…『太神宮諸雑事記第一』の解説(ユダヤ暦3761・起元1年に関連)… | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

  

 

古文【太神宮諸雑事記第一】(群書類従) 

【太神宮諸雑事記第一】とは、伊勢神宮の創建より平安末期までの主要事項を編年体で記した書。平安末期の撰,皇大神宮禰宜(ねぎ)荒木田一族の手で書きつがれてきた書で,2巻よりなり,第1巻は垂仁天皇のときの皇大神宮鎮座より後一条天皇のときまで,第2巻は後朱雀・後冷泉天皇のときについて記す。神宮史をみる上での重要書の一つで,信憑性に欠ける部分もあるが,式年遷宮の制定時期,神宮と朝廷との関係などをみる上で根本となる書で,9世紀末の荒木田徳雄が,それまでの古記文を編述の上,自身で書きつぎ,以後一族の興忠,氏長,延利,延基と書きついだ…(Google検索/引用)。

…以下、【筆者説】…

…ちなみに、日本(ヤマト)国家としての始点値は【天照大神】の出現(天の岩戸・物語)を以て始まります。それ迄の話は、つまり日本の国土形成物語(日本書紀の巻頭成句文言)から「カミ代・第七代目」瓊々杵尊時代迄の話は、その文書を創作したサドク系大祭司「ΙΑΩ(八尾)のAL(アラ)人」の祖国の歴史に関連する【モーセ五書】(Torah/旧訳聖書)中のダビデ系譜との繋がりを示唆する物語である。その後の【アメの岩戸物語】とは、それ迄の歴年史の転換物語として書かれました。つまり、「太玉命が天香山(奈良県)の五百箇の眞坂樹を根ごとこじ抜いてきて」(日本書記)…とある文面は、ウヒルキ(天照大神の幼名)が日本の国土を守護するカミ(神の意ではありません)として生まれ変わる直前の事を記した文言です。その文言内容は、占い祝詞の元典「フトマニ・図」(春日氏の始祖・天児屋の持ち物)に関連付けて成る【忌部】氏族名としての「太玉命」(忌部の遠祖/七代タカミムスヒ系で長髄彦に繋がっている)を登場させる事によって、その転換期時代を浮き上がらせています。

 

…何故、此の「五百箇の眞坂樹」(ヰオツノマサカキ)物語中に【忌部】(太玉命)氏を登場させたのかと言えば、それは「皇歴・第八代目」孝元天皇の崩御年(在位通歴・503年)に結び付けられていたからです。つまり、「五百箇」(ヰオツ/500)の「眞坂樹」(間逆木/榊の語元)とは、千木の語根数値(千+160=1160)から孝元天皇の崩御年数値{503年}を差し引いた{657年}を示唆する文言であり、それは、伊勢神宮に【天照大神】が始めて伊勢の地に祀られた皇歴年数値(垂仁天皇・26年)に当たります。

…話は変わりますが、昨日(2013/6/15/土曜)は、月例会(ホツマツタヱを知る会)の第1回目会合(天王寺阿倍野ハルカス付近で行った)を行い、その月例会終了後の二次会と致しましては、その近くの居酒屋(新築の店舗)に行きました。此の時、私達の隣の座席に来られた外国の女性客(2人)に対し挨拶代わりに英語で話し掛けた処、スイスとアメリカの人(イラン出身)である事を知りました。それで、イスラム教国のイラン出身(アメリカからの来日)の人に対し、「日本国家の起元」は死海文書(AD1947=昭和22年発見)を書き残した秘儀宗団(クムラン宗団)の子孫達が建国していた事を伝え、更に話が盛り上がりました。そして最後には、来日された女性2人と、私の知人(英会話が出来る人/北村正信氏)との4人で記念写真(創世記紀元日本国家創建歴図表を手に持ち)を撮りました。

 

…此の例会日の数日前、『ホツマツタヱ』(秀真伝)文書の歴年数値に完全数が取り込まれていた事を発見していました。従って、以前の 【日本国家創建歴図表】に完全数を新に織り込んで書き直した図表を持参していた事によりムハンマドの話に及んだ次第でした。ちなみに、イスラム教の始祖ムハンマド昇天年と、伊勢神宮建立年の設定方式は、共に同等の【秘儀数値】が用いられ双方の昇天年に関連付けられていました。

