№①…【日本】(ヒノモト)の語元 | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

『日本国家創建 設計図』(完成・2015/06/15/月曜…【創世記・暦】(世界暦)、及び、『日本神話』起点年数値179万2470年を、【死海遺跡文書】(1947年発見)で解き明かす…

…「日之本(Japan)の語意は、ベルガモン王国(前2世紀・ローマの属州に成った)に起因(アス⇒アシア)する。現在に言う【アジア】の名称は、其の昔、「トロイの木馬」(ローマ人の故郷)で有名な地域だったベルガモン王国が、紀元前133年の時、共和政ロ-マに遺贈(アッタロス3世の遺書)された事に起因する。然るに、其の地域はローマから見て、東(アス+接尾辞イア=アシア)を意味表す行政上の名称【アシア】(東の地)として、初めて用いられた名称で在る。「アナトリア」(トルコ)然り、此の名称も、ギリシア語の「日の出・東」に由来する。

…此の「ベルガモン王国・遺贈」(前133年)の頃、此の地域では【太陽の国・思想】アリストニコスは国内の奴隷や農奴に自由を約束)が在った。然るに、アリストニコス(非摘出子)は、ローマに対し、【太陽の国思想】(平等的・奴隷や農奴の解放思想)を以て反乱を起こしたので在る。然して、其れ以前、此れに似た、ロ-マに対する反乱は、属州シチリアでも起こっていて、其の、アリストニコスの反乱(前133~前129年)は、4年(満)後に鎮圧され、其の後、此のベルガモン王国は、「ロ-マ・ポントス・カッパドキア」に分割された。

…話は変りますが、紀元前140年頃、イェルサレムに招集された大集会に於いて、下級的、田舎の祭祀一族で在ったマカベア一家のシモンは、【大祭司・民族支配者・ユダヤ軍最高指令官】に任命された(聖書年表)。此れは何を意味するかと言えば、当時のユダヤ教に於ける大祭司のオニアス4世(サドク系)が、マカベア一家(レビ系)に、伝統的ユダヤ民族の世襲制に於ける大祭司職を簒奪されたと言う事で在ります。然る時代の事は、『マカベア書』(旧約聖書・外典)に記載されています。従って、其の時代背景を考察すれば、【ダマスコ契約・秘儀宗団】前177年頃・義の教師現る…前587-390-20=前177年頃に結成された) は、敵対するシリアのアンティオコス4世に対し反乱を起こしたマカベア一家に加勢し、其の反乱を以て、イエフダは、イェルサレムを奪回する。そして、其の勝利(前163年)を以て、【ハヌカ祭】(光の祭・宮
潔め)の起元と成るので在るがが、先述のオニアス4世(エジプトに亡命)の時と同じく、【ダマスコ契約・秘儀宗団】者達も、其の勝利以後、マカベア一家とは敵対関係に至ったので在った。然る後、此の、秘儀宗団者達(ダマスコ契約集団)は、クムランに居住的拠点(前125年頃)を得て定着し、其処が【クムラン共同体】(脱・ユダヤ教)】の修行の拠点地と成る。

…つまり【ダマスコ契約・秘儀宗団】者達も、伝統的世襲制を継承していた大祭司オニアス4世を追い出し大祭司職を手中に収めたマカベア一家とは、決裂していたと言う事在る。然るに、【悔い改めの義】に於ける修行の場を、クムラン地域に確保する迄の間、【太陽の国・思想】の人達(ローマの属州に抵抗したベルガモン王国の人達)と、ダマスコか、若しくは、其の地域付近(ビブロス港・現在のレパント)で交流が在った可能性が在る。其の交流の目的は…「新た成る太陽の国建設に向けての新天地探し」…だったと考えられる。

…【ダマスコ契約・秘儀宗団】者達の流浪の頃(前200年頃~前140年頃
、ベルガモン王国に於いては、図書館の蔵書の数をエジプト(此の時代はギリシア人がエジプトの王で在った)と競った為、エジプトのパピルスは、プトレマイオス朝時代に、ペルガモン王国に対し禁輸の処置が執られた。従って、ベルガモン王国のユウメネウス2世(前197~前159年)の時、【良質・獣皮紙】(パーチメント)が、ベルガモン王国で製造される事と成る。然るに、『死海遺跡巻物』の、其の巻物(文書)とは【獣皮紙】(パーチメント)で在る。

