【古代日本の制海権地域】(尖閣諸島を含む) | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

【古代日本の制海権地域】(尖閣諸島を含む)

【八尾に始まる日本建国・創建史】



… (上記動画・URL)→ https://www.youtube.com/watch?time_continue=7&v=SVzmy7qS7Mw …

…その昔、我が国の制海権は、現在の台湾より最っと西域(中国大陸付近)迄も及んでいました。ちなみに、沖縄の最西端地域に位置する【西表島】(イリオモテジマ)の島の呼称は、その名残です。

…つまり、【イリオモテ】(入り表=西表島)と言う島名の語元(語源の意ではありません)は、イスラエル民族が用いる日付変更線的(新たな1日の始まりは夕方から始まる方式)意味合いがあります。従って、日本語に言う「あした」(明日)とは、「日の入り」(夕方)時刻頃から考えての日付的言語に当たります。

…「日本の国の始まり」は、【脱・ユダヤ教】(元始・キリスト教)を目指して修行を行っていた【Qumran Sect】(クムラン秘儀教義宗団)トップグル-プの子孫の人達が此の極東の島に辿り着き、【カミ】(ΙΑΩ/ヤオ)の意向を以て創建され、且つ、国家体制を確立 させました。


…【日本の国の始まり】に付いては今迄謎とされていました。然し、【死海写本・文書】(AD1947=昭和22年発見)の発見。そして、その日本語訳解読本、即ち『死海文書のすべて』(ジェームス・C・ブァンダーカム著/日本語訳者・秦剛平/青土社発行・2005年3月25日第1刷発行)文中の《メルキゼデクテクスト・11QMelch》の内容は、【日本建国・創建史】(神武天皇・即位年の設定方式)に関連している事を見い出しました。  

…此処に言う【日本建国・創建史】とは『ホツマツタヱ』(秀真伝)文書の事であります。その【ホツマツタエ】とは、松本義之助氏によって「昭和41年=AD1966年に再発見」された全文が神代文字で書かれた文書(全40章迄・1萬700行余で構成)です。

…ちなみに、戦後(昭和20年=AD1945年・大東亜戦争終結後)の歴史教育上に於いては『現存・日本書記』(国史大系1)が我が国最古の歴史書とされています。然し、『ホツマツタヱ』文書の再発見によって、『ホツマツタヱ』が我が国最古の歴史書で在る事が解りました。その証拠と成るのが先述に言う…《メルキゼデクテクスト・11QMelch》写本文書の内容にあります。その文面を公式的に説明すれば……

…(筆者解読)「カミの数値/AD300年-236(身丈柱・数値)=AD64年-⑨ヨベル63年=⑩ヨベル70年の最初の1年目=64年目」(神武天皇即位元年=天鈴58年目)に当る。

…《メルキゼデクテクスト・11QMelch》…によると、普通「ヨベルのヨベル年(49年)明け」は、「ヨベルの年(7年週期)による負債の免除事案の履行」とされています。然し、【メルキゼデクの相続】(恩恵)にあっては、「10ヨベル(7×10=70年)の最初の週年」(70-63=7年-6=10ヨベルの最初の1年目)に与えられると定義する事案が履行さる等の事が記されています。此の数式を物語化したのが、【長髄彦・討伐物語】(皇軍の善と謀反軍の悪との全面戦争/ハルマゲドンの模倣)でありました。

《全国【ホツマツタヱ・研究者】集会の進め》

…【Qumran Sect】(クムラン・秘儀教義宗団)文書の《メルキゼデクテクスト・11QMelch》内容を最初に文書化されたのが『ホツマツタヱ』文書である事の証拠を、他にも多々発見しています。従って、此れからの『ホツマツタヱ』の研究に対しては【死海写本・文書】をも取り込んだ研究に取り組む必要があります。

…そして、尚、《全国【ホツマツタヱ・研究者】集会》を催し、活発な意見交換を以て『ホツマツタヱ』文書を公的歴史書として取りあげられる為の活動を展開しなければなりません…



【追記】(2018/04/29・日曜/昭和の日)