…《ムハンマドの夜の啓示(74章1~5/AD610年~611年)宣教》…此処にイスラム国の歴史が始まった。つまり、イスラム教の創始者【ムハンマド】に顕れた【天子ガブリエル】(Gabriel)の説話夜の昇天621年とは、『死海文書』(前2世紀~前1世紀頃の文書)を隠し残し姿を消した【クムラン秘儀宗団】(紀元前2~前1世紀頃)後継者の子孫と考えられる。つまり、その子孫達は【エルサレム昇天・思想】を引き継いでいて、ムハンマドの死去年(昇天年)にあっては、中世ヨーロッパで突然出現したカバラの【秘儀数値】が取り込まれている事を私は発見しました。つまり、ムハンマド・昇天年西暦632年)は、我が日本(ヤマト)の歴年史に於ける「垂仁天皇26年勢神宮建立年数値」設定方式に取り込まれた秘儀数値「464」(ダビデ文字数値の棒読み数値)に絡めて設定されていた。それは、古代ユダヤ民族国の創建(前1000年頃)に於いて初代王と成った【ダビデ】の御名のゲマトリア数値に絡められていた。

…我が日本(ヤマト)に於けるエルサレム(Jerusalem)・昇天年数値http://ameblo.jp/erusaremu464/entry-11564341341.html)とは、『ホツマツタヱ』文書(日本カミ代物語~景行天皇迄の歴年史)の垂仁天皇崩御年(在位通歴・730年)に対し「接近法数値・660」を用い、「エルサレム第2神殿・陥落年」(AD70年)に結び付けると共に、「捕囚年(紀元前586)」+「71(第2神殿陥落の翌年)」=「AD657年」(伊勢神宮建立年)とする数値を用いて「伊勢神宮・建立年」設定方式を確定させています。此の事の証明は【太神宮諸雑事記第一】(著者・荒木田徳雄/荒木田興忠/他…代々伊勢内宮の禰宜/神官・9世紀末頃の人)に明記されています。

…下記に追記平成26年・2014/12/06/土曜)…


太神宮諸雑事記第一に因ると、其の書き出しの初っ端は、【垂仁天皇・紀】から始まっていて、その主題と成す処は【伊勢神宮・建立】に関わる内容である。それは伊勢の神官の立場とすれば致し方ないが、景行天皇条に有っては不思議な事、それは何故か伊勢の祭儀(祭儀に関する事項は『日本書紀』には記載無し)には無関係な【唐・年号】和帝…章和十二年・西暦98年戊戌に合致させる記述を以て記載されている。それはつまりユダヤ民族史を知れば【エルサレム第2神殿・陥落年】を示唆する記述である事が解ります。

 

…尚、太神宮諸雑事記第一によると、持統天皇(女帝)4年(庚寅/690)の時に「伊勢・内宮の御遷宮」。及び6年(壬辰)の時に「外宮(豊受太神宮)御遷宮」(692年・19年太陰法に関連する)だった事が記されている。それはつまり、元来の御遷宮年は【完全数】(孝元天皇の崩御年に起因)に関連付けての「朱鳥・天武天皇の崩御年」(此の時が天皇による最初の遷宮年に当っていた)の時だったが、天武天皇の死去(崩御)年と成ったので急遽、「ダビデ文字数値の棒読み数値」(464)年に関連付けて変更されました。それが「持統天皇(女帝)・6年=AD692年」、つまり「ダビデ464+228(19×12)=AD692年」とする図式です。

…下記に【追記】(平成26年・2014/12/08/月曜)…

…【ユダヤ暦3760年】(西暦1年)+ムハンマド昇天】(ハッジ大巡礼632年 【ダニエル書…12・4~7】(70年…これらすべてのことが成就する)+【満178…日本神話・秘儀数値】+【ダビデ・数値年】(464×ヨッド10=創世記4654年)。

…ちなみに、現在に言うムハンマドに対し、昔(今から20数年程前)読んだ本によれば、「マホメット」と言う名称で書かれ、今思えば、その本の内容は好い加減な内容だった事になる。つまり当時の「マホメット」はペルシアの【拝火教】に結び付けて書かれていました…


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