【蜻蛉】(アキツ)&【臀呫】(トナメ)】が意味するもの… | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

  • …『ヤオ(八尾市の名称)の語元を知れば【元始・日本国家起元…設定年】をも知る事が出来る』…【ヤオ】(八尾)の語元とは…《「遠つ国(古代ユダヤ国)、アラ(AL→カミ→上→神)人典(ヒトノリ)お未だ向けず」…「肇国知らす崇神天皇の御代」》…等の語意に関連する。尚、其の「アラヒトノリ」(AL人典)と言う語句に先立つのが、【神武天皇・東征物語】に言う…「イツセ尊、肘を射られて、ヤオ(八尾)へ退く」等と記されている、『秀真伝』 (ホツマツタヱ)文書の、其の、文面に起因する。


  • 《日本の未来を開く『日之本・起元究明学』の勧め》…日本史に言う我が国の古代史とは、何時頃の時代を言い表しているのかと言いますと、先ずは文献に書かれている事が前提に成ります。而して…『現存・古事記』は歴史書ではありませんので歴史学に於ける文献資料の対照には成りません。然るに…『日本紀(ニホンギ)』…が我が国の歴史書的に奏上されたのは、【元正・女帝】時代の【養老四(720)年】の時として、『続日本紀(ショクニホン)』には記載されています。しかし、現在に於ける『日本紀』は、現実的には【逸書】と成っていて、現在は、其の一部分だけが保存され、其の他の文書は存在していません。然るに、其の一部分の内容とは、『続群書類聚参拾輯下』の中の【明文書】としてであります。其の、幻の文献名と成っている『日本紀(ニホン)』文章の、其の一部分の処には、抹殺される以前の『秀真伝』 (ホツマツタヱ)文書の存在を明確に証明する記述内容が記載されていたのでありました


    …然るに、其の断片的な一部分の記述内容とは、つまり、『現存・日本書紀』(偽書)に記載されている「磐余彦・東征前の物語」の、其の説話には、【意味不明的数値】、乃ち…
    「一百七十九萬二千四百七十餘歳」…と言う、当時(日本古代史→先史時代)としては莫大な数値が記載されていますが、其の断片的文書の内容は、其の謎の数値の【謎解】に当る記述内容と成っていたのでありました。然るに、此の「逸書・日本」()に於ける、其の謎を解く【鍵】の部分とは、【神代・歴年数値】の謎を解く意の事で在ります。此の【神代・歴年数値】とは、江戸時代には幻の文書とされていた『秀真伝』 (ホツマツタヱ)の文書に記載されている【神代・歴年数値】の事でもありました。


    …然るに、其の【神代・歴年数値】は、『倭姫命世記』(神道五部書)にも同じ意味の数値が記載されております。と言う事は
    『現存・日本書紀』(偽書)とは、後年に於いて書き換えられた文書であって、断片的に残されている其の文書の内容こそが、元来の「養老4年(720年)奏上に於ける『日本紀()』の文書で在った」と言う事に成るので在ります。従って、其の文書の断片的一部分が残されている事の重要性を認識し得ない、我が国の戦後(大東亜戦争後)に於ける文献史学者達は、今迄、一体、何をしていたのかと言う事で在ります。然るに…《昭和41年に、松本義之助氏の尽力に因って再発見された『秀眞伝(ホツマツタヱ)』 文書》…には、其の【意味不明数値】の【謎】を解き明かす総ての【答】が記載されていました。従って、此れらの経緯を踏まえての結論と致しましては…《我が国、最古の歴史書とは『秀眞伝(ホツマツタヱ)』 文書で有る》…と、言う処に行き着く次第で在ります


    …《『秀眞伝(ホツマツタヱ)』 文書は「日本人の【聖書】として書かれていた…自説より》。!!


    …【日本建国史】…其の第一頁を開く基は、我が国に於ける「古代・河内の
    ヤオ現在・八尾市の名称と成っています)にありました。然るに、此のヤオ(八尾)の地を足場として、【ヤマトガワ】を遡った磐余彦(後の神武天皇)が率いる戦の部隊は、龍田越えの道が険しく、引き返す事成った。それで、ヤマトカワの其処から戻り、タテツ】(現在・東大阪市の盾津の地名は無くなっているが建物の名前で残っている)に其の陣を設置した。そして、再度、策戦を立て直し、クサカ(日下)越えの戦に於いて、苦戦をしいられる事と成る。

