…伊万里富士(腰岳)の黒曜石に始る【日之本・建国史】(B,C 二世紀)… | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

…此の記事は… http://ameblo.jp/erusaremu464/entry-12030818345.html ドラッグして検索)URL…【初期・ヤマト民族】の活動拠点地【伊万里富士・腰岳】(標題)…文書の続きと致します。

…元始ヤマト言葉に言う【ヒノモト】(日之本)。其の語元は、紀元前、ベルガモン(ローマの属州)を中心としての東側(アス+イア=アシア)を示唆する言語(現在に言うアジア)に起因する。つまり、元始倭語(ヤマトコトバ)に言う「ヒノモト」の語意は、紀元前に於ける地中海沿岸文化圏諸国に言う先進文化(ローマ)地域から見て、太陽の昇る方向を意味する言語が語元で在る。

…古代ユダヤ民族の捕囚(前586年)の身に在って、エゼキエルの預言を全うした秘儀宗団者(1947年発見『死海文書』に記載)の一部の人達は、【太陽の国・創建】の意図を以て、其の新天地を求め、東へ移動(前2世紀)を開始した。尚、現地(メソポタミア)に止まっていた【秘儀宗団】者達は、古代ユダヤ民族の地に戻り、「脱・ユダヤ教」を目指す宗教活動を開始した。然るに、此処に言う「脱・ユダヤ教」思想に始まったのが【メシア来臨・思想】で在り、其の思想を現地(ユダヤ民族の地)で引き継いでいた人達のグループから、後年(A,D,31年)に至り…「原始・キリスト教」…が生まれる事と成る。

…前者、即ち、地中海沿岸(東側)地域からの先発隊は、海路に於ける沖縄諸島を経て極東へ辿り着き、【メシア来臨思想】(日之本建国)の為の作業に取りかかった。其の第一歩が、太古の昔から用いられていたとされる黒曜石(石器)の活用で在った。そして、腰岳(伊万里産出)の良質な黒曜石に着目し、先ず、此の腰岳付近を拠点に、【メシア思想・日之本建国】に向けた国造が開始されたので在る。

【前漢書・地理志】記載…「倭人在り…わかれて100余国」(前108年)…等の記事内容は、紀元前に於ける西北九州地域の国々(100餘国)を意味表している。然るに、此の裏付け的根拠は、紀元前2~1世紀頃の貴重な【大型・甕棺】が、伊万里地域(佐賀県)から出土している事に在る。尚、我が国に於ける最古の文献資料と致しましては、『秀真伝』然り、其の姉妹書【三笠文】(ミカサフミ)の中の、「タカマナルアヤ」…と致します。

…吉野ヶ里遺跡出土の甕棺墓。其の【甕】(カメ)の語元は、動物の亀(タートル・亀…甕)に在る。従って、「ツル・カメ」の語元も此処に在り、祝詞に於ける、フトマニ(太占)に亀の甲羅が用いられた。然し、其の加工の難しさから、加工のしやすい「鹿の片骨」が用いられる事と成る。何故、亀の甲羅だったのかと言えば…「亀の甲羅は天を示唆する意図」…に在る。然るに、吉野ヶ里遺跡の甕棺墓思想は、元を正せば、伊万里(腰岳)の黒曜石に着目した【ダマスコ契約・秘儀宗団】(Qumran・Sect)の先発隊(先駆)時代に遡る思想に始まったので在る。然るに、其の【甕棺】の義は、【亀船・思想】(使者の魂を天へ運ぶ思想・エジプト文明)に起因する。

…因みに、太占(フトマニ)に於ける【亀甲羅】使用には、其の材料を加工して用意する事が困難だった。然るに、先史(日本古代史・以前)、即ち、、其の遥か西方(地中海方面)思想に在っては、亀は、天と地を結ぶとされ、【日之本・神話】を創作するに当たり、【役職・サオシカ】(鹿の語元)を【カミ】()の使いと定義された事を以て、「鹿肩骨をフトマニ(太占)儀式の材料」に採用されたので在る。

…以下【追記】平成27年6月20日・土曜)…
…【フトマニ】の語元は、【数秘術】(カバラ)に在る。其の【数秘術】を以て【額・物語】、【枠・物語】、即ち、【秀真伝&三笠文】が…《 日本人の正典(Bible・聖書) 》…として創作されたので在る。何故、【額・物語】(枠・物語)かと言えば、其れは、後年の『万葉集』に言う【ヨロズノコトノハ】定型詩・和歌)にも関連する。つまり、「倭語・ヨロズ」とは【秘儀数値・1万】の意で在ると共に、【元初神】(アメノミナカヌシ)を言い表す言語で在る。然るに、
【秀真伝&三笠文】文書は、【秘儀数値・1万】を、「ミオヤ(天御中主)の住所」と定義し、其の数値の中から、『旧約聖書』に記載されている重要な数値が引き出されて行き、「枠&額」的数値設定に基付いて、神話、人皇物語を創作した。従って、【日本国・開闢神話】~【第12代・オシロワケ】(景行天皇)迄の歴年数値(鈴木暦300百万年~天鈴暦790年迄)は、日本史の中の歴年を意味する数値では在りません。つまり、『現存・日本書記』(偽書)然り、原典(秀真伝・三笠文)記載の「オシロワケ」(景行天皇)の条迄は、「日之本創作神話の範疇」で在ったのだった。
【日本建国史・設計図】図表作成・2015/06/15/月曜)。 

