国の此の当時は卑弥呼(AD.247年・死去)の時代でした。然し、魏が立つ以前(後漢時代/AD.220年迄)から、卑弥呼(世襲名)は後漢時代に既に朝鮮南部(弁辰)へ倭の軍隊を派遣し、現地で「板鉄」(平鉄)に加工していました。ちなみに、その加工後の「板鉄」を日本(ヤマト)へ持ち込んでいたのでした。従って、後漢の滅亡後は魏国が朝鮮半島を支配した事により底辺では既に倭国は魏と接触していました。つまり、景初3年(AD.239年)に卑弥呼が魏国に使いを出したのは、何の前触れ無く突然的な使いでは無かったと言う事です。ちなみに、『三国志・㊦』によると、卑弥呼の使いは「神代文字・文書」(カミナ・フミ)をたずさえて魏国に行きました。従って、魏書(三国志)には…「此字(ホツマ文字)不体・非魏朝此失」(魏の人は倭人の文書を読めず紛失)…等と書かれています。つまり、当時の倭国の文字は【カミヨ・文字】(ホツマ・文字)でした。その倭国の文字を魏国の人達は読めなかったと言う事です。だが、後漢時代からの通訳(魏国の通訳/倭人系の人=臣松)の人が説明してくれて、尚、使者の口上を漢文に書き直した文書が作成(則伝写者・錯=あやまる)された事によって倭国の使者は目的を果たす事ができました。従って、我が日本の国には文字が無かったと言う「戦後の国語学者達の説」(神代文字の存在を否定する説)は間違っています。

 

…「神代文字」の研究は、江戸後期の国学者「平田篤胤」(ヒラタアツタネ)に始まり、戦前にも活発的(宮崎小八郎・著『神代の文字』)に行われていました。然し、戦後の「理由無き神代文字の否定者・時代」(現在)。つまり、「GHQ・神道指令」によって、大東亜戦争以前の優秀な歴史学者や国学、及び、言語学者の人達は日本の教育現場から追い払われました。従って…★或人の話として…

 

★…現在の日本の歴史学者や言語学者には学問の自由がなく、学生が「神代文字」に付いて卒論を書こうとしたら止められた。

★…日本の言語学者は「ヤマト言葉」を否定し上代語と言い換え、恬(テン/外のものに心を動かさず落ち着いている)として恥じない。

 

…戦後に於ける日本の国学者が書いた『日本語はなぜ変化するか』(小松英雄・著/笠間書院)と題する本によると、「国学とは国語学の事である」と言う。従って、日本には【日本建国・創建史学】等の歴史学は全く存在しないと言う事です。つまり、戦前(昭和20年AD1945年/大東亜戦争終結以前)の国学(日本国の起元学)と違って、今の国学は国語学(言語学)の事であり、その研究対称言語は奈良時代(710年~794年迄)頃の万葉仮名言であり、飛鳥時代(592年~710年)以前の言語に対しては全く解らないとされています。

…然し、戦後(昭和41年=1966年8月)に於いて、「松本義之助氏」が東京都神田の古書店で「神代文字」で書かれていた『ホツマツタヱ』文書の一部を偶然発見し、更に、その文書の全40巻を愛媛県宇和島市の小笠原家で発見した事によって、今迄誰も解き明かす事が出来なかった【日本建国・創建史】(先史/初代・神武天皇~第12代・景行天皇期迄)の成り立ち、その全てを解明する事に成功しました…

 

…最初の日本語(ヤマト言葉の単語)とは、古代ギリシアのイオニア式ゲマトリア(文字&数値転換・隠語解読方式)数値言語を設定した当時(紀元前末頃~AD1世紀始め頃)の「ヤマト言葉」(単語…造語)です。新たな「ヤマト・言葉」の設定は、アダム(創世記)に始まるノア(大洪水の発生を含む)の昇天年(創世記2006年)から、クムラン大地震年(紀元前31年)迄を「3910年」(創世記のゲマトリア/ミコト=命・尊の語元数値)と定義しました。又、カミ(上/God)の居住値「4900年」(天使・エノク週年)からは「8810年」(4900+3910=8810年)として【死海文書】(1947年発見)を書き残し、此の極東の島へ移動して来た【クムラン・秘儀教義宗団】トップグル-プの子孫達は既に定義付けていました。そして、【ヤマト(日本)・建国創建史】文書の作成に当っては【正典】(Bible)としての性格を兼ね備える必要を以て、【1万年】数値枠(エノク書/罪の日数が満ちる迄の期間=1萬年/8810+1190=1万年)の中に書き込む事としました。従って、残り数値「1190」を意味付ける数値言語を設定するに当り、ヤマト言葉を司る元初のカミの名称とする【トホカミ・ヱヒタメ】(ゲマトリア数値95)。又、【アイフヘ・モヲスシ】(284/テオス・Θεὸς=284…ギリシア語訳Godのゲマトリア数値)の数値言語を造語して【フトマニ・図】(占い用の文字配置図)を作成しました。ちなみに、『日本書紀』に記すイザナギ尊とイザナミ尊が【国生み物語】の中で「御柱廻り」儀式は、此の太占(フトマニ)図の【アワの歌】を歌い廻ったに基付いています。