…神社の屋根に設置された【置・千木】の形状【 Χ 】は、「ギリシア文字・第22番目=Χ」(数値・1000を意味表す)の形状でした。従って【千木】(倭語・チキ)と言う。

…その倭語(訓読)数値(1文字数値単語・計13文字/ヒ・フ・ミ・ヨ・ヰ・ム・ナ・ヤ・コ・ト・モ・チ・ロ)を設定するに当ってはゲマトリア(文字&数値転換・解読方式/逆方式も在り)を組み込み込んでいます。従って、「既に罷るも蘇る~振るの事ぞとミコトノリ」(ホツマ・第20章/スメ御孫トクサ得るアヤ)と記されています。つまり、「ト(10)迄数えて震えただ、ユラユラ震え~振るの事ぞと詔」と記す文面には、【365/1年・循環数値】(文字配列順数値+フルに対する三角数の合計)を組み込んでいたからです。

…ちなみに、【ヤマト】(276+15+3=294-御親カミの身丈=58)と、【ヰヤマト】(58的)とは、「ト(10)降る」(58×10=580)の語義を以て同義語です。つまり、此の秘儀数値【580】(580+フトマニ語元数値+天御中主数値=1160)を用い、【千年枠・物語】(1萬枠数値-クムラン大地震年数値8810=1160-千木の語元数値160=1000/千年枠数値/ホツマツタヱ文章・枠数値内物語)を作成していました。


下記に【追記】(2018/05/04)【伊勢神宮・角刺千木】の語元

…【伊勢神宮・角刺千木】の形状は、【置・千木】形状(Χ)の上部形(V)を強調して成す、アルファベット【V=完成】(カミの息子の意)字形の模倣であった。尚、その伊勢神宮様式(唯一神明様式)も、ホツマ文字の「チ」と「キ」との合字形を以て設計され建立されました。従って【チキ=千木】と言う。

…では何故?、【置・千木】形状(Χ)を変形的に様式化(V・字形)し、千木と定義したのか?…と言えば、それは観念的空間に秘密裏に配置された【フトマニ】(太占)図。その名称【フトマニ】の「フト」の語根文字数値【52】(ベン=完成)と、角刺形【千木】(角笛に対応)に付随する数値とを合致(52+52=104)させる事にありました。そして、それは【天照大神】を祀る最初の巫女「トヨスキ姫」の生誕年に関連付ける為であった。

…つまり、観念的天空に言う「アメ(天)値点」(1160)に設置された祝詞占いに用いる【フトマニ】祝詞歌を、角刺形【千木】を介して交信すると成す教義の明確化に在りました。此の事を題材として書かれたのが、「トヨスキ姫による遷宮物語」であり、又、「ヤマト姫・生誕物語」(後のカグヤ姫物語の題材にされた)であります。つまり、此処に言う、角刺【千木】と【フトマニ】の「フト」に付随する秘儀数値の合算数値、つまり「52+52=104」とは、天御中主の数値から繋げられた数値と同じであり、此の数値に関連付けて「巫女・トヨスキ姫の生誕年」(数え歳・103歳/ヤマト姫に伊勢神宮の巫女職を替えられた)は設定されていたのでありました。

下記に【追記】(2018/05/15・火曜)…書き換えられた【日本建国・創建史】…

…「書き換えられた」と言う意味は、《失われた【日本建国・創建史】》と言う事であり、それは『ホツマツタヱ』(姉妹書・ミカサフミ)の文書が完成する前に存在したとする文書。つまり【ココストの根】に付いて書かれたとされる逸文(ホツマツタヱ8章に記載あり)の事です。

…【ココストのネ】とは、『ホツマツタヱ』文書を構成する為に設定された「1160年・枠」内を、更に「160」(角刺千木の語元数値)と「1000」(置千木の語元数値)とに分割して成す【1000年・枠】に関連する数値言語(造語)の事であります。つまり、倭語に言う【元初・ヤマト言葉】にも「ヤマト式・ゲマトリア」(文字&数値転換・解読方式)が仕込まれていて、【ココストのネ】とは、先述の【1000年・枠】内に書き込まれる事と成る皇歴の「在位通歴・790年」迄の数値の事です。

