…【盾津】(近鉄線・吉田=ヨシタ駅付近)古戦場と【ヤオ】の語元 | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!



…「ナザレのイエスの十字架刑は、何故、此の年(A,D30年だった のか?」。然るに、此の年を基点に
満30年(31年)遡った年をAnno Domini(A..D)と称して成す「キリスト元年暦」が6世紀532+31=563前に遡った年を紀元1年とする)に設定されたので有るが、其れ以前(紀元前3年に当たる)、是れと同じ意を以て記された文書が我が日本の歴史書に記載されています。其れは、つまり、極東に於ける古代(先史)我が国(日本国)の歴史書と言えば、乃ち、『現存・日本書紀』で有りますが、而して、『古事記』は日本国家の
歴史書とは違う故、此処では『古事記』に関しては言及致しません。だが、『現存・日本書紀』にも、肝心な
る地名で有る【ヤオ】(現在の大阪府八尾市の地名)に纏わる話しは刪定(削除)されています。

…以下、【死海文書】(1947年発見)の研究に因って得られた事を記す事と致します。

…「カンヤマトイハワレヒコ(後の神武天皇)東征物語」(
国史大系現存・日本書紀』に記載有り)…

…「ホサナhosanna」(ヘブル語救い給えの意)…「イエスエルサレムに入りした時、民衆が祝って挙

げた叫び
声」(『新約聖書マタイ21・9ヨハネ12・12-13)。 

…「ヘブル語ホサナ」→『秀眞伝』 (秀眞アスズ暦サナヱ57年サナト58年として取り込まれている
  
…而して、此の「カンヤマトイハワレヒコ東征物語」が、何故、「西暦元1年目設定基点」に関連しているのかと言えば、其の根拠は【死海(文書】(1947年発見イスラエル国家が国連で承認された年)に有りました。そして、其の文書内用が成就(finish)した意を以て創作されたのが、『日本書紀』記載の「
カンヤマトイハワレヒコ東征物語」(秀眞伝 &三笠文文書に始まる)で在りました。尚、「キリスト31歳説」と「神武即位サナト年日本国家元年設定」の、此の双方に言う基点年に関する謎解きは【西暦紀元元年設定】に関連的に結び付きが有り、其の謎解きのキーワードが【ヤオ】(現在の大阪府【八尾市】の語元、及び、語根です。

イエスは、何故、其の十字架刑の年を選び…《「全能のAL()】の右座に座る(詩篇110・1)」とか、
天の雲に乗って来る(ダニエル書7・13)」》…等と言う。又、「口にすべからずALカミ=上の御名聖句にも匹敵する禁句を自ら語ったのか?。是の言葉が…「当時のユダヤの大祭司達に因る【AL】(カミ≒上)の冒涜で有る」…等と言う解釈の元に、ピラトに告げられ、イエス十字架刑ローマ国の重罪的刑罰方式)に処されたとされています。

…「イエスの行動は、何故此の年でなければ成らなかったのか?」…此の謎解きの答が【秀眞伝】 に
記載されている「29章タケヒトヤマトウチノアヤ」(神武東征=『日本書紀』巻第三)の物語で有ります。

…『新約聖書』に因ると、「イエスが処刑される3年前」、つまり「イエスが宣教を開始する前パフブテスマ

ヨハネマタイ3・1-17)からパブステマを受けた。ヨハネは其の後「斬首?」されました。而して、話しは
極東の島(日本国)の物語に変りますが、其の「キリスト十字架刑」の年代から「33年遡る」、「紀元前3
」(此の時は未だ紀元前と言う考え方は存在しない)の話しとして、其れは極東の我が国に於いては、
タケヒト後の神武天皇即位3年前」(東征物語の最中)に当たる話しとして、我が国の元初的歴史書、
つまり、【秀眞伝】 文書に記載されています。 然るに、「ナガスネヒコの激しい抵抗でイツセ皇子は負傷
し、皇軍は退却を余儀なくされ、戦を後退した地点で占い事が行われた。其の占いの地点の地名(名称)
に対し…【ヤオ】…と【秀眞伝】文書は記しています。然し、『現存・日本書記』(刪定書的偽書)には、此の【ヤオ】(ΙΑΩ=YAO=八尾)の地名は記載していません。

…此の続きは…時々、時間の余裕が有る時、少しずつ書き足して行くつもりですので…宜しく。

…以下【追記】(2013/10/22・火曜)

現在の盾津の地域)は、磐余彦が東征し、龍田越えが無理と成った事から、「アウエモロの館付近に陣を構え、それが「盾津」(現在近鉄線吉田駅北側付近)の語元(現在盾津」で在ったが、現在は其の【盾津】の地名は無くなっています。然し、盾津学校」等の名称として、地図(下に掲載した地図の画像を参照の事)の中に示されていました。従って、此の地域(近鉄線・吉田駅=ヨシタ駅)の現在的位置を示す意を以て、其の地図(インターネットからの転用)を此処に掲載した次第で在ります。

