…「クムラン秘儀宗団の極東移動ル-ト」(其の痕跡)… | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

【 Qumran Sect】(クムラン秘儀宗団)移動ル-トの【痕跡 】
…《 旧約聖書:創世記1・~31の劈頭成句 》…「ベラシト・ベラ・エロヒム・アト・ハシャマイム・ブァアト・ハアレツ」(BRShITh・BRA・ALHIM・ATh・HShMIM・VATh・HARTz)…此の英語訳は…「始めにエロヒムが天地(6=6000日目・後の土曜に当る)を創造した」(ゾハ-ル・Zohar:光輝の書…其の後の創世記1・11)…「そして神は言われた、地に草を生み出させよ、草は種を生めよ」(VIAMR・ALHIM・TzDShA・HARTz・DShA・OShB・MZRIO・ZRO…8語=8000の意…英語訳)。此の内容は、未だ、【ギリシア語訳・聖書】(ギリシア語・72人訳…旧約聖書)として訳(前288年~紀元前246年頃)される以前に於ける【アッカド語・英訳】の文面に当たります。此の文面的語意が、古代バビロニア(アッカド語)地域から更なる東方への伝播に寄与したのは、捕囚の祖国帰還(B,C,538年…捕囚の祖国帰還許可令)の時に帰還せず、東方の
【昆論山】付近、及び、【三星堆】(古代・先史期の殷に始まる)地域に移住した人達に因るものだと私は考えます。尚、又、別方面、つまり、其の人達は、現在に言うチベット、インド、ミャンマ-(旧・ビルマ)方面等にも移住していました。因みに…【失われたイスラエル・10支族】の人達の末裔が、インドで発見され、インドから現在のイスラエル国に帰還(平成24年=2012/12/25・発信地・テルアビブ&イスラエル)しています。

…此のブログ標題…《 クムラン・秘儀宗団移動ル-トの【痕跡 》… に言う、【キヌ=絹】の語元は、『秀真伝』文書に因ると…「アカヒ、コクワ(木桑)に引く糸を、織って作れる、【ウブギミハ】(産着身衣…ホツマ・第4章)。つまり、「着る」(糸を織った服)が初期的な語元で在りました。尚、我が日本国に於ける、其の、【木桑糸】(蚕糸)のル-ツは、【ニシノハハキミ】(昆論山の西王母)に在ります。然るに、【西王母】(ニシノハハキミ)に付いても『秀真伝』文書は記しています。

…【ニシノハハキミ/西王母】(
24章)…に付いては、「ココリ姫(西王母系)の孫(イトウケステメ)と、クロソノツミの子との子供は、コロヒツ国の君」…と記す。其の、君の母(ウケステメ)は…「険しい峰を越(御輿の元形)に当たり或乗り物(御輿の元形に当る)を造り子を育てた」…そして…「此処(ヤマト=日本国)に来て、まみえ成す」…等と記されています。然して、支那()以前の…「東晋時代(前420年~前317年)の西王母」…に付いては…公元前(B,C,318年~B,C,296年)の【穆天子伝】(竹簡書)に記されています。其の【竹簡書】とは、西晋時代、つまり、「魏の襄(ジョウ)王の墓が汲郡の盗賊に因る盗掘で【竹簡書】が発見されたとされている。其の後、其の竹簡書は『汲塚書・75篇』として整理。其の中の穆天子伝(6巻に纏められている)に、西王母の事が記されています。因みに、中国の古代史研究者の或人に其の事を訊きますと、其の時代は「B,C,5世紀頃」として考えられているとの事。其の時(羽曳野市役所)、其の【穆天子】(ボクテンシ)部分のコピ-(分厚い頁数)を頂きました。

…「B,C,5世紀頃」(穆天子・伝)に当っては…【蜀王本紀】と、【華陽国志】(前漢の東晋時代・B,C,420~B,C,317年)に因よれば…「蚕叢(サンソウ)・柏灌(ハッカン)・魚鳧(ギョフ)・杜宇(トウ)・鼈霊(ベツレイ)王が、秦に征服される迄は蜀国の王として交替しながら治めていた」。又、『史記』(秦・始皇帝時代記)に因れば、養蚕に関連する【牽牛為犠牡】(牽牛・機女二星・天漢…三位一体…牛犠牲祭)が在ったとされています。

