【神武町】(八尾市の町名)は【日本建国基点1年目】を解き明かす鍵と成る | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

…此のブログ(テーマ・隠されてきた歴史書)の標題、つまり《 【神武町】(八尾市の町名)は【日本建国基点1年目】を解き明かす鍵と成る 》に言う【神武町】とは、八尾市(大阪府)の町名で在りますが、此の町名の語元の初出、及び、其の由来に付いて調べようと考えたのは、今から「約29年前」(1987年・昭和62年)の事に遡ります。其れは、神社の社の【千木】の語元を解明した時からでした。此の事に関連する話(情報)を知らせようと思い、東京の「松本善(ヨシ)之助氏」(『ホツマツタヱ』文書の再発見者)に電話すると…「大阪で研究会(古文献…日本古代文字文献研究会の略称)を行っているから参加しませんか」…との誘いが在りました。初めて其の研究会(大阪市阿倍野区)へ出席(昭和62年=1987/06)し、其の挨拶と自己紹介の時、「八尾市に【神武町】と言う地名が在る」等の事を松本氏が教えてくれました。此れが切っ掛けで、其の【神武町】の由来に付いて、「何時かは?調べてみよう」と思った次第で在ります。後年、地図で調べると、「旧・ヤマトガワ」(現在の長瀬川)からは少し西側に位置していた事から、八尾市は海(ナミハヤ)の近辺だったのかと言う鑑みも在っての事でした。然し、此の【神武町】の町名の初出を知る事の作業に本格的に取り組んだのは、今年(平成28年・2016/02)に成ってからでした。此れ迄も、八尾市内の地名を調べる時には必ずアプローチはしていたので在りましたが、【神武町】では、其の町名の起元に関しては検索に引っかからず、其の都度、後回し的にしていた次第で在りました。そして今年(千木の語元発見から29年目)、心臓の検査(不整脈・心筋梗塞の恐れ)をする事と成りました。其の折、其の病院の近くの久宝寺町の近くを調べてみますと、昔、長瀬川(旧・ヤマト川の本流とされている)の川沿いに位置する澁川神社付近から、平野方面へ、枝分かれしていた川が在った事を知りました。

…今迄、【神武町】の初出を知ろうとして検索するも、何の手掛かりも見出せず後回し的にしていたが、今年に入って八尾市の市役所へ行く機会が多かったせいか、直接、八尾市の人に訊く事にしました。それで、先日(2月)、八尾の市役所へ行った折、市役所(情報公開室)の人に直接訊いて見ると、八尾市が発足する時、「新しい町名」として【神武町】が造語されたとの事でした。それで、其の由来を訊くと、古文書(八尾市・光正寺)に書かれていた事を以ての事で、其の古文の内容に付いては八尾市の古文の専門家に聞いて下さいとの事だった。それで、自転車で八尾市の東に位置する信貴山の麓の処の【八尾市立歴史民族資料館…火曜日休館・一般観覧料200円】(〒581-0862・八尾市千塚3丁目180-1)へ、「12時50分頃」に着き、其の件の事を受付の人に言うと、其の古文の専門家の人は昼から会議との事で会う事が出来ませんとの事。それで、其の翌日(土曜)の午前中、其の古文が保管されていた寺に電話をし、其の古文の事に付いて訊くと、「全て八尾市にお願いしており、其の内容の事に付いては解りません」…等の事で、昼から八尾市立図書館へ行って【八尾市】の由来に付いて書かれている文書を検索し、其の部分をパソコンで抜き出して頂きました。

…其の結果、大阪府の地名事典の中の或ページに、其の古文の事が取り込まれているとの事で、其の地名辞典の或ページ付近を広げてみると、「【竹渕】の地名(現在の八尾市の町名となっている)由来」が記されていました。其の内容は…「ナガスネヒコとの戦の時、戦いが不利に成った神武の軍勢は退却を余儀なくされ、其の退却した地域が竹渕(八尾市)だった」…等の記事内容でした。因みに、我が国最古の歴史書とされる『現存・日本書記』には、此の部分の内容事(神変)は記されていません。然るに、其の古文の内容は、其の当時の地形を良く知っている現地の人達しか知り得ない、其れは本当に貴重な情報で在ると言う事に成ります。従って、事、【ヤマト(日本)・建国起元史】と致しますれば、此処の記述内容は注目に値する処部分で在ると言う事で在ります。然る意に在って、【竹淵村】(和名抄…タコチムラの地名は、其の土地の神社の由緒として書き残す事に因って、此処が【神武遠征・建国起点地】(物語)的、其の歴史の第1ページとして、尚、其の証拠としての文書(周知)が記録されていたので在りました。

