【日本人】とは何か… ① | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

 …「ヒロリン…blog」(2011年7月頃)に接して、ヤット、始めて、インターネットを通じてのブログの書き方に対する操作方法を身につけれる処となり、其の存在(ヒロリン)に、今でも感謝しています。

 …先日のブログ(ameblo)に記した我が研究に於ける期間的年代を以て、初期的我が研究(母国語に因る[元初…日本国家成立起点])は、其の答えを見出し、理論付けし、其の形状(Ouroboros的…蜻形状)を、[図表(起業秘密)]として完成させた、其の年月日(先日のブログに記載済み)の日付を以て…我が初期的オリジナルに因る研究は終了と致しました。思えば、此処迄に到るに、やはり、クラシック音楽は元より、音楽の各ジャンルに於ける、其の時と場合に添った歌詞やリズム等を交えて為す音楽の存在は不可欠で有ったと私は思います。

 …時世の流れに従い…其の流れの中に於ける時代に開発された[レコード盤・音楽…時代]が有ったからこそ[CD盤・音楽…時代]が構築されたので有り、いきなり、[CD盤・音楽…時代]の幕開けは存在しないので有ります。然るに、過去に於けるレコード盤時代に育った私は、何故か、歪みを交えたレコード針に因って流れてくる音楽の響が、私の脳裏に残っていて、其の音を再現する器械が、未だ、形(スクラップ的形状)として目に止まる範囲(我家)に存在する限りに於いて考えれば、其の機器で聞いた音楽の音は、私の脳裏の中に以て響きわたり続けているので有りますが、当時の音響機器がスクラップ的な状態(プレーヤー以外は未だ健全で有った)な爲、[CD盤]を近くの図書館から借りてきて、今(2013…平成25年1月12日)、「モーツアルト交響曲第38・39・40・41番」(サブァリッシュ指揮…チェコフィルハーモニー管弦楽団)を聴きながら、明日の例会(先代史研究会)のResumeを作成中で有ります。

 …我が研究の開始以後、ズーッと、何かに追われ、寝ても覚めても、其の答の追求ばかりが頭にこびりついていましたが、今は、其の束縛から解放され、ゆったりとした気分を何十年かぶりに味わっております。そんな中、何故か、今は、モーツアルトのリズムが聴きたくなったので有ります。モーツアルトの音楽を聴こうと思えば何時でも出来たはずですが、何故か聴く気になれなかった。やはり、気持ちが落ち着いた時でないと、其のリズムに乗りきれなかったのだと思います。以前、テレビ放映に於いて41番(ジュピター)を聴いた事が有りますが、当時(此の事は私のブログに記載しています)は、未だ率先して聴く気にはなれていませんでした。

…さて、漢字表記に言う表題の…「[日本人]とはなにか」…に付いて言えば、漢字表記の【日本】と言う表記に対しては、古代の歴史書に於いては「ヤマト」と訓付された読み方が成されておりました。然るに、我が国最古の歴史書とされる『日本書紀』の巻頭に於ける…「日本書紀巻第一」…と成す漢字に対しては、「ヤマトフミノマキノツイデヒトツニアタルマキ」等と訓付されています。然るに、「何故、歴史書的文書が我が国に於いて作成されたの」と言えば、中国大陸文化圏以外、乃ち、「古代…地中海沿岸文化圏」から移住し、[歴史的…文書伝書]の重要性を認識していた人達が、乃ち、現在に言う日本史に於ける我が国の上代史時代に当たる頃に存在していたからで有りました。因みに、現在に於ける韓国が、其の昔、国家としての歴史書的文書の存在が重要で有る事に気が付き、国書(三国史記・さんごくしき)を作成したのは、我が国の『日本書紀』(其れ以前にフルゴトフミが成立していた)が成立した年(720年)より425年も遅れての、其れは、高麗17代仁宗の命に因って作成(金富軾)され、其の歴史的文献資料としては、中国文献(三国時代…新羅・高句麗・百済)を借りての歴史書(1143年執筆~1145年完成)作成で有りました。

…然るに、[日本]と成す漢字表記対し、「ヤマト」(母語)と言うのは、元来、我が国は「ヒノモト」(日ノ本)と言う語意の意味が認識(古典的天文学)されていたからで有り、其の、「ヒノモト」と言う語意に対する思想的呼び名が「ヤマト」で有りました。然し、此のような言語の語意に関する理由付けに到るには、我が国に於ける列島的地形を把握(蜻蛉・臀呫)していたからこそ我が国の国号が命名出来たので有ります。つまり、現在に言う近畿圏に於ける奈良の地域、其の古代史に言う、大和(オオワ…此の文字の語意の根元はヒノモトの意では無い)に都を置いた推古天皇(小治田の宮)頃、つまり、其の時代頃から、其の地域(山に囲まれた地域)に拠点を置いた豪族、及び、部族の人達は、[元初的…ヤマト]の語源を知る由も無く、然るに、外国(中国を始とする其の大陸の諸国等)からは[]と漢字で書き表されている事を鑑み、乃ち、元明天皇の時、「」の文字が[]に変えられ、更に「」の文字が付け加えられて「大和」と書く事が定められたとされるが、厳密的に言えば、推古天皇(崇峻天皇…暗殺された後)時代頃からの人達の、其の地域から見た考え方に基づけば、「ヒノモト」(日ノ本)と言う地理的語意の発想は難しく、強いて言えば、「ヒノモ」(日ノ本)、及び、「ヤマト」と言う語源の発想は、やはり、東北地域(日高見国)に政権を有した部族(ホツマ思想…良く整った美しい国の意)の発想だったと私は考えます。

 …然るに、歴史書を残す事(残し文)の重要性とは、乃ち、困った、迷った、等に於いて、其の問題の解決策に於いては、祖先が生きてきた証しとして書き残してくれた歴史的文書を読む事に因って、其の過去の事例が参考(先祖の足跡)に出来ると言う事で有ります。従って、「ヤマト・フミ」(『日本書紀』)に言う「ヤマト」の「」とは、[数値・10]の意で有ると共に、「アシアト(足跡)」の「(アト…跡)」の意味で有り、因みに、「山の…フモト」に言う「フモト(麓)」(国字…梺)とは、「フム(踏)…元(モト)」の意で有ります。

 …然るに、我が国の創建史に於ける…其の建国以降に於いて、「何もかにもが、中国、及び、韓国、其の方面の陸地的文化の継承に起因している」等と、其の諸外国の人達が思い込んでいるような節が感じられ、そう言う処に、我が国と、其の隣国に於ける歴史認識が、何時迄経っても、ズレ、が生じるので有るように思われます。然るに、我が国の先史に於ける、日本列島の中に於いて、尚、諸外国の移民を受け入れながらも、基本的には、我が民族独自的な文化を発展させ、更に其処から新たに立ち上げられた…[ヤマト(日の本)思想]…を、モットー(Motto)とした、[元初…ヤマト国家・元年暦](神武・即位元年暦)に因る…[ヒノモト(日本)国家創建]を果たしたので有る等(Identity)と言う事を、良く認識する必要が有る事、然り、で有ります。