…然るに、絹の起元は【殷・蜀】でもあろうが、現在に於ける其の最古的【キヌ…絹の出土地】(B,C,3000年頃)は、浙江(セッコウ)省の蘇州郊外。つまり、其れは「B,C,3000年頃のものとされ…長江下流、南の農耕地帯」(古代の呉・越の地)…からでした。然して、「B,C,1000年頃のエジプト遺跡にも絹片が見つかっています。尚、吉野ヶ里遺跡の【キヌ…絹】は、B,C,500年頃とされている。 

…【キヌ…絹】は、養蚕以外…【野蚕】(…桑の葉以外のイチジクの葉を食す蛾の意も在ります。其れは、【カイコガ族】に属する種とされ、桑
科植物(イチジク & カジュマル・エジプトイチジク)等を寄主(イチジクカサン・テンオビシロカサン)とする。

…然るに、『山海経』(B,C,4~3B,C,世紀頃に随時書き足された地理志の【大荒西経】に因ると、西王母(穆天子にも記載在り)は【西王母之山】。又は、【玉山】(月氏が交易的に支配していた)と呼ばれる山を擁する【崑崙之丘】の洞窟に住み、【西山経】(山海経)では…「人の姿で豹の尾、虎の歯を持ち、よく唸ると在る。そして、蓬髪(乱れた髪)に玉勝(頭飾・機織りに関連する)を戴く彼女は、天の勵(レイ…水害・干魃・地震等の天災)。そして、【五残】(5つの残酷的刑罰)を司るとされ、半人半神の姿として書かれている。又、【海内北経】(山海経)に因ると…「西王母(3月3日誕生)は、机に寄りかかり、勝を戴き、杖をつく」と在るが、其れは人間として書かれている。尚、【三羽の鳥】(海内北経)が西王母の為に食事を運んで来る。等と、其の【大荒西経】は記(大鶩・小鶩・青鳥)す。然して、【ホツマツタヱ】&【ミカサフミ】文書に因ると、【タケヒト】(後に言う神武天皇)の即位(幻の西暦1年目に当る)に関する事として…【ミヤコトリ…都鳥】(三羽の鳥)の事が記述されています。又、後年に書かれた小説【西遊記】(著者=呉承恩・A,D,1506~1582年)では…「蟠桃3600本の内、前列1200本は3000年に一度実を付け、其れを食せば仙人に成る」(中列は不老不死・後列は未来永久に生き続ける)等と在る。つまり、「中央の1200本は6000年に一度」(3×2=6)。「奥の1200百本は9000年に一度」(3×3=9)とする計算式に在る。因みに、其の「3000年に一度の桃」や、「シナキミ」(支那君=徐福?)の事も、『秀真伝』文書に記されています。…『後漢書』(倭人伝)…「會稽(カイケイ)海外有東鯷人、分為二十餘国。又有夷洲及澶洲。傳言秦始皇遣方士徐福將童男女數千人入海、求蓬萊(ホウライ)神仙不得、徐福畏誅不敢還、遂止此洲、世世相承、有數萬家。人民時至會稽市。會稽東冶縣人有入海行遭風、流移至澶洲者。所在絶遠、不可往來」。

…【于闐(ウテン)の養蚕】(A,D,1世紀頃以降)に付いては…「漢の王女が髪に隠して持ち込んだ」等…とされている、其の、【于闐/ホ-タン】の言語は、サカ語サカ語=アーリア系・インドヨ-ロッパ語族・ホ-タン語)で在ったが、【カロシュティ-文字】(インド文字)を使用(硬貨が出土)していた。然るに此の文字は、アルファベットをル-ツとする文字で在ります。然るに、此の【ホ-タン/于闐】国は…「月氏(B,C,3世紀)と交易(白玉石)」…していました…「ホ-タン(于闐/ウテン)から、カロシュティ-文字でホ-タン王名硬貨・裏は漢字で重廿四銖(シュ)銅銭が出土」(A,D,1世紀)。

…【逸文・三五歴紀】(記の表記は間違い)曰…「天地混沌如雞子、盤古生其中、萬八千歳、天地開闢、陽清為天、陰濁為地、盤古(バンコ)在其中、一日九變、神於天、聖於地、天日高一丈、地日厚一丈、盤古日長一丈、如此萬八千歳、天數極高、地數極深、盤古極長、後乃有三皇(女媧・伏義・神農)、數起於一、立於三、成於五、盛於七、處於九、故天去地九萬里」。 