…今迄、何時も私は【神武町】(八尾市の町名)の名目で、其の出自に対し、色々な書物を調べ、パソコンでの検索に於いても、依然として引っかからなかった訳は、つまり、此の町名【神武町】とは、「八尾市の造語」だったからで在りました。

…現在に言う【ヤマトガワ】(漢字表記は大和川)は、其の昔の付け替え工事を以て、柏原市と藤井寺市との境目(石川)に位置する処から西側へ川筋が変えられていて、現在に言う大和川(堺市の海に流れ込む)は、日本書紀に言う「神武・東征物語」の舞台的な川筋では在りません。然るに、「神武・東征物語」の時の【ヤマトガワ】(ヤマアトガワ)とは、現在に言う【長瀬川】(【玉串川】も其の範疇に入れられている)等に当たりとされています。然して、【ヤマトガワ】の初出は、『ホツマツタヱ』文書に記述された処の…「ヤマアトカワオサカノボリ」(山後川を遡り)…を初出と致します。然るに、何故、【ヤマ・アト・ガワ】と記述されたのかと言えば、つまり、此処に…《 暫定的…【日本国家・起元1年目設定】の秘密 》…が、隠されていたので在りました。此の秘密を解く、其のキーワードと成るのが、八尾市の【渋川】(古代期・渋川郡)の名称、つまり、其の語元で在ります。此処に言う【ヤマ・アト・カワ】(山後川)とは、八尾市の川で在る【シブカワ】(渋川)とは、同義語だったので在ります。然るに、現在の漢字表記に言う【渋川】(シブカワ)の名称に対する、其の語根に至っては、【タケヒト(神武)・東征物語】(ホツマツタヱ・文書)と、又、【ヤマト(日本)・カミヨ物語】(ホツマツタヱ・文書)の創作過程に組み込まれていた【秘儀数値】(カバラ式…倭語対応方式)に基付いて造語(シブカワ)されていたので在ります。従って、先述の古文に記す神武…神変的な記述表記を考察すれば、此処に言う【タケヒト(神武)…東征物語】、又、【カミヨ…物語】(ホツマツタヱ・文書)の創作目的は…《 日本人の聖書 》…としての位置付けを狙っての創作で在ったと考えられます。従って、其の証拠的、古文の内容を考察すれば、【タケヒト(神武)…東征物語】が意図する処の過程的舞台裏を覗き見する処と成るので在ります…

…《 【オニ・鬼】と【カッパ・河童】の語元 》
…因みに、【日本建国史】として書く中に、歴史とは少しかけ離れた【オニ】、【カッパ】の語元を敢えて採択するとれば、其れは【日本建国史】以前に当る【カミヨ…物語】(ホツマツタヱ・文書)の創作過程に於ける舞台裏の話と成るので在りますが、早い話が
…《 【オニ・鬼】と【カッパ・河童】の語元 》とは、つまり、其の双方の語元に在っては、対比的位置を有す処に此の造語が見えてくるので在ります。

…然して、此処に言う「カミヨ物語…創作過程の舞台裏」とは、つまり、【ホツマ文字&ゲマトリア】との対応表(
筆者・作成済)を以ての考察に成ります。然るに、【ホツマツタヱ】文書に言う【オニ】とは、「終った者()】(汚穢)の意を意味表す言語で在ります。尚、【カッパ】とは【ホホデミ尊】に当たります。其の意味する処は、【復活】で在った。因みに、『現存・日本書記』(国史大系書)の【神武天皇】に対し…「號(号)曰、神日本磐余彦火火出見天皇」…と記述されています。

