【ヤオの語元】…『日之本(日本)建国思想・考古学』(日本民族学)…【№③】 | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

  【ヤオ】(大阪府八尾市)の語元はユダヤ捕囚解放年(前538年)に起因する

 
…此の文書内容は、『日之本(日本)建国思想・考古学』(日本民族学)№②の続きと致します

 
…大阪府に位置する【八尾市】の語元は、【元始・ヤマトコトバ】に遡る。然るに、其の【元始・ヤマトコトバ】とは何かと言えば、つまり、動物を以てすれば基本的な【Man】人間・人類)以外、口から息をする動物に至っては、口から音を発生させる事が出来る動物の鳴き声に段階へと遡る。然るに、口からの吐く息を利用して成す音(鳴る)は、仲間(種族)同士の暗号音等的な役割を為し、其れは独自的に発達させていったのが、各々の動物たちの鳴き声の違いであろう。然して、其の延長線上に、人類に於ける【word】ワード・言葉・至高神が発するロゴス)と成ったと考えられます。

 

【Man】人間・萬・倭語ヨロズ)とは、倭語数値に言う【ヨロズ】の意でも在る。此の原義は、ギルガメシュ叙事詩に起因し、後年に於けるギリシア神話(オリオン&サソリの戦い)に取り込まれた。然る後、【エゼキエル書…2・6】、及び、【列王紀…12・11】にも取り込まれているので在るが、此処で言わんとする処は、其れらの神話的解釈によれば、其の【サソリ】(スコーピオ→ 蠆)は、天球に於ける【太陽・軌道】等に関する神話的伝承として、東の地域へと伝播していった。然るに、現在に言うシルクロード等のルートに於ける古代期(紀元前)に在っては、古代、地中海沿岸に発展したギリシアに於ける【ギリシア神話】思想(其の後年に至っては大乗仏教と混合され仏像形状に影響を及ぼしている)が、仏教の伝播と相俟って中国へと伝わったので在る。其の名残をの1つが【サソリ】伝承、即ち…《【サソリ】→ 【漢字・蠆】(マン)→【万】》…の字形に変化した次第で在る。従って、支那(秦が語元←語源では無い)で発達した【絵文字漢字】、然り、漢字の絵文字とは、西域(新ヒッタイト時代頃前11~12世紀頃)に於ける国々の興亡に関連する戦に敗れた民族が、東に逃れ、辿り着いた処で用いた絵文字が漢字の起元(甲骨文字)で在る。因みに、現在に言う漢字(簡体字では無い)は、「1世紀に、ほぼ完成した」とされるが、其の漢字の完成に至る間に在っても、尚、西域(ギリシア方面)思想に関連する言語、語意等が取り込まれていた。其の一端を言えば、…《【萬】の字元》…於いて、【蠆(サソリ)→ 萬】(漢字数値・万の位)へと字形と呼称(名称)を変化させていたので在る。然して、何故、日本に漢字が伝わる以前(応神天皇以前)に在って、既に、倭語数値に言う【ヨロ】の語意を以て【萬】(万)の位が設定されていたのかと言えば、【ヨロ】の語元に行き着く語根に其の答えが在る。つまり、【倭語・ヒト】(倭語元は1~10)乗る意の【倭語数値・ヨロ】(万の位)に在る。其の【倭語・文字言語】の語根を訪ぬれは、【倭語・ヨ】(汝は存在する)と、【倭語・ロ】(倭語数値・萬←Myrioi)との組み合わせ【二文字単語】を以て、【カミ】(上・AL← カミの形を以て【倭語・ヒト】は創造された←【創世記】)は、「ヒト(1~10が語元)を創造した」(【創世記…1・26-27】)。

 

…【元始・ヤマトコトバ】の最初は…《基本・1文字単語」》…で在る。然る後、【二文字単語】を造語し、以後、多様な単語が造語されるに至る。然るに、何故、初期に在っては【1文字単語】が基本なのかとと言えば、其れは、アルファベット文字を基本(語根)としていたからで在る。然るに、我が国からは遥か西域で用いられていたアルファベット文字の始まりは、紀元前1700年頃の【シナイ半島出土・文字】を以て説明される処に起元を有すが、我が国にもたらされた基本的アルファベット文字は基本的には【ギリシア文字】を用いていた。然し、造語に当っては、【アッカド語】を始めとして、文字の起元文字に関連するシナイ文字の語根が採用されていたので在った。

 

…従って、【ヤ・オ】の語元は、【世界年3941年】(秘儀数値)を起点と成す。然して、此の【ヤ・オ】の語元を造語するに当っては、先ず【世界年3938年】に着点を置いていたので在る。つまり、此の3年の数値差に、【ヤ・オ】の語元がを解明する答えが秘められていたので合ったのだ。

 

…現在の西暦年で言えば「ユダヤ捕囚解放年」は、【前538】(満年計算方式)とされている。其処から3年過去に遡れば、【536年】(数え歳計算方式)と成る。此の数値年を以て【倭語・ヤオ】が造語されたので在る。然るに…《磐余彦(後の神武天皇)の東征5年目》…を以て【倭語・ヤオ】の初出(『秀真伝』文書)と成る。此の『秀真伝』 (ホツマツタヱ)文書を漢字に書き換え、【仲哀天皇・神功紀】に繋ぎ編纂された文書が【逸書・日本紀】(ニホンギ・倭語ヤマトフミ)で在る。従って、『創作物語・日本神話』の創作の謎を解く【鍵】は、【神武天皇31年条】で在る。

 

…「昔、伊弉諾尊目、此國曰、日本(ヤマト)者浦安國、細戈千足國、磯輪上(カミ)秀眞國(秀眞國此伝袍莽句爾)」…『日本書紀』(神武天皇31年条より抜粋)… 

 

…我が国は、【ヤマト】(日本の国称)と呼ばれ、且つ、【シワカミ(磯輪上)、及び、ホツマクニ秀眞國袍圖莾句儞と呼ばれていたので在った。然るに、初期的に言う国号【ホツマ】を冠する、我が国最初の歴史書とは、『秀真伝』(ホツマツタヱ)で在る。従って、此の『秀真伝』 文書を読めば、我が国に於ける【元始・ヤマト国家】に言う【国家・建国思想】の、其の殆どの謎を解き明かす事が出来るの在る。

 … (以下・後日、修正の予定…2014/10/18/土)…