 

…そのゲマトリア数の合計【379】(95+284=379)に対し、元々、レビ記(旧訳聖書)の主に対するギリシア語訳【ΙΑΩ】(Godの意=ヤオ/八尾の語元…秘儀数値・811)のゲマトリア数値を加算(95+284=379+811=満・1190)し、【1万年】に不足していた文書枠数値【満・1190】(95+284=379+811=満・1190)を設定しました。ちなみに、此の合計「1190」とは、それ以前の【ダニエル書】(5・25)卯年に記す「Mene,Mene,Tekel,U・pharsin」(メネ、メネ、テケル、・ウ・パルシン)に対するゲマトリア数値を年数として使用する必要に応じ、通年を意味表すには「満・1190」(ロ-マ時代の世界暦/の紀元前・31年に結び付けました)と、「満年」(1年少ない計算)方式にする必要があったからだった。然し、新た成る極東の島に於ける建国に当っては【God・manifest】(ゴッド・マニフェスト=クムラン宗団の公約)によるカミ(上)の数値年【31】(AL/エロヒムの頭文字・ゲマトリア数値)期間の空白を授ける必要(1191+満30=創世記・1141年/辛酉)があった。それで更に三角数ゲマトリア数値を用い…「Τ/カミの霊・190+ヤオ・507+タコチ・463=アメ・1160」数値(1191-和歌の文字数・31=1160)を入れ子にする数値枠を設定し、此の枠中に【日本建国・創建史】(ホツマツタヱ)文書が書き込まれました。その文字言語の総称は、大枠「1万年」数値(日本語の数値言語・ヨロヅ年=1万年)に始まる事から「ヤオ」(八尾市の語元・ΙΑΩ)を冠し、尚、カミ(上)の御魂(霊・カミの息=300)を意味表す「Τ」(300コ9+ト10=文字順位19/19の三角数=190)の数値を用いて…《【コ・ト=御魂の意】の【ハ=ロ/ヨロヅ・万単位語】》…と成る。従って後年に至っては、その略称である【ヤオ・ヨロヅのコトバ】(ヤマト・コトバ)が、『万葉集』と呼ばれる書物の題名に取り込まれました…

 

…要約すれば…【1万年・枠物語】中の「8810年」迄は『旧訳聖書』時代迄(紀元前31年/クムラン代地震年)として区切られ、尚、此の区切り目の大地震年に対しても【カミの顕現年】として既に「God・manifest」( ゴッド・マニフェスト)に基づいて設定されていました。その設定方式は…「その日には必ずイスラエルの地に大きな地震が起こる」(エゼキエル書38・18~23)と記されたエゼキエルの預言にありました。そして、【カミの顕現・思想】としては…「私(God・Yahweh)が予告した標(シルシ/地震等の意)が表れた時が至高者が訪れる時が近づいたと悟れ~終末の時/来世は彼らのもの」(第4エズラ書/むすび・9・1~13)と記された文言にありました。

 

…新に設定した「ヤマト・言葉」の初期的造語によるゲマトリア数値【満・1190】(ダニエル書5・24~28/メネメネ、テケル、ウ・パルシンの秘儀数値に関連)を【1万年】枠に入れ子として、その頂点値(1万)に対し千木(チギ)の語根数値(ピピ/ΠΠ=160)を用い【アメ】(天≒想像的天空値/1万-8810=1160-160=1000/千木の語元)として命名しました。更に、その【アメ】値点(チ=1000)から過去年に向け、【タコチ】(1000/千の意・八尾市の竹渕神社と千木の語元)と言う数値言語を造語し、神社の屋根に設置する【置千木】と【角刺千木】(唯一・神明様式/伊勢神宮)に言う、神社様式を確立(1万-1160=満・8840年)させました。

 