「武内は代の永人」…
…『現存・日本書記』が、【初代天皇・神武】に対し &【ホホデミ尊】(カミヨ・11代目)》と道義的な記述(肇国知らすスメラミコト)をしているのは、【現世】と「カミヨ】との接点の存在を示唆する必要が在ったからでした。其れは又、【コノハナノサクヤヒメ】(木花咲姫)の三兄弟(三ツ子)の中で、皇室系統が【ホホデミ尊】系で在ると言う事が定義された事を意味表しています。然るに、此の事を補強しているのが『現存・日本書記』(【逸書・日本紀】の刪定版)の「神功皇后紀・武内宿禰の条」で在ります。因みに、【武内宿禰】の長大なる在位年数値に関しては…《 『日本国家創建 設計図』(復元・図表完成…此のブログURL →  http://ameblo.jp/erusaremu464/entry-12058118287.html ←クリックして検索)》…に記しています。

『現存・日本書記』に引き継がれた【ホツマ・思想】…
…此処に言う【ホツマ・思想】とは、「ニニキネ尊(瓊々杵尊)系の皇統系図」に集約する事が出来ます。其の系図の始まりは【ホツマ・神話】(『日本神話』)では在るが、歴史的史実に基付けば、【ホホデミ尊】(木の花咲くや姫の子)から始まっていて、此の事が顕著に示されているのが【応神天皇~継体天皇】紀で在ります。尚、其の事を補足するのが【干支年】や【元号】(二中歴を参照されたし)の付記方式であります。此の方式(書式)は、現在迄も【ヱト】(兄弟)年として引き継がれています。

…「難波長柄・豊埼宮」のトヨの語元…
…【トヨ】の初出以前、つまり、其の【トヨ】の語元に先立つ造語が先ず問題視されなければ此の語元には辿り着く事が出来ません。従って、此処に言う【トヨ】とは何なのかと言う処に着目する必要が在ります。因みに、伊勢外宮の【トヨウケ】とは古代ユダヤ民族の【タビデ】(イスラエル初代国王)を言い表す言語でした。つまり、『新約聖書』に言う【キリスト】(メシア)は、「ダビデから14代目」(マタイ伝)として計算されています。此れはゲマトリア言語(秘儀数値・言語)を示唆した表記方式です。然るに、『新約聖書』では、ダビデの系譜で在る事を証明する意として【数値14】を当て嵌めています。従って、我が国に於ける【カミヨ・物語】に在ってもは、直接的、【倭語数値・トヨ】の造語を以て、【ホツマツタヱ・文書】は取り込んでいます。

…元始ヤマトコトバに因る【造語・トヨ】の語元は、【倭語ゲマトリア数値・14】、即ち…《【10】(ト)&【4】(ヨ)》…で在る。従って、此の数値を単語(トヨ)と成し、以て、【トヨウケ】(豊受)の単語を造語する事に因り、数値の加算方式(14+14~=42はイエスキリストの数値)を不要としています。因みに、我が国に於ける【カミヨ・物語】(ホツマツタヱ文書…後に言う『日本神話』)に於いては、「初代トヨウケ】~【第5代目トヨウケ】(イザナミ尊の親)の系譜以て、我が国(元始・ヤマトクニ)の最高神と成す【第8代目・天照大神】の誕生物語を組み込んだ【カミヨ・物語】が設定されました。然るに、此の単語【トヨ】の設定者は、現在に言う、久宝寺(八尾市)付近に居住地を置いていたと考えられる【ヤオのアラビト】(【ヤオ】は現在八尾市の名称に成っている)で在ます。

…因みに、現在に言う【神武町】(八尾市の町名)の名称は、戦後の市町村統合に於ける番地の設置に伴い、新に追加された町名で在りました。然して、其の由来は、文書物語に起因する神武東征物語に起因し、其の、ナガスネヒコとの戦いに於いては、『秀真伝』(姉妹書・三笠文)文書にのみ記述された内容が下敷きになっていたので在ります。其れは、つまり、日本史としては古代期(先史・律令以前史)に於ける地元の其の地形を良く知る人達でなければ書けない内容に基付いて考え出された町名(神武町)で在りました。…【追記】…では、何故、近世に於ける八尾市(大阪府)の町名として造語されていた【神武町】の町名が、【日本国家起1年設定思想・解読】(元始ヤマトクニ建国1年基点年設定思想)の【鍵】と成るのかと言えば、つまり、【トヨ…葦原国】とは、古代期(弥生中期・紀元前後30年頃)の河内湾岸の情景を示唆する言語で在った事を物語っているからで在ります。其処に言う【トヨ】の語意とは、【古代期…河内湾岸】(現在。大阪府&大阪市の中心的位置を形成している)の情景を、【ペシェル】(pesher…ヘブル語・術語…注解)的に表現された造語だったからで在ります。

