…【追記(平成25年10月4日・金)】…
…上の画像は、パソコンの画面に、今日(2013/10/4・金)、完成させたばかりの図表を、携帯電話の写真を用い、直接、パソコン画面から写し撮ったものです。次のブログでは、此の図表を紙に印刷してから写真に撮るつもりです。然るに、此の図表の表題は…『ヒエラルキー構図』…としています。つまり、「日本神話」を経て…「カンヤマトイハワレヒコ(後の神武天皇)・東征物語」…と成す物語の創案は、此の『ヒエラルキー構図』(三角図)の中に記した「完全数…小さい順に積み上げている」に言う →「6・28・496・8128」…の数値を基点として、「神武天皇即位~景行天皇迄」の年代が振り分けられ、設定されていると言う事で有ります。而して、此の…「完成数・6」…は、[創世記・Berashith]に言う…「Elohimは6日間で天地を創造し、尚、 獣と家畜、そして、神に似せた人をつくった」…とされます。 又、次の…「完成数・28」…は…「月の1ヶ月の周期」(聖書学)とされています。其の次の…「496」…「8128」…は、【日本の聖書】(『秀眞伝』)の創案を以て取り込まれている事を、私は此処に見出しました。
…先ずは、【日本建国史・創案図表】の完成に付いて、簡単に記しておきます。
☆ 昭和54年10月10日(体育の日・休日)…私(31歳)と彼女(20歳)…金剛山へ登っての帰り、彼女の家(喫茶ラブリー)の前にて…。此の年から2 年後、私は独り、又、果てしない「我がインナートリップの旅」が続きましたが、其れから34年を経ての昨日(2013/9/27・金曜)、【日本語の起元】及び 【日本国家の起元】の根拠に結びつく最終的な証拠を、ヤット探し当てました。…上の【黄色花の画像】は、私のブログのテーマ『黄槿(ハマボウ)の花の下で』に言う、「黄槿の花」です。此の花は、今年の夏に帰郷した時、浦之崎(佐賀県伊万里市)の綺麗な海水の海岸がボタ(炭坑の黒い廃土)で破壊(昭和31年)された時に切り倒されて無くなっていたのですが、然し、其の元の海岸線の位置からは遠く離れて、尚、其の植物に適合する環境(綺麗な潮水と真水が混ざり合う地質の処を好む)に適さない土壌に絶えながら、長年の後に海水が綺麗に成った事を受け、奇跡的に復活して咲いているのを「57年ぶり(66歳)に、又、私は見る事が出来ました。此の稀なる「黄槿の花」(携帯電話での写真)が、我が叔父の家の直ぐ側に咲いていたからこそ、私は…《「日本語(元始ヤマトコトバ)の起元を探し出さねば成らない》…と、後年(27~38歳)に於いて考えるに至った次第で有りました。此の花に纏わる話し等(『黄槿の花の下で』より)の詳細は、「私のホームページ」(下記に【URL・アカウント】を記す)に記載しています。
![](https://gp3.googleusercontent.com/-i9sLSbvlb28/AAAAAAAAAAI/AAAAAAAAAAA/M_EeSLrK0g4/s48-c-k/photo.jpg)
…『秀眞伝・ホツマツタヱ』 文書…の其の歴代年(後に言う神武天皇~景行天皇迄)の数値は、紀元前のユークリッド(紀元前330~270)の【完全数&整数】の数値を基点として作成されていました。
☆ 昭和54年10月10日(体育の日・休日)…私(31歳)と彼女(20歳)…金剛山へ登っての帰り、彼女の家(喫茶ラブリー)の前にて…。此の年から2年後、私は独り、又、果てしない「インナートリップ」が続きましたが、其れから34年を経ての昨日(2013/9/27・金曜)、【日本語の起元】及び【日本国家の起元】の根拠に結びつく最終的な証拠を、ヤット探し当てました。
…【西暦2011(平成23)年3月11日…金曜・14時46分…東日本(東北地方)に巨大地震(推定震度8~9)が発生】
…其れから直ぐ、私はインターネットの申し込みに行きました。全く初めてのインターネット。パソコンの操作の仕方が全く良く解らない儘の、其の手探り状態の中から、一番最初に立ち上げて、インターネットで投稿したのが【私のホームページ】(http://w01.tp1.jp/~a098477294/)で有りました。然るに、「私のホームページ」には、「3/11…東日本・大地震」以前に於ける、其れ迄の、私が生きてきた経緯等から、パソコンでの記事に於ける投稿に至る迄を記載しました。其の意は、「東日本(古代期の名称はホツマクニ)の早期復興」に於いて、非力ながらも、私なりに、何か手伝えたらと言う思いからで有りました。そして、最初の投稿から三年六ヶ月後(2013/927・金)を経て、念願で有った「私の探し物」の中に有っては、其の最終的な頂点、つまり、【ヒエラルキー(ピラミッド的形状)】的な形に例えれば、其の頂点的位置に当たる【秘儀数値】の中でも、其の最頂点に位置する処の数値の根元(源)が、【完全数(ユークリッドの原論)…496&8128】の数値を基点として取り込まれ、「タケヒト(後の神武天皇)」の東征物語が創作されている事を見付けたので有ります。
…振り返れば、「我がインナートリップ(自分探しの旅)」は、此処に取り込んだ歌『♪ 俺らにゃないのか青春が』の歌詞の、其の「第一~三番迄」の歌い出しの如くでも有りました。尚、此の歌は、私が集団就職で大阪へ仕事に出た15~16歳(昭和38~39年)頃に数回程聴いただけで、正しいは歌詞は覚えておりませんが、其の歌い出し(一番~三番)の歌詞の内用は…「①彼女と出会って・②彼女と別れて・③念願で有った最終的な答えを今年の9月に見付出す迄のストーリ-」…に当て嵌まる思いが致します。尚、此の画像の歌の中からでは有りますが、私が覚えた歌詞(正確では有りません)として、次に記します。
①…♪ 俺らにゃないのか青春が あれほど好きだと言ったのに いつか別れる定
めだとても
命を いのちを 命をかけた恋だった 霧にかくれて波止場の 灯もうるむ
②…♪ 愚痴など言うまい男なら 涙は見せまい男なら じっと堪えて 心で泣いて
棄てた すてた 棄てた恋路のいしだたみ 遠く出船の汽笛が 又も呼ぶ
③…♪ 俺らは俺らで生きてゆく あのこの幸せ祈りつつ いつか二人は会い逢う時は
清い きよい 清い笑顔でかたれよう さらば別れのタラップよ 街の灯よ
秀真 太郎
…昔、此の歌…「俺らにゃないのか青春が」…を聞いた時(15歳で集団就職した頃)、其の歌の歌詞の内用ではなく、私は…「自分の青春は棄てた」…つまり、「私は一生かかっても或事を探さなければならない」と既に決めていた事を以て、其の歌の、歌詞には、或一種の共感を持ったので有りました。そして、其の後(約15,年を経て)、インナートリップの旅の途中に有って、偶然、而しての…【際会・byChance】…に有って、出会った彼女に対し、私は、何の答えも言い出せず儘、出会って其の三年後、別れる羽目に陥ったので有りました。今、昔の此の歌を聞くにつれ、其の昔の頃が懐かしく思い出されます…。尚、私が子供(中学生時代)の頃から、我が心に決めていた…彼の…「私の探し物」(日本語の始まり&日本国家起元の基点)…は、今つまり…「今日・2013/9/27・金曜日現在」…見出しました。