…『現存・日本書記』(偽書)の底本で在る処の『秀真伝』(姉妹書的【逸書・三笠文】)文書は、何故、タケヒト(紀・神武天皇)の皇后の名称に対し、ヰソススヒメ五十鈴姫)と命名し、創作したのか。又、タケヒトの在位年を「76年」と設定したのか、尚、東征に於ける本拠地に対し、何故…【ヤオ】(現在の八尾市の名称)…の地名が用いられたのか、等の答えは、上記に記す、地中海沿岸文化圏諸国の【国家存亡史】、及び、『死海遺跡文書』(1947年発見)を以て、知る事が出来る。

…『秀真伝』文書の作者とされる大物主家(素戔嗚尊を祖とする)の元祖は、【太陽の国・思想】前133年頃・ベルガモン王国)の人達と考えられる。其の根拠は、『秀真伝』文書の神話の条(オオナムチに関する記事)に在る。然るに…『秀真伝』、及び、其の姉妹書的【ミカサフミ】(三笠文)とは、紀元前、既に発見されていた【完全数】「498」「8128」の数値を用い、【日本人の正典】(Bible)として纏められた文書で在った。

…【クムラン共同体・発足】(前150年頃~前134年頃)は、「義の教師が此の会衆を率いた」(ドウ・ブォー説)と考えられていて、其の、
【クムラン共同体・発足】後、【メシア・待望思想】(第4洞穴出土・宗教要覧第9欄11行)が興る事と成る。従って、此の、【メシア・待望思想】とは、【脱・ユダヤ教思想】で在った。従って、其の後年(B,C30年頃)に至って、【脱・ユダヤ教】を目指したJesus(イエス)に、其の思想(バプテスマのヨハネを通じ)が引き継がれる事と成る。つまり、【メシア・待望思想】とは、「ユダヤ教とは一線を画す」思想だったと言う事で在る。

【終末論】(時の終り)は、死海付近(クムラン)に共同体(ダマスコ契約)が修行の地を確保(前134年)前に書かれていた。因みに、先述の【太陽の国・思想】に関し、Googleで検索して見ると、以下の如く、【太陽の国】(奴隷中心の平等な社会)としての記述が在る。

Google検索  【東進世界史B1門1答】…「ロ-マ
では奴隷は酷使され、前135年に【A】の奴隷反乱、前133年には小アジアの【Bの蜂起などが発生した。【B】の蜂起は奴隷中心の平等な社会【Cを建設しようとした。…【答え】… A=シチリア・B=アリストニコス・C=太陽の国。以上、コピーして此処に貼り付けました。 他 Google検索 ⇒ 「前227年・シチリアがロ-マの属州と成る」。「前218年~前201・第2次ポエニ戦争」(ハンニバルのアルプス越え)。

ベルガモン王国の、【太陽の国・思想】(国内の奴隷や農奴に自由を約束)とは、アッタロス3世の父の非嫡出子で在るアリストニコス率いる反乱を言い得ていて、其れは、小アジアのペルガモン王国で勃発した事を言い表す用語で在る。然るに、此の反乱は、前133年の時、ベルガモン王国(巻物羊皮紙の生産国)が、共和政ローマに遺贈(遺書)された年に始まっていて、【クムラン共同体・発足】(前134年頃)以前、つまり、義の教師に率いられての「ダマスコ契約」時代頃の事、此のダマスコの地に於いて、【太陽の国・建国思想】の人達と、パーチメント(獣皮紙)の入手(ビブロス港・現在のレバント)に関し、又、双方の国に発生した反乱に関連し、ベルガモン王国の人達と、古代イスラエル国の其の共同体の人達との何らかの接触が在った可能性を年代の中に見出す事が出来る