…【定型詩・和歌】(5+7+5+7+7=31文字/数値は満30年)の設定方式は、【ΙΑΩ】(ヤオ≒God/八尾市の語元)の顕現年と定義したクムラン大地震年(紀元前・31年)に対し、「ALHHM」(エロヒム)の頭文字数値(最初の二文字のゲマトリア数値=31)として定義して成る…【God・Manifest】(ゴッド・マニフェスト=クムラン宗団の公約)…を施行する為であった。つまり、それは「初代・天皇の即位年」(タケヒト/後に言う神武天皇の即位年/辛酉)に始まる皇歴年設定方式(幻の西暦1年目・設定方式)を施行する為であった。ちなみに、現在の世界暦として用いてる西暦年(Anno Domini)とは…「562年(5世紀)から過去のキリスト十字架刑年迄に遡り、更に、其処から31年溯って意図的に設定した暦年方式」であって、その年代に当る「アウグストゥス帝の満27年・&・★平帝1年(元始元年/辛酉)=AD1年」の年を最も重要な世界暦の1年目と定義し施行したのは、先史に於ける我が日本国(ホツマ思想・ヤマト国)であった。

 

★…郷土誌『河内どんこう』の「奈良街道沿いの町・1」(座談会)【竹渕・亀井・跡部地区】によると…後漢初期の「貨泉」(王莾/王権時代の貨幣)が出土しています。此の事が意味する処は、キリスト生誕時の「東方の3博士」Magos・ペルシアの祭司&占星術師の呼称/マタイ伝2・1~12…ヘロデ大王・紀元前4年頃)達一隊も、ヤマト(日本)河内の八尾地域へ来た事が考えられます。ちなみ、『魏略』によると、紀元前1年(前漢・哀帝4年/BC2年/己未)の時として…景慮(ケイリョウ/博士の弟子)が大月氏の使者「伊存口」と共に後漢を訪れた。使者の仏典には「此の大月氏の使者(伊存口)は新に王座に立てられる男であろう」と書かれていた。つまり、その事を知った【王莽】(オウモウ)も或策略(世界暦の施行年の実行/辛酉元年施行説)を巡らした事が考えられます。それは、当時の前漢の王(哀帝2年/紀元前1年の時)が暗殺された事が証拠です。その策略(哀帝の暗殺後)とは、王莽の傀儡政権(平帝/王莽は仮皇帝と称す)を起立(AD1年/辛酉)した事です。そして、その8年後に王莽は政権(貨泉/貨幣を鋳造)を取りました。従って、後漢の王莽王権(政権)が誕生すると、早速、日本(ヤマト建国暦の施行年はAD1年目=ホツマ・天鈴暦サナト年/辛酉)の統治者(ヤオのアラヒト)は、いち早く王莽政権の後漢と交流を始めました。此の交流によって八尾地域付近でも【貨泉】(九州は勿論の事、淡路島で3枚/河内平野の亀井、瓜破遺跡の外、国内10余ヶ所で179枚発見)が出土していたのでした…

 

…新に作成したヤマト(日本)国の国語とする「ヤマト・言葉」設定方式は、【カミ(ヨロヅ=万)の息】300/three hundred)に因って発せられる「アワ(天地)の歌」(天・24文字/300&地・24文字/300)言語と定義する…《「コ(9)ト(10)のネ(300)」(琴の音…9+10=19/ネ・三角数300カミの御魂数値》…として【アワ(天地)の歌】(ゲマトリア数値を秘めた24文字×2=48文字・配置方式)に基づき定義され、設定されていました。従って、倭語に言う仮字文字言語の「コトバ」に対し、漢字の「言葉」の当て字は間違いです。

 

…つまり、倭語「ヨロヅ・カミ」の定義付けは、カミ(上)の居住地値点数値(1万年-1190=8810)に接続させる為の数値(満・1190)言語を造語する事にありました。従って…「ヤオ=ΙΑΩ/イオニア式・811」+「トホカミ&ヱヒタメ/文字順序式・95」+「アイフヘ&モヲスシ(θεοs)・284」(テトラグラマトンのギリシア語訳言語数値)=「満・1190」として、【正典】(Bible)を定義する単語を先ず造語しして、此の造語数値(1190+8810年=1万年/ヨロヅカミの居住値点)を以て…「ヤオ(ΙΑΩ=八尾)・ヨロヅのカミ」…と言う。

 

…「アマテラス・ヲヲンカミ」の【ヲン】(三角数・141)の意味

 

