佐賀県伊万里市立【山代西小学校・校歌】と、その思い出 | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

  


 
 
佐賀県伊万里市立・山代西小学校…校歌  作詞:吉富 長輔      作曲:陶 山 聡


(一)、伊万里の海の  朝風に  心も清く  はればれと  昇る旭を  あおぐとき 
           我らの胸に  力みつ  いざや  鍛えん  身と心  強く  正しく  健やかに  

(二)、国見の峰の  山なみに  文化の光  照り映えて  里の恵みは  とこしえに 
         我らの望み育てゆく  いざや学ばん  手をとりて  誠の道を  ひたすらに  

(三)、佐代の流れに  影うつす  緑も深き  丘の上  平和の鐘は  こだまして  
    我らのむつみ  花と咲く  いざや進まん  新生の  国の栄えを  築くまで  
  

 
…私の小学校時代…其の、毎週月曜日には、天気が良ければ運動場にて、又、雨の日には講堂で、全校生徒が勢揃いしての朝礼が行われていていました。其の朝礼の時は、必ず【山代西小学校校歌斉唱】が有り、何時も其の[校歌斉唱]に対しては、ウンザリしていました。然し、何故か、其の校歌の…「♪ 佐代佐代川の意味の流れに 影映す」(三番の歌詞)と言う歌詞の部分だけは、何故か私の頭のなかに、こびり付いていて、後年に至っては、何時も懐かしく思い出していました…。

…小学校の思い出に成るはずの【小学校卒業記念写真】は、私は持っていません。何故かと言えば、小学校最後の登校日、つまり、それは「小学卒業式の翌日」だった。多分、私だけだったかも知れませんが、私は登校しませんでした。つまり、授業は行われないと聞いていたので、登校しても意味がないと自分勝手に判断し、家の近所で一人で遊んでいました。其の時、「ヤット義務教育の六年間が終わった」と言う思いを持って遊んでいた事が我が心に強く残っています。而して、其の午後、学校から帰って来た近所の在る同級生の話では、その日、【伊万里市立山代西小学校卒業記念写真】が渡されたと言う…。然し、其の時、又、中学に入ったら、同じ顔ぶれであるから何も困らないと自分の心の中で決めていました。

…然し、中学生に成った頃から、炭坑の閉山などで、生徒の数が段々少なくなってきていました。だから、其の三年後、【伊万里市立山代中学校卒業写真】を渡された時には、小学校の時に見ていた同級生達の中で、特に、私に対して親切にしてくれていた人の顔が写っていなかった。

…【上段の画像】…山代西小学校の校門(昔は校門は無かった)の横に有る…[銀杏の木]…を写真に取(撮)り込むのが目的で此の[山代西小学校]へ行きました。其の昔、母に手を引かれ、此の小学校の入学式に来た時の事を今でもハッキリと憶えています。其の時の母の話しでは…「母が始めて此の小学校へ来たときから、其の【銀杏の木】は植えられていた」との事。つまり、其の「西小学校入学式」の時、最後の急な坂道を登り終えた処が小学校のグランドで、其処には大きな【銀杏の木】があった。そして小学校に着いた直後、直ぐ、母はその木の事の話をしてくれました。暫くして入学式が始まる前に、「組の配置」が知らされ、私は[一年二組]に入りました。その時の担任の先生は[馬渡(女性…マワタリ)先生]です。因みに、其の後は、「二年三組・長谷川先生」(男性)。「三年三組・吉田先生」(男性)。「四年四組・楠田先生」(男性)、「五年一組・山崎先生」(男性)。「六年一組・山崎先生」(男性)。(全部で四組迄)でした。
 

…上の【中段の画像】…佐代川の左の小高い山の上が小学校です。

…【下段の画像】…小高い山の中央付近に白く写っているのが、【山代西小学校】です。今は、此の付近一帯は過疎的に成っていて、学生の数も少なく、校舎も縮小され、小さく建て替えられていました。

…《小学校中学校は、【義務教育だから登校する義務が有る》…と、何時も父は言っていましたが、後年(私が40歳頃)、父が亡くなっての帰郷(冬)と、其の初盆(日航機墜落事故の時)の時(初秋)に帰郷した折…私が5歳から6歳頃の時、見知らぬ人が我が家を訪ねて来た人背広を着ていたので珍く良く覚えていたは誰…等の事を訊くと、其の人は、市役所の人との返事。つまり、私の「来年小学校・入学」(7歳で入学)に対し、其の小学校への「入学手続き」(昭和29年4月入学)が行われていないから、其の手続きの催促だったのだ。其の時の父の返事…「筆者は学校へ行かなくても良い」…と言って、市役所の人を我が父は追い返したとの事だった。つまり、「学校へ行かなくても仕事は出来る」等の事を市役所の人に言って追い返したのである。従って、【義務教育】と言う制度が無かったならば、多分、私は学校へは行ってなかったと思います。

