ヤマト言葉の【数値言語・設定者】は【アシェル族】だった | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

隠れ神道(空海)【光明真言文字・掩】の謎解きに付いて

…【オン】(掩/オン)の語元(語源の意ではありません)を、昨日(2017=平成29年4月28日・金曜)発見しました。【掩】オン)とは、【光明真言・文字】(24・記号文字)の冒頭文字であると共に、【元始神道・思想】の基本である【元初・ヤマトコトバ】設定方式の秘密(ゲマトリア)の鍵と成る言語(造語)であった。尚、ゲマトリア方式に付いては過去のブログで多々説明済み故、その説明は此処では省かせていただきます。

 

…そもそも空海が開発した【光明真言・文字】(23字+1休止符記号文字=24文字)中の、【掩】(オン)とは何かと言えば、「覆い隠す意」とされている。尚、空海開祖【日本密教】に言う【密】の語意は、「秘密の意」ではなく、古代ユダヤ民族が用いていた七曜(一週間/7日循環方式)中に言う【日曜】(大陽思想= 天照大神)の意であった。従って、その 【天照大神】の【幼名・ウヒルキ】の御名を漢字に変換し、【胎蔵界/大日如来】(ウヒルキに対する当て字)として漢字表記したのは、【ウヒルキ】(天照大神の幼名)の呼称を漢字に変換した表記方式(筆者説)に起因する。

 

…そもそも漢字導入以前に存在していた【カミ名・文字】(基本・48文字)に因る呼称【オン】の語意(覆い隠す意)とは何かと言えば、古代ユダヤ民族の唯一神【 Y H V H 】(テトラグラマトン)の別称【ヤオ=ΙΑΩ】の意であると共に、古代エジプトの地(へリオボリス=大陽の町)に祀られていた【オン】(一神教の前身…アメンを意味表す)を示唆する言語(造語)だった。然し、此の呼称は公にせず、【オモ】(倭語・ゲマトリア言語)と命名した。そして此の語意を用い、【オモタル&カシコネ】(カミ代・第6代目)として【日ノ本・カミ代物語】の中に組み込んだのである。つまり、【オン】の語意を、「古代ユダヤ民族の22文字の存在」を前提としてのヤマトコトバ(倭語)に因る造語【チエ=知恵】(文字)の意として取り込んだのである。それが、【千木の語元】思想としての【オモの木】(母木)の意であり、創世記(モ-セ五書)の【知恵の木】、つまり、【Knowledge…Tree】(知恵の木の意と致します)の意であった。

 

…【オモの木】(母木)の「オモ」とは、【倭語・ゲマトリア】(三角数配置方式を重要視した文字配置方式)を用いての造語である。これが何故【知恵】の意に結び付くのかと言えば、そのゲマトリアは「ヘブル文字・22字」を示唆すると共に「数値1000」(倭語…チ=千/1000)を意味表す言語だったからである。空海(母方は阿刀氏系/物部氏一族…饒速日系譜)は、此の事を知っていたから、空海が開発した【光明真言・文字】(22字+1合字+休符記号=24字)の、冒頭文字として【掩】覆い隠す意)のに対する記号文字を当ているのである。

 

【追記】(2017=平成29年5月1日・月曜)…日本最古の神社】

 

…我が国で、最初に神社が設置された地域は、大阪府の八尾市であります。それは、【タコチ・神社】(竹渕・神社)と、【恩智・神社】(オンヂ・神社)である。その双方の神社の創建年は、「神武天皇即位前・3年」(アスズコヨミ55年・ヲシヱ/B,C,3年・ツチノヱウマ=戊午)の年であった。

 

…【タコチ・神社】の創建年は、【ヤオ=ΙΑΩ】(現在・大阪府八尾市の名称と成っている)の初出年(B,C,3年)であり、【オンヂ・神社】(恩智・神社)も同年代であった。その文献資料は、「我が国最古の歴史書」(正典=Bible)として書かれた『ホツマツタヱ』(秀真伝文章)である。補足住吉大社神代記&日本書紀通証の文書すれば、オモのキ=母木の初出は、(現在・大阪府)「高安郡恩智也/神武天皇即位前紀戊午年三月」(B,C,3年)とある。

 

…要訳すれば、「天鈴55年/ヲシヱ(B,C,3年・戊午三月」とは、タケヒト(後の神武天皇)が、九州(宮崎~筑紫)から出発し、吉備の児島を経ての遠征。その3年目の春(如月二月)、浪速の【盾津】に陣を構えていた【アウヱモロ】(ココトムスヒ=ツワモノヌシ…アメノコヤネ…オシクモ…アウヱモロ)と合流し、「ヤマアト・カワ」(秘儀数値355/B,C,3年=澁川)を溯る。そして、【ヤオノアラヒト】(大祭司系譜)に面会した後(春/弥生三月)、更に渋川(ヤマアトカワ)を遡り、高安山の麓に到着(澁川路)した。つまり、此の時期は未だ長髄彦との戦は未だ始まっていなかったのである。其の戦の前、龍田越(真東に当たる)をするに当たり、その三月に於いて高安山の麓に急こしらえのヤシロ(神社)を設置した。それが、現在に言う【恩智・神社】である。然し、初期的神社の創建時に当っては、「航海や陸路の守り神」として古代ユダヤ民族でありながら、【脱・ユダヤ教】を目指していた【クムラン・秘儀宗団】の人達が崇拝していた【オン】(ヘブル語…エヘイエ・アシェル・エヘイエ… אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה  が祀られたのである。従って、【母木】(オモの木)の語元(語源の意ではありません)は、此の…【オン】…の語意(アシェル)に起因する

 

…此の続きは後日と致します…

 

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