『秀眞伝…ホツマツタヱ』文書は【日本最古の歴史書】で在る | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!



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このグルっぽの説明
 …【真実探究精神】…に基づく…「ニコニコ日 本人のIdentityを求める」…人達の心の癒しに成ればと言う思いから、此のブログ…【日本人の聖書『ホツマツタヱ(秀真伝)』を学ぶ会】…と言う表 題のグルッポを立ち上げる事と致しました。其のテキスト的主要文献『ホツマツタヱ(秀真伝)』や、其の姉妹書とされる『ミカサフミ(三笠文)』等の文献は 自前で収集して下さい。而るに、当グルッポの表題、乃ち、「秀真太郎のブログ」に言う…【ホツマツタヱ(秀真伝)は聖書で有る】…とする、自説に基づけ ば、従来的日本古代史研究的な日本史、乃ち、「全国歴史教育研究協議会」に言う、其の日本史の黎明期(石器・縄文・弥生時代)説だけにとらわれず、当研究 内容は、[世界史]に於ける「メソポタミア文明史」をも範疇と致します故、『旧約聖書』、そして [外典…ヨベル書]、[偽典…エノク書]は、当然、当グ ルッポに於ける重要参考文献と致す所存で有ります。尚、日本史に於ける漢字文献と致しましては最低限『日本書紀』、そして、『万葉集』、『古今和歌集・仮 名序』は必要であります。然し、此処では『古事記』(歴史書ではない)は採用致しません。

…先ずは、難しい事等は抜きにして、素朴な疑問等か ら提起してもらえれば幸いです。

…此のブログの上記の記事は、「日本人の聖書『ホツマツタヱ』を学ぶ会」と言う【グルッポ】に記した記事のコピー(貼り付け)文書であります。

[日本人の聖書『ホツマツタヱ』を学ぶ会]


テーマ:…此処より上記の記事は、【グルッポ】に記載した記事を、此処に貼り付けたものであります。此処から以下の文書内容と致しましては、「是れからの『秀眞伝…ホツマツタヱ』研究」に於ける、其の方向性としての私の考え方を記しました。


…「是れからの秀眞伝ホツマツタヱ研究の方向性について…


…此の「グルッポ」とは、「東大阪市民会館」
(近鉄・永和駅前南側)で定期的に行われている【古代史研究会】に参加されている方々の中から、私の研究(『秀眞伝』独自的研究)に興味を持ってくれた方だけを中心として…《『ホツマツタヱ』を学ぶ会(暫定的名称)》…を私が立ち上げた事を以て、又、別に、【Ameba Blog(アメーバ ブログ)】の中に於いて立ち上げた「グルッポ」であります。然し、私の研究内容に関する文書等は、直接、【Ameba Blog】に書き込み投稿し、【ナウ】及び、【Twitter】、【Facebook】を以て…「ブログ投稿のお知らせ」…としている次第であります事、宜しく…

…『ホツマツタヱ』文書が何故、【日本人の聖書】(Canon)なのかと言えば…《『現存・日本書紀』(偽書)の巻頭成句は【創世記】(『旧約聖書』の最初文章)劈頭聖句の焼き直し版》…だからで在る。尚、『日本神話』が創作されたのは、「ユダヤ教」の「thesis(テーゼ命題)」に拘わる問題に起因している。尚…「ユダ教&thesis」…の事に付いては、又、別のブログに記している故、此処で言及致しません事、宜しく。而して、『ホツマツタヱ』文書を『旧約聖書』、及び、『新約聖書』、又は、仏教の教典(例えば『般若心経』)等の読み方に従えば、単に、「暗誦(素読)」等の読み方でも良いのであります。