 

…最初の「小学一年生」の時の教科書の全部が新品だった。其れが当たり前で有り、「新品の教科書」を触るのが楽しかった。然し、「小学二年生」以降、其の1年前の古い教科書を母が近所の人から安く買ったので、幻滅した。つまり、当時の学校の教科書は毎年変わっていて去年の教科書は通用しなかったのである。つまり、後年(成人してから)に至ってから知った事で在るが、当時は時代の変化が激しく、戦前の時と違って、毎年、教科書は新しくなっていた。それで、「古い教科書」と「新品の教科書」との内容は勿論の事、一番解りやすいのは「表紙の絵」からして全く違っている。従って、机の上に教科書を出すのが恥ずかしく、最初の頃は、机の中にしまい込んだ儘にしていた。其れで、何時も先生が「教科書を出して下さい」と言うが、私は何時も「忘れた」と言った。

 

…そんな訳で、私は、学校へ行っても殆ど勉強する気持ちは持ち合わせていなかった。だから、教科書や教材(習字・絵画の教材)等は必要(実は教科書が買えなかったのであった)なかった。尚、母は、毎年、其の都度(卒業間近の頃)、古い教科書を近所から安く買っては入手して来るので、私は黙って受け取っていました。そして、学校へは持って行かなかった。此の古い教科書の入手は、私が中学三年に成る迄も続く事となる。多分、私が、「新しい教科書でなければ通用しない」等の事を言っていたならば、母は買ってくれていたと思います。然し、私は言えませんでした。

 

…そう言う訳で、私にとっては…「小学校は義務教育だから登校しているだけ」…と言う事を私は認識し…「小中学校での勉強は全く必要が無い」…と決め込んでいました。それで、小学校卒業当時にあっては…「ヤット、長い登校の六年間が終わった」…と言う開放感が嬉しくてたまりませんでした。然し、何故か、その小学校卒業式の翌日も登校(授業は無いとの事)しなければならないとの事だった。然し、其の小学校最後の日(実は卒業記念写真受取日だった)は、自分勝手に考えた末(学校拒否的抵抗感)、学校へは行かず家の近所で唯1人で遊んでいた。然し、停年退職しての今(小学六年卒業から53年後)にあっては、我が小学校当時の、其の頃の自分の顔は勿論の事、「同級生達の顔が見てみたい」と思う事、しきりで、悔やまれます。つまり、【小学校・卒業記念写真】が無い事が悔やまれる…


以下【追記】(平成26年・2014/3/7/金曜)…

 

…【小学校・卒業記念写真】の入手…&…【佐代姫神社・高麗焼】(社宝)に付いて…

 

…去年(平成25年=2013年)の3月頃、妹が家庭の事情を以て、一度帰郷すると言うので私も九州の田舎(伊万里市山代町・浦之崎)へ帰りました。其の時、我が家(現在は姉夫婦が住んでいる)の近所で班長(浦之崎・一班)をしておられる同級生(小形氏)の家を訪ねた処、余分に一冊持っておられた「同窓生メンバー表」を頂きました。其れで、大阪へ戻ってから、大阪在住の同窓生に電話をした処、今は、「大阪・及び兵庫県を含む約10人程のメンバー」が集う事が出来る迄に成っています。其れで、今年(平成26年)の「2月23日(日曜)」、大阪市内で行われた【第八回・伊萬里んもん会】に出席した処、其の会のメンバーの1人が【小学校・卒業記念写真】(昭和35年卒業)を持って来ておられ、更に、此の会の運営委員会メンパーと成っておられる「本山浩一氏(写真店)」が、其の「小学校写・卒業写真」の複製(複写…宅配郵便で受け取りました)して下さったお陰で、今、其の【小学校・卒業記念写真】が、私の手元に届いていて、「昔の頃の同級生の顔」を懐かしく見る事が出来るようになりました。

 

…又、【第八回・伊萬里んもん会】には、伊万里市長の代理として「伊万里市副市長・江頭(エトウ)興宣(オキノブ)氏」、他、若干名の人達もこられていて、其れで、其の人達に【伊万里・復興】に関連付けての【佐代姫神社・社宝】とされる、【高麗焼】を一度見てみたい等の故を話しました。すると、、後日、其の【社宝・高麗焼】が在る場所を知っておられると考えられる場所にメール、及び、電話番号等を、私のメールに送って下さいました。

 

…今度(多分今年か来年には…)帰郷する折には、「ノート型・パソコン」(此の3月に新しく購入します)を持って行く予定です…

 

…(ランキング↓ ↓ ↓ ←  (クリック)…宜しく…

         にほんブログ村 地域生活(街) 九州ブログ 伊万里市情報へ
                          にほんブログ村

 

 

にほんブログ村 歴史ブログ 世界史へ
にほんブログ村