…【ペシェル・pesher】(【死海文書】に記述…幻を書き記せ)…に言う【幻の歴年数値】(天鈴暦)を以て書かれた創作的物語が『ホツマツタヱ』(【秀真伝】&【三笠文】)文書で在ります。此の歴年数値は【秘儀数値】を以て割り振りされ、又、在る法則を以て、【セプトゥアギンタ】(ギリシア語・72人訳モーセ五書)の【アダム~ノア迄】の【秘儀数値】に繋げられています。因みに、『死海文書』を書き残した【クムラン宗団】(QumranSect)は、【ヘブル語・聖書】も取り込んでいるが、事、『秀真伝』(姉妹書・三笠文)に在っては、【ギリシア語訳・聖書】の「アダム~ノア迄の歴年数値」を取り込んでいます。そして、【千木】(倭語数値1000を語元と成す)の造語を以て、【カミヨ・物語】(300萬年の中での物語)の歴年数値に結び付けられていました。然るに…「タカマノハラニチキタカシリテ…」(中臣…祝詞)…等と言う祝詞の中の【千木】の語義に至っては、【アダム~ノア】迄の秘儀数値との接点的な存在を意味表していたので在りました。

下記に【追記】(平成28年・2016/03/10・木曜…明日は【2011/03/11/金曜…東日本の巨大地震に因る大津波発生】から5年目…

…明日は「東日本の巨大地震に伴う大津波から5年目」を迎えます。然して、其れは【クムラン・巨大地震年】(前31年かられ数えれば「2046年目」に当たります。然るに、クムラン宗団(秘儀宗団)が、クムランの居住地を棄て、極東の此の島(現在に言う日本列島)へ移動して来て、新た成る理想郷を目指し作成した【ペシェル・pesher】(ヘブル語・術語…注解)的文書、即ち、『秀真伝』(姉妹書・三笠文)文書を用いて、尚、此れを【日本建国史】と成すに当たり、選ばれた【カミヨ・物語】の発生的、其の地域が、此処に言う【ホツマ国】(現在に言う東日本の地域)で在りました。因みに、『古今和歌集』の序に記述されている処の…【定型詩・31文字…和歌】(鬼の心をもヤワス歌)…の語元、及び、其の【定型詩・和歌】の【基本文字数・31の数値は、【メシア・来臨起点年設定】から31年目として設定されていたのでした。従って、此の【秘儀数値】(31の意味する処は…「カミ()の数値」…として定義されていたので在ります。

…【東日本の早期復興】…
頑張って下さい…


下記に【追記】(2016/04/09・土曜)…【竹渕(タコチ)・神社】の祭事が【天照大神】で在る訳とは
…今日、昼から【竹渕(タコチ)・神社】(八尾市竹渕)に行って、此の神社の祭神の御名(天照大神)を写真に撮って確かめてきました。何故かと言いますと、【神武天皇・即位1年目設定】(幻の西暦1年目)とは、【メシア・来臨起点年】の施行起点年で在ると共に、【天照大神・祭祀年】の設定にも直接的に関係しているからで在ります。つまり、我が日本の国は、古来、「カミ()ノクニ」と呼ばれる由縁は、ユダヤ教に言う【唯一神】( Y H V H )を我が日本の国に祀った事に在りました。然し、【Jerusalem】(イェルサレム)以外の地に、ユダヤ教の唯一神を祀る事は禁止されています。然し、例外(オニアス4世がエジプトで行っています)が在りました。其れで、其の例にならって、我が国に於いても【太陽の町】を設置する事にしたので在ります。従って、【竹渕神社】の祭神は【天照大神】だったと言う事に成ります。因みに、【幻の西暦1年目・設定年】に対し…「天鈴暦58年・サナト(辛酉)」…の時として定義されたのは、
【創世記】(49-10)の「IBAShILH」(イエバシロ-)語意に在りました。

此の続きは後日と致します…



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