…「ホツマツタヱとミカサフミ文書が書かれる以前」から、既に、タケヒト(神武)からヲシロワケ(景行)迄の「在位通歴・790年」数値は設定済みだったと言う事です。つまり、その始めは予め決められていた数値枠内に歴年史が書かれていました。然し、その後年に於いて、祖国ユダヤ教の【Jerusalem・第2神殿】が陥落した事を知った事を受け、それは【日本人の聖書】として、新に書き換えられたと言う事です。

…その最初に書かれた歴年史の名残があるのは、「第5代・カエシネ王」と「第6代・オシキネ王」の后に対する記事内容(魏志倭人伝・卑弥呼に関連する)です。

…考古学的見地から捉えれば、【好太王碑】(コウタイオウヒ)に刻まれている【任那】の初出年にあります。ちなみに、【任那】の語元(語源の意ではありません)は、ミマキイリヒコ(崇神天皇)の御名が語元です…

以下【追記】(2018/05/21・月曜)「神功・即位前紀は聖徳太子の創作だった」

…【ホツマツタヱ】と【ミカサフミ】文書は【日本人の聖書】として書かれている。従って、次世代の成務天皇紀以降(成務天皇即位・AD131年~文武天皇3年=AD700年/大宝改元の前年)迄の歴年史とは、切り離されて存在していた。従って、元初に於ける【オオキミ】(大王)氏族関係者達が所有していた独自的【二中歴・第二】(年代歴)の最初の処(大宝改元前年=AD700年)には…「年始五百六十九年」と記載されているのである。

…然し、成務天皇天皇の即位1年目(元年)に始まる皇歴年史の在り方に、聖徳太子(八耳王)が疑問を呈し、その結果、隠されていた【ミカサフミ】(三笠文)と【大物主の遺文(ノコシフミ)】文書が、それぞれ河内の枚岡宮と四国の泡輪(アワ)宮から探し出された。そして、秘密にされていた『三笠文』(ホツマツタヱの姉妹書)と、それ以降の歴年史との接続方式を聖徳太子は知る事と成る。此の謎解きの証明となるのが『先代旧事本紀大成経』(72巻/推古30年=AD622年・完成)に記載されている「神功皇后の即位前年」としての「新羅・征伐物語」である。つまり、此の物語は、『三笠文』(ミカサフミ)の「ミマナのアヤ」(崇神天皇・58年条/秀真伝同じだったと考えられる)部分を考察し創案(仲哀天皇・在位2年3月~7年12月迄の期間に当る)された物語であった。そして、「新羅征伐物語」の年としては仲哀天皇(在位9年)崩御年の10月としている。つまり…

「神功皇后・即位前年=AD200年」の年代数値と「崇神天皇・57年=在位通歴620年」(任那・命名前の年に当る)との数値年…【420】

「成務天皇・崩御年=AD190年」から「履中天皇・即位1年=AD400年」との年代差数値…【210】

「成務天皇・崩御年=AD130年」から「応神天皇・崩御年=AD310年」迄の「在位通歴・120年間」の、武内宿禰を大臣としての在位通歴年数値…【120】

…以上、此の3つの数値は【フトマニ】(太占)の語元(語源の意ではありません)数値と、「歴年・循環数値】(兄弟=干支循環数値)の意であり、秘密にされていた此の循環秘儀数値の使用方法を知った聖徳太子は、『三笠文』の暦年数値(景行天皇の即位年)を、それ迄の武内宿禰大臣紀(成務天皇~仁徳天皇迄/空位3年含む)迄の歴年史を『三笠文』(秀真伝も同じ)の歴年史に繋げる事に成功したのでありました。

…従って、【先代匶事本紀大成經】(72巻本)の「神功皇后紀」(即位前年/紀)には、【任那】(AD397年に命名された/崇神58年)の国称は明記されていません。
 

…《全国【ホツマツタヱ・研究者】集会開催の進め》…関連記事 (URL)
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