【メシア・待望論】
二人のメシア論)は、【終末論】(エノクの10週年・4900年)等(ダニエル書・他)に起因するが、現実的、【神の顕現】的体験に遭遇(ヘロデ王の第7年)するに至っては、此の共同体のトップグループの人達は、終末論に直結する答えを導き出すに至った。其れが、即ち、此の共同体のトップグループ達が決行した【東方・移動】エゼキエル書に従った)で在る。引いては【クムラン・共同体】のトップク゜ループは、
【メシア・待望論】(二人のメシア)を必然的に放棄した事に成る。然るに、「東方移動の目的地」とは、既に、紀元前2世紀中頃、開拓済(太陽の国・思想者との共同開拓)で在った極東の島(現在に言う日本列島)で在る。

…以下【追記】(2015年6月29日・月曜)
…つまり、古代史以前、其の先史に言う【造語 ⇒ ヒノモト】日之本⇒日本)と言う語意は、此の極東の島への移動者達(クムラン共同体・トップ宗団者)が新に創設した新た成る国の公用語、即ち、【文字言語・ヤマトコトバ】に因って造語された単語(ヒノモト)で在。其の言語の創案は、「ダマスコ契約」地の、其の地域名に起因する。然るに、【ヒノモト】(日之本の語意を突き詰めれば…《「シロが来る」(聖書・創世記49・10)⇒「シロ」(社の語元)⇒「シロ」⇒「白色」(白色の名称・東を意味表す)⇒「日の頭」(ヒノカシラ)⇒「ヒガシ」(東の語元)⇒「ヒノモト」(日之本)と成る。此れが、【造語・ヒノモト】(日之本)の語元(縮図語)で在る。

…然して、【ヤマト】の語元(YHVH・顕現年に起因)は日本人の聖書、即ち、【ホツマツタヱ】(秀真伝)文書、そして、【ミカサフミ】(三笠文)文書を作成するに当たり、必須的に取り込まれた言語(造語・ヤマト)で在る。然して、此の【ホツマ・クニ】(秀真・国)に言う【ホツマ】の語意は、【フトマニ】(太占)を意味表す秘儀数値を媒介にしている事を知る人にぞ、初めて顕著な数値として捉える事が出来る事と成るので在る。然る意を以て【千木】の語元を解明するに至り、【ホツマ&ミカサ文書文字】(幾何学的形状文字とは、換言すれば【元初・ヤマトコトバ文字の元字】で在ると言う事に成る。

【元初倭文字&ヤマトコトバ】の起元(起源の意ではありません)ルートを探求すれば、ギリシア人に因って初めて【基本・5母音】(発音アイウエオ)に対し、文字を以て表記する方式が確立された。此の古代ギリシア方式を、世界最初的に採用(文字配列方式)した文字言語が、此処に言う処の【ホツマ&ミカサ文書文字】(幾何学的形状文字・配列方式で在る。然して、「ヒノモト」(単語)然り、現在、我が日本国に於ける日本語の起元論を我が国の国学者が唱える処に因れば、奈良時代(律令)以前、つまり、先史に行き着く【元初・ヤマトコトバ】(基本48文字・文字言語)に関しては…「我が日本国家としてのコトバの始まりは解りません」…等としか答える道を持ち得ていないのが現状で在ります。従って、我が国の国学とは、「日本国家の始まり」を研究する機関では無いと言う事、明確で在ります。

…従って、【日本国家・建国起元年】が知りたければ、在野の研究者の研究方式の方が最先端を行っていると言っても過言では在りません。然るに、此の文字方式に因る、我が国の国語(日本語)の設定、確立、及び、国家(一宇・イチウ)の成り立ち的本質を追求すれば、【ミタマノフユ】(秀真伝に記載在り)、即ち、【太陽の国・思想国家完成】(ベルガモン王国起点思想)起点年迄にも行き着く事と成る。


…我が日本国(日之本)成立に言う【国家】の語意は…「日之本に対する追求者」…だけにしか知り得ない言語表記で在った。つまり、漢字表記方式に言う【国家】の本質は…《【日之本・神話思想】の語意》…に在って、世界広と言えど、此の用語(国家)に当て嵌まる国は、我が日本国以外、何処にも存在致しません。早い話が、【国家】とは、「我が日本国だけを指す言語(用語)なので在る。

…以下【追記】(2015年7月3日・金曜)
…日本語に言う【コッカ】(国家)の定義は、先ず、『現存・日本書記』に記す処の…「而為宇」の文字に対する解釈方式に在る。つまり…