    …以上の文書は、【グルッポ・八尾にすんでるよ】等の中のブログを此処に貼り付け、少し修正した文書で在ります。


  • 以下…【追記】(平成26年・2014/05/17/土曜)します…  ↓ ↓ ↓


    …【蜻蛉】(アキツ)…【臀呫】(トナメ)…の意味に付いて…

    …『日本書紀』(偽書)の、「神武天皇31年条」を見ますと…《「蜻蛉」(アキツ)…「臀呫」(トナメ)》…の記述内容では、【4月】の季節の事と成っている。尚、「アキツ…トンボ」(蜻蛉)の大方の繁殖期は、秋頃とされている。従って、其の蜻蛉(アキツ)の【臀呫】(となめ)の状態を、現実的に見た事が動機では無かったと言う事に成ります。

    …では、何が動機なのかと言いますと、此の『日本書紀』(偽書)の此処の部分(神武紀・31年条)は、『秀真伝』 (ホツマツタヱ)文書の、殆どの内容を、漢字に書き換え、更に、都合によっては、或部分等が刪定(削除)されて編纂されているので在る。と言う「絡繰り事」を、先ず、認識する事で在ります。つまり、其の原典的『秀真伝』 (ホツマツタヱ)とは、【日本国・開闢神話】に始まる『日本(ヒノモト)・神話』を経て、人の世代と致しましては、「タケヒト→カンヤマトイハレヒコ」(神武天皇)から「ヲシロワケ」(景行天皇・56年)迄が記述されている。然るに、後年に於ける、其の『日本書紀』(偽書)の内容は、『秀真伝』 (ホツマツタヱ)文書の最後に当たる「ヲシロワケ」(景行天皇)の皇子(政務天皇)に系譜を繋ぎ、何故か、其の后の事は記載されず、【甥】、即ち、「弟・コウス御子←ヤマトタケ(日本武尊)」(兄・ヲウス御子)の子供とする「タリナカヒコ」(仲哀天皇)を世継ぎとしている。

    …以後、現在の天皇迄に系譜が繋げられている訳で在りますが、然し、『秀真伝』 (ホツマツタヱ)文書は、「ヲシロワケ」(景行天皇)迄で、完了の形式(
    【序文】に其の意が記述されている)を取っております。

    …つまり…【蜻蛉】(アキツ)…【臀呫】(となめ)…の語意的な意味とは、既に、『秀真伝』 (ホツマツタヱ)の完了以前に、其の作者は、「ヲシロワケ」(景行天皇・在位60年)迄の記述内容を把握していたと言う事で在りす。つまり、此の謎解きは、【日本国・開闢神話】に始まる『日本(ヒノモト)神話』の【神代・歴年数値】、及び、「神武天皇~景行天皇迄」の歴年数値(天鈴暦)、つまり、其の、【歴年・在位年数値】を以て、【図表】に表し、尚、【完全数】 → 「6…28…496…8128」(8128…ヤチマタ128歌・フトマニ)を以て考察すれば、其の答えが浮き上がってくる仕組みとなっています。然るに、「ヲシロワケ」(景行天皇)迄は、【
    日本人の聖書】として書かれています。従って、其の、在位年数値は、実際的な人間の年齢には無関係で在ると言う事でもあります。

    …以下…↓↓↓…【追記】(
    平成26年・2014/05/21/水曜) 

    …此処に言う【完全数】 → 「6…28…496…8128」は、紀元前後頃の地中海沿岸文化圏に於ける先進文明国に在っては、既に発見されていました。尚、ギリシア語訳聖書、即ち、紀元前の数世紀頃に完成した『72人訳・ギリシア語訳聖書』には、既に、此の、【完全数】の中の幾つかは取り込まれているとされています。然るに、ピタゴラスに言う数値には、「
    宇宙の原理」も解き明かす事が出来るとされ、現に、現在に於ける宇宙理論に至っては、其の数式が無くては理論の展開は出来ません。 従って、『秀真伝』 (ホツマツタヱ)文書に、【完全数】 が取り込まれていると言う事は、然るに、一般的になじみが在る『日本書紀』(偽書)を以て説明するとすれば、【日本国・開闢神話】に始まり、磐余彦(後の神武天皇)に始まる人の世代に於ける景行天皇迄が、一般に、なじみの少ない『秀真伝』 (ホツマツタヱ)文書の内容と成っていると言う事で在ります。然し、『現存・日本書紀』(写本伝承)の内容は、文書の繋がりが解らなく成る程に、其の間の文書が「刪定」(削除)されていて、意味が繋がらない部分が多々在ります。然し、其の算定された部分は、『秀真伝』 (ホツマツタヱ)文書を以て補う事が出来ると言うことで在ります。

    …【八尾(八尾市の名称)の語元】は、【クムラン・秘儀宗団】(
    ダマスコ契約宗団)の出自に関連する数値に結びついております…