…磐余彦軍は、「盾津」を以て陣を構えるも、此の「日下越え」でも磐余彦軍は苦戦を強いられた事で、更
に、此処から陣を後退、つまり、古代(一世紀頃の河内湖)、此の「盾津」付近に流れ込んでいたヤマトガ
現在八尾の二俣から分かれて流れる玉串川)沿いを後退し、ナガスネヒコ軍の追ってが来ないのを
確かめ、
占事】が行われ、以て、此の地域が【ヤオ】(現在の八尾市の語元と成った)と呼ばれる由縁で
有ります。然るに、此の地域で不利な戦に於いての作戦変更に伴い、戦を引いた地域名が【ヤオ】で在った事が【秀真伝】文書に明記されています。つまり、【ヤオ】ΙΑΩ=YAO=八尾)の語元には、既に、磐余彦(後の神武天皇)の即位1年~第12第目オシロワケ(後の景行天皇)迄の歴年数値(在位通歴790年)が秘められていて、従って、此の磐余彦(後の神武天皇)の即位1年目が、現在の世界暦、即ち、「西暦1年」に成っているので在ります。


以上…此のブログの続きは、余裕の有る時間を見て、又、時々加筆していくつもりですので…宜しく… 


…以下【追記】…
追記…2014/3/28/金曜)…

古今和歌集・序』(仮名序)の始めの部分を、下記に記します

やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきのなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひいだせるなり。花に鳴く鶯、水にすむかはづのこゑをきけば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。 力をもいれずして、天地をうごかし、目に見えぬ鬼神をもあはれとおもはせ、男女のなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは歌なり。

…この歌、天地のひらけはじまりける時よりいできにけり。〈天の
浮橋のしたにて、女神男神となりたまへる亊をいへる歌なり。〉しかあれども、世につたはることは、ひさかたの天にしては、下照姫にはじまり、下照姫とは、天稚御子の妻なり。兄の神のかたち岡谷にうつりてかがやくをよめる夷歌なるべし。これらは文字の数もさだまらず、歌のやうにもあらぬことどもなりあらがねの地にしては、素戔嗚尊よりぞおこりける。ちはやぶる神代には、歌の文字もさだまらず、すなほにして、ことの心わきがたかりけらし。人の世となりて、素戔嗚尊よりぞ、三十文字あまり一文字はよみける。素戔嗚尊は天照大神のこのかみなり。女とすみたまはむとて、出雲国に宮造りしたまふ時に、その所に、やいろの雲のたつを見て、よみたまへるなり。八雲立つ出雲八重垣妻ごめに八重垣つくるその八重垣を(【が正しい)。かくてぞ花をめで、鳥をぅらやみ、霞をあはれび、露をかなしぶ心言葉おほく、さまざまになりにける。遠き所も、いでたつ足もとよりはじまりて、年月をわたり、高き山も、麓のちりひぢよりなりて、天雲たなびくまでおひのぼれるごとくに、この歌もかくのごとくなるべし。難波津の歌は、みかどのおほんはじめなり。〈おほささぎのみかどの、難波津にて、皇子ときこえける時,東宮をたがひにゆづりて位につきたまはれで、三年になりにければ、王仁といふ人のいぶかり思ひて、 よみてたてまつりける歌なり。この花は梅の花をいふなるべし〉…(以下省略します)…
此処に言う「鬼をもヤワす」の意は、「基本・1文字1音」の【5・7調】と、定型詩で成る【31・文字】の語意等に、其の神意(深意)が秘められている事を示唆(元始ヤマト言葉の起元に関連する)していて、此の謎解きも、【ヤオ八尾の語元】を知る事に因って解決します尚、此処に言う【国字】(フモト)の語意は、「踏む元」の意であると共に、【文】(フミ・文書を意味する)を理解する第一歩の事を言っているのであります。つまり、此れが、【元始・倭語】に因る【フミ…文書】の語元です

…以上のブログは、3年前(平成25年=
2013-10-19 00:56:59 )のブログに【追記】した結果、「規定文字数オ-バ-」で、エラ-表示。それで、其のブログのコピ-を以て貼り付け、以下の【追記】文の投稿と致しました。以下…3年後の【追記】(2016=平成28年6月15日・水曜)…と致します…【ヤオ】(大阪府八尾市)の語元は、ギリシア語訳BibleのBereshithに記すノア洪水(阻止祈願版設置年)に関連する数値(580)に在りました。現在【秀真伝文書…ゲマトリア解読率…90%以上】と致します  (此のブログURL・クリック検索)