…八尾市(大阪府)の太子交差点西に存在する古代の石の道標に記されたひるめとは…『ホツマツタヱ』文書の仮字文字(神代文字)による「アマテラスオオミカミ」の幼名「ウヒルキ」(大日孁木=男性の意)の意です。その呼称は、後年、漢字で編纂された『日本書紀』によって、先ず、「天照・大日孁貴」(アマテラス・ウヒルキ)と書き表すが、その注釈では…「此れ言う(大日孁貴)…オホヒルメノムチ」と翻訳し、日本書紀(第五段・神々を生む)によって偏向されています。従って、此れが訛り「オオヒルメ」(大日孁)とも呼ばれ、元来、アマテラスオオミカミは男性の意が元義であるにもかかわらず、如何にも女性の意であるかのように広められて現在に至っています。然し、戦後に『ホツマツタヱ』(秀真伝)文書の全40巻が再発見され、ホツマ文書が段々普及するにつれ、天照大神は男性であった事が少しずつ広まっています。

 

…我が国(ホツマ思想・ヤマト国)を創建するに当たり、何も見えない或物に対し【カミ】(フトマニ図/トホカミ・ヱヒタメ&アイフヘ・モヲスシの略称が語元)と呼び、尚、何も飾らない空域を有す倉庫造りの家(高床・倉庫様式)の屋根に千木(チギ)と称す物体を設置するを以て、始めて「カミのヤシロ」と定義付けられました。然し何故、ヤシロ(社)の設置を前提としての祭(祀)事(年中行事を含む)が施行されたのかと言えば、それはユダヤ教のテ-ゼ(命題)に在って、又、それは、創世記(49・10)に記された【カミ】(ALHHM/エロヒム)の預言的文言にありました。その魂言とは……「ついにはシロ( IBAShILH/358)が来て」…等と記す文言です。従って、此の文言【 IBAShILH 】(イエバシロ-・語根数値358)のゲマトリア数値(文字&数値転換・隠語解読方式)を用い、【日本・カミヨ物語】(カミ代・300万年/神武天皇即位・天鈴暦58年)が創作されました。

 

…日本建国の準備段階に於ける初期的【カミ】(トホカミ・ヱヒタメ/ゲマトリア数値・① 95)とは、ギリシア文字「ΙΑΩ」(ヤオ/ゲマトリア数値・ 811)の呼称の別称であり、又、ギリシア語読み「Θεὸς」(テオス/ゲマトリア数値・ 284)と同義語であった。此の3通りの文言に秘められたゲマトリア数値、つまり…「① 95 811+  284 満・1190」の数値を総称し、「ヤヲヨロ」(318/旧訳聖書…メルキゼデクの祝福&エルサレム祭司権の習得数値/三笠文・カミヨヤマトナ章)のカミ(KaMi/上)と言う。それが何故、ヨロヅ(万・単位数値言語)と言う【万】の数値に関連付けられたのかと言えば、それは、カミ(上)の居住値「1万年」の中の「8810」(紀元前31年/クムラン大地震年迄の数値)に繋げらられる数値として意図的に設定(8810+満・1160=1万年)されてたからだった。つまり、ヤマト言葉による数値言語「ヒフミヨ井…」に言う【万】(・アワ歌の文字配列順数値の加算数値・141と、ヲンの三角数・141は同じ)の数値言語が同じ数値に当るよう、意図して造語されたからであるが、その目的は、ユダヤ教の…《カミ・Yahweh/ヤハウェは1つ神殿は1つ》…に在って、此の定義を回避する方式が、エジプトに祀られた【オン】のカミを誘致する事にあった。

 

…【ヲン】とは、カイロの北東郊外にある古代エジプトの太陽神信仰の中心地「オン」(聖書地名…太陽の町/ヘリオポリス)の意を意味表す言語(ヲン)であった。この「On/オン≒倭語・ヲン」(141=ヨロツカミの意とする)と言う言語のカミ(Yahweh・ヤハウェ)を、此の極東の島に移動して来て始めて祀った地域が八尾市の竹渕(タコチ/千木の語元言語)地域であった。従って、「竹渕(タコチ)神社」は【天照大神】を主祭神として祀られていて、その当時(紀元前・3年)の地名としては、既に「ヤオ=ΙΑΩ」(紀元前3年/天鈴暦55年・戊午/ツチノエウマ)と呼ばれていました。

 

…ちなみに、【天照大神】の御名の元点は、紀元前150年頃に古代エジプト(ギリシア人が支配していた)に亡命したユダヤ教の大祭司が、ユダヤの一神教のカミ(Yahweh・ヤハウェ)をカイロの「オン/On」(聖書に表記された地名)の地に祀った事に起因します…画像(写真)は、【天照大神】のエナ(ヘソの緒)が奉納されたと『ホツマツタヱ』に記された事に起因する【恵那神社】(岐阜県中津川市)の鳥居前です…

 

 

 

 

…此の続きは後日とします…

 

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