…然し、『ホツマツタヱ』文書は、「天地開闢神話~オシロワケ(後の景行天皇)」期迄が記述されていて、其の中の【カンヤマト・イハワレヒコ(後の神武天皇)】とは、我が国の歴代天皇の最初の天皇に当っています。従って、此処を起点として我が国の歴代天皇に言う皇歴年(在位年)数値に換算し、加算され、皇歴として現在に至っている事を考えれば、【人の世代期】以降に於ける記述内容は、我が国の歴史書として考える必要があります。つまり、『秀眞伝…ホツマツタヱ』文書は、単に、聖書、及び、教典等の扱いでは無く、「我が国の歴史書」として取り組む必要が在る。然るに、此の文献を我が国の歴史書として研究するに当っては、従来的「我が国の国内だけの古代史研究方式」に頼っていては無理が在ります。従って、世界史の中に於ける、「メソポタミア文明史」、且つ、「地中海沿岸諸国の興亡史」等の文献も、此の『秀眞伝…ホツマツタヱ』文書の研究に対しては、必須的資料として取り込む必要があります。

…『秀眞伝…ホツマツタヱ』文書は、『現存・日本書紀』(偽書)の中の「天地開闢神話~景行天皇期」迄の内用が取り込まれているが、此の『現存・日本書紀』(偽書)の原典と考えられる
【逸書・日本紀(ニホンギと読む)】(720年奏上)の断片的文書の最後の部分には、「天照大神・生誕」以後に於ける子孫の歴年、つまり、「天照大神」の嫡男「アメノオシホミミのミコト(天忍穂耳尊)」に継ながる、「ヒコナギサタケウガヤフキアエズ(彦波瀲武鸕草葺不合尊)」迄の…【神代・歴年数値】…が、各々の歴年別数値に分けられ、其の合計数値「一百七十九萬二千四百七十餘歳」として最後の処に纏められた総合計的数値として記載されている。然し、此の【逸書・日本紀】全巻の殆どが逸書であるが故、『現存・日本書紀』(偽書)が現在に於ける我が国最古的歴史書とされている由縁であります。然るに、『現存・日本書紀』(偽書)は、其の、【逸書・日本紀】に記載されていた、各々の個別的歴年数値、乃ち…「各々の個別的歴年数値」…が刪定(削除)された形と成っている。従って、私は…《『現存・日本書紀』は【偽書】で在る》…と記す次第であります。

…『秀眞伝…ホツマツタヱ』文書は、我が国の最古の歴史書として我が国は認知する必要があります。其れは何故かと言えば、我が国の戦後、以後に於ける【靖国神社・問題】として、東アジア近隣諸国の或国等が批判の対象(目的)としている事に関連します。此の問題は、基本的に《【日本人のIdentity(アイデンティティー)】を日本人の誰もが知らない》と言う処に起因しているかと思われるからであります。

現在、『現存・日本書紀』(偽書)に頼る、我が国の文献史学者達の従来的、「古代史研究方式」に於いては【日本国家・成立起元】、及び、【日本国家・建国思想(Identity)】に至っては、我が国の誰もが知り得る事は不可能であると考えられます。然し、『秀眞伝…ホツマツタヱ』文書が、「松本義之助氏」の尽力に因って「昭和41年に再発見」された事を以て、此の文書の研究が「在野方の研究」を以て進められ、現在に至っています。

…『秀眞伝…ホツマツタヱ』文書は、『死海(遺跡)文書』(1947年発見)を隠し残し、「紀元前31年」(ヘロデ王の第7年に当る)の「クムラン地域一帯・大地震」に因って、其の居住地の建物等が破壊され、其の地震以後 其の【クムラン・ダマスコ契約宗団】達の行方は不明とされている。然し、およそ「2000年の年代」を経た「二十世紀末」頃に於いて、『死海(遺跡)文書』が発見されました。然る後、其の『死海遺跡・文書(巻物)』の研究が進められ、其の結果を以て発表された研究内容を、更に、本として出版された『死海文書のすべて(日本語訳)』の文書中に、私は、此の【クムラン・ダマスコ契約宗団】の足跡を、『秀眞伝…ホツマツタヱ』文書中に発見致しました。

…『秀眞伝…ホツマツタヱ文書を学ぶ意味に付いて、其の意を一言で言い表すとすれば

…《日本人としての【Identity(アイデンティティー)】を知る》…と言う処に行き着きます。然るに、【クムラン・ダマスコ契約宗団】の人達が目指した、「新たなる国家の創建思想(神の大道を敷く…後に言う神道)の神意」とは…《奴隷的身分の人達を解放する事(ミタマノフユ恩恵)》…に在りました…