…つまり、上記の文面(三五暦紀…盤古神話)は、「藝文類聚」が引用した文面です。尚、元初の【三五歴紀】は残っていません。然るに、此れに関する【盤古・伝】(神話)は、其の当時(3世紀・三国時代)、我が日本国(ヤマト=ホツマ国)との繋がりを維持していた後漢時代の会稽付近(後の呉国…支那君&西王母・機織り関連する)の人達が、【ホツマツタヱ】&【ミカサフミ】文書の下地で在る処の…「アッカド語に因る創世記の劈頭的文面」…を、漢字に変換し、尚、【盤古・神話】として書き直されたものだと私は考える。何故かと言えば、此の…「盤古神話の種」…とは、此処に言う【ゾハ-ル】Zohar)の文面(語意)の【天地開闢】に在ると考えられるからで在ります。


…【王莽貨幣(新・時代…A,D,1世紀前半)・出土】より、最も早い例は、弥生時代中期(Ⅱ様式…B.C.2~1世紀)の遺跡(北九州市・守恒遺跡)から出土した前漢時代の五銖銭(紀元前122年初鋳)です。尚、其の弥生時代に、日本列島へ持ち込まれた代表的な銭貨としては、新の王莽が発行した貨泉(A,D,16年・初鋳)とされている。尚、大陸からの貨泉出土(弥生時代の遺跡)としては、対馬(シゲノダン遺跡)、壱岐(原ノ辻遺跡)、糸島市(御床松原遺跡)等が在ります。其の頃(紀元前後頃)の漢(現在に言う前漢に当る)の時代に在っては成帝の死に因り哀帝(B,C,6年が立った。そして、王莽は地方に追放された。然し、其の王莽は勉学(古典)に励み、尚、先人に因る予言の研究にも力をいれたとされています。其の、【予言者・王莽】としては神を祀る事に因って、次男(王獲を生け贄(『旧約聖書』…イサクの生け贄説に類似)に捧げ、神に政界復帰を願ったともさている。然る後、哀帝(B,C,2年…月氏国の使者…伊存が景廬に仏教を口伝する)の突然死。そして、幼い平帝を即位(A,D,1年=神武天皇即位年と同年に当る)させた。つまり、此処で王莽は権力を得る事と成る。其の後(平帝の成長)に到り、又、王莽は再度、長男(王宇を生け贄として神を祀る。すると、前回と同じく、平帝も、又、突然死に到った。従って、宣帝の曾孫に当る孺子嬰(当時・2歳を皇太子(A,D,6年)として擁立(王莽の傀儡)し、此処で王莽(仮・皇帝)は完全に政権を握った事に成る。此れらの一連的な悪事(政権奪取的陰謀)は、天下の人達には知られていなかったとされています。


…然る後、尚、王莽は、世に知られていない古文を書を多々見付け、【漢朝・滅亡】(
予言…旧約聖書的文書の引用かも?)を吹聴したともされている。従って、儒学者等に因る緯書等(予言書的文書)が大量に作られた。此れをヒントとして創作されたのが、我が国に言う【讖緯説】革命勘文…讖緯説に基付いてと成すとされる【三善清行/ミヨシキヨツラ】説…唱泰4年辛酉=A,D,901年)で在ります。

【ゾハ-ル】(Zoharのバクリ(
盗む)で在ると私が考える『三五歴紀』の【盤古神話】に因ると…「天地が創造される以前、卵の中身の如く混沌とした状態から盤古が誕生した」…等とされている。尚、述異記』(斉時代を経た…460~508年頃に任昉が書いた文書縁起に因ると、天地が形成された後、盤古は亡くなる。そして、其の死体から万物が生成された」等と記す。然して…「左目から大陽右目から頭と体から五岳泰山)が生まれた」(ゾハ-ル思想に関連する記述内容とも受け取れる)…等と記されている。然して…其れ以前に書かれた…【三五暦紀】(盤古神話)では…「天地が、尚、鶏子()の如く混沌たる時、其の中に生まれ、1日9変し、長ずる事、1丈。天地もそれぞれ1丈ずつ伸びる事【1萬8000歳】(1萬8000÷9=2000)と成り、天地が形成された」(説話)等と記されている。 

…以上…Amebaブログの規定的…「4000字・オ-バ-」…に近づいた為、此処で此のブログは終りと致しますが、此処に集約した文書内容は、【Qumran Sect】(クムラン秘儀宗団)の人達(B,C,31年以後)に因る、極東の島への移動。又、其れ以前(捕囚解放・B,C,538年以降)の…「エゼキエルの預言」…に従い、其の東方や極東の島へと移動してきた人達(前1世紀半頃に於ける大陽の国思想者達をも含む)が通って来たと考えられる、其の「ル-トの痕跡」を考察するに当たり、此処、アメーバブログの許容文字数の範囲を以て書き記した次第です…

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