…「上()則(即ち)答乾霊(祖先霊)授国之徳、下()則弘(ヒロメル)皇孫養(ヤシナウ)正之心、然後、兼六合(3+3 = 6)、以開都(ヤマト)、掩(覆ウ)八紘(又・太占)、而為宇(太占48+1=49アウワ・カミ)、不亦可乎」(神武即位前年3月)…。【】…「カッコ内の青字の翻訳文は筆者説」

…然るに、最近一般的に言われている「八紘一宇」とは、大正時代(明治以降)の造語(田中智學)以ての解釈で在った。従って、元典(現存『日本書記』)記載の「八紘而為宇」の語意を正しく認識し、解釈し直す必要が在る。然るに、筆者説に於いては、「上(3)+下() = 」(カバラ・秘儀数値)と成る。此の答えをは、『秀真伝』文中から導き出しました。

「八紘而為宇」(紀)…に言う】とは、【幾何学的形状文字】(秀真文字)の【】(△図形の中心に点を付す形の文字)の語意に対する翻訳語で在り、其の意味する処は、太占(フトマニ)図形の中心に付された「アウワ」(3文字・48字の中の重複文字)の語句中の【ウ】を意味表す言語で在る。然るに、此の三角の形状を以て神社の屋根の骨組みが構成さている。従って、此の頭文字を以て倭語に於ける「ウチ」(内宮・家)の語元と成る。其処から、伊勢神宮に言う「ウチミヤ・ソトミヤ」(内外宮)の言語が造語されたので在る。然るに、「内宮」には、日本国内のカミ(天照大神)が祀られ、「外宮」には元国的「サコクシロ」(イスラエルのY H V H ・Godの魂の住所)を意味表す御名(トヨウケ)が、其のカミ(Y H V H) の数値に因んで勧請(雄略22年A,D,478年)される事と成る。

…《『大辞林 第三』の解説…ワイダメ(弁別・分別)》…に因ると、「(濁音・ワイダメ)古くは【清音・ワイタメ】」(けじめ。区別。差別)。…「老若男女の【分別の翻訳語ワイタメ】なく/安愚楽鍋(魯文)」。「神物官物・また・未だ【弁別&分別の翻訳語ワイタメ】せず/古語拾遺」(Google・検索)。

…『古語拾遺』(齋部廣成)の抜粋記事(Google・検索)…「
令朝四方之國、以觀天位之貴。当此之時、帝之与神、其際未遠。同殿共床、以此爲常。故神物官物亦【未分(翻訳語ワイタメ)】、別宮内立藏号齋藏。令齋部氏、永任其職」。…次は現代語訳…「物部は矛盾を立て、大伴久米は杖を建てて門を開け、四方の国に朝廷と天位の貴い事を示させた。この時に帝と神の距離は遠くなく同じ殿で床を共にされていて、是れを常とされていた。故に、神物も官物も未だ分別(翻訳語ワイタメ)されていなかった。宮内に蔵を建て斎蔵(イミクラ)と名付けて斎部氏を永くその職に任じた」(Google・検索)。【注】…「カッコ内の青文字と赤文字の訳語」は、筆者が勝手に挿入しました。

…『現存・日本書記』の漢字表記…【神功皇后即位前期 ⇒ 節無】(翻訳語ワイタメ)。又、【応神天皇9年 ⇒ 弁明乃辨無/翻訳語ワイタメ=秩序無し。然るに、上記に言う「古語の翻訳語・ワイタメ」の初出の検索に於いて、又、其の翻訳語で在る処の出処に関する言語(ワイタメ)に関しても、「Google・検索」に出て来ず、多分、他の検索でも出てこないと思われますが、此の「ワイタメ」の言語は、「ホツマツタヱ・文書」には、明確な説明を以て記述されている。然るに、ホツマに言うワイタメとは、【フトマニ】(太占)を示唆する言語で在り、従って、『現存・日本書記』記載【八紘而為宇】大正時代の造語・八紘一宇)の文字中に在る【宇】の字に対し、【家】(イエ・ウチ・ヤ)の語意を以ての翻訳語が造語されるに至り、【日本紀】(逸書)に記載されたので在る。其れが、其の後年に於いて、偽書的(刪定的に書き変え文書)『現存・日本書記』を以て存続し、現在に至っている。

 

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