【額&枠】数値(1~790&790~1190)は、先ず、「アダム~ノア迄の歴年数値」を起点として引き延ばされた数値で在る。然るに、其の【額数値1190}】からは、【定型詩・和歌】が考案され、4方位(東南西北)の北の意を言い表す【倭語→】が造語された。又、【枠数値1190】からは、人皇歴年(790)が抜き出され、其の歴年数値は、更に【③完全数496】の数値 を以て区切られた。此の区切り目の数値を用いて、初めて、伊勢神宮建立年が設定されたので在るが、設定に先だっては、トヨスキ姫の人名が造語され、もっともらしい物語が挿入されたので在る。尚、【④完全数8128】の数値を用いては、 「フトマニ」(太占)の言語が造語され、其の数値を以て、ノアの洪水年数値、及び、生涯年数値に繋げられた。

【ヨロズ⇒ 1万】( Y H V H の住所数値)と言う数値言語が設定されたのは、ミオヤ(御親)のルーツを明確化する必要があったからで在る。其の【ヨロズ⇒ 1万】で言い表す数値語の語意は、「汝は存在する」(B動詞)の語意に基付いており、「元始・ヤマトコトバ」(倭語)的に言えば【ヒコ・ヰマス】(彦・座す…開化天皇条)に関連する。因みに、『秀真伝・32章』に因ると…「カスガオケツメ、スケガウム、イムナアリスミ、ヒコヰマス、ソホサノソフカ」(10年5月12日…)等と記載されているが、此の「第9代・開化天皇紀」は、其の前の「第8代孝元天皇紀」とは形式上に於いて、繋がりが在るように記すが、此の開化天皇紀を良く読めば、其の話の筋が通っていない事が解ります。つまり、「第8代孝元天皇在位・57年」と「第7代孝霊天皇在位・76年」の「合計数値・133年」で在り、開化天皇元年(在位通歴・504年)から【134年】(134+134=268×2=536・カバラ数秘術)の数値を用いれば、過去に遡る事を示唆する数値を提示しているので在ります。手短な処を1つ説明するとすれば、其の数値は、「初代神武天皇即位前年・57年」と「在位年数値・76年」とを合計した数値で在ると言う事と共に、【八尾の語元】に起因する数値でも在ります。早い話が、「⑨開化天皇紀」と「⑧孝元天皇紀」とは、或る意味に於いて、切れていると言う事で在る。其のヒント的な言語が記載されている。

…つまり、『秀真伝』文書に因ると…「12
月13日・ユキリ姫、タケノ姫 生ム、 ユムスミノ、イミナ(斎名)【コモツミ】32章)。即ち、「子も罪」の意で在る。何故かと言えば、開化天皇紀を読めば直ぐに解ります。

…尚、【八尾の語元数値】を遡れば、ギリシア語数値「ミリオイ・数値1万」(myrioi)に辿り着く。此の言語数値は、現存する「エチオピア語・エノク書」に見る事が出来ます。従って、「人皇歴・神武天皇即位1年目~景行天皇崩御迄」の創案を以て、先に、此の人皇歴年数値に基づく【枠数値・物語】(人皇・物語)が創作された。そして此の枠数値(790)に被せた【額数値・物語】(210+190=400日之本創作神話)作成を以て、【クムラン・秘儀宗団】の極東移動起点数値、及び、「ミオヤ(天御中主)~ノア迄」の秘儀数値に結び付けられたので在る。然るに、其の文書が【日本人の正典】、即ち、【秀真伝&三笠文】で在る。然して、「想像的、天と地との空間」を媒介する装置が、社の【千木】で在る。其の【千木】の語元は、【秘儀数値・1000】に在る。此の数値を媒介する事に因り、【ノア・洪水1656年】に於ける「天の祈禱文書」とに繋がる仕組(伊勢神宮建立年に結び付く)と成っている。『秀真伝』、及び、此の文書を手本にして漢字に書き換えた文書、即ち、『現存・日本書記』の、人皇歴数値(1~790年間)は、全て、現在に言う『想像の書』(カバラ)に記載された【秘儀数値】や【完全数】 (第4番目迄)に因って定義された思想に基付いて書かれていて、現実的な歴史的年数では在りません。つまり、神武天皇即位元年設定は、暫定設定で在り、此の暫定設定に基付いて構築された歴年数値を以て、初めて、現実的、【日本建国史】に言う、【日本国家成立起元年】が導き出される仕組みと成っている。

【日本国家成立起元年】…即ち、此の元年に関する事は、『太神宮諸雑事記第一』の中に記載されています。

…以下【追記】2015/06/21・日曜)…先述の…「
神武天皇即位元年設定は、暫定設定」…と記した意は、古代ユダヤ民族のテーぜ(命題)が考量されていた事に在ります。つまり、正式的【日之本・国家】の存在を主張するに当っては、其れなりの文献記述の裏付けが必要と成る。此の事は、現在社会に在っては常識であろうが、紀元前後頃の当時の世界に有っては先進的思想と考えられます。

…そもそも、【日之本・国家】に言う【国家】の語義(語意)は、世界広と言えども、我が日本国だけが用いる事が出来る名称で在ります。何故かと言えば、「クニ」(元始倭語)と、「コッカ」(漢字言語)とは、語元が違うからであります。

…此の続きは後日と致します…