【竹生島】の語元 (黎明的な意味を有す漢字の語源ではありません) | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!









…【
竹生島の語元】 (黎明的な意味を有す漢字に言う其の語源の意ではありません)…

…【竹生島の語元】(語元の意は根拠がハッキリしている意味)は、「宗像・三女神」、即ち…《「①タケコ媛」・「②タキコ媛」・「③タナコ媛」》…の三姉妹の中の「①タケコ媛」(オオナムチ・別称大国主の妻となる)の名前に由来します。然るに、「①タケコ媛」と「竹生島」との因果関係的内容を記した物語が、 『秀真伝』 (ホツマツタヱ)文書に記述されています。因みに、「チクブ→竹生」(音訓混合読み)に言う、「チク→竹」、と言う表記は、漢字言語(音読)の読み方であり、間違った表記方式であります。従って、「タケフ」(訓読)と読むのが正しい読み方です。

…『秀真伝』(神代文字文献→五・七調の和歌コトバで記載されています)に因りますと、「①タケコ媛」(竹は元来、真っ直ぐな性質の意と解されます)の夫となったのが、「オオナムチ」(出雲を追われ津軽に隠居した)の嫡男である「コトシロヌシ」であった。其の「①タケコ媛」は多賀(近江・伊弉諾尊が祀られている)に詣で、【イスキ海】(現在の琵琶湖)の中にある【イスキ島】(現在の竹生島)に、夫の「オモムロ」(初代大物主→コトシロヌシの遺骨?)を収めたと言う事が記載されています。然るに、其の記述中にある…
「竹(タケ)に生(ウ)まれる…竹子媛(オキツ島媛)」…の語意が…即ち…「イスキ島→タケフ島→竹生島」と言う繋がりを以て成る、現在に言う「チクブ島」の語元であります。尚、其れ以前に言う「イスキ海」(琵琶湖)、及び、「イスキ島」の語元は…「霰がススキに当たる音に、其のヒントを得て、琴の音楽(イスキ打ち)を大物主(コトシロヌシ)が作った」…と成す処にありました。つまり、「イスキ海」の語元は、楽器()に関連していて、現在に言う「琵琶湖」も楽器(琵琶)に関連させています。

…「都久夫須麻(つくぶすま)」と言う万葉仮名的漢字の用い方は、いかにも太古の言語を訓読したかのようでありますが、其れは、仏教伝来説を付す意を以て成る「説話・浅井媛物語」に起因するのかもしれません。然して、延喜式(927)以降、神社縁起に関連する説話に伴い、「謡曲…竹生島」が出来た頃には、原典、つまり、 『秀真伝』 (ホツマツタヱ)文書に忠実的な「タケフシマ」と言う言語に対する語意を以て、其の表題は、忠実的に、其の漢字を当てて【竹生(タケフ)島】と表記されています。然るに、其れが、やがて【音読…チク(竹)】、【訓読…ブ(生)】、【訓読…シマ(島)】…と言う呼び方に成って、「
都久夫須麻(つくぶすま)」に成ったのかも…


以下【追記】(2014/4/24/木曜)します…


【カミヨモジ】(神代文字)…と言う語意の初出は、『秀真伝』 (ホツマツタヱ)文献に記載(カミナフミ)された事に起因する。尚、「斎部宿禰廣成」(大同二年・807年)に言う「(前文略す)…「上古の世、未だ文字有らざるとき、貴賤老少、口々に相伝へ、前言往行、存して忘れず…(後文略す)」(『古語拾遺』)等と記載された中の、其の、【書契】の意味に対し、齋部廣成の後裔(コウエイ)で在る処の「忌部政通」(インベマサミチ)は、『神代巻口訣』(南朝→村上天皇・16年…1335年の時に書いている)に於いて…「神代の文字は象形也」…と記述している。 つまり、【書契】とは、神との契約に於ける言語を書き表す象形文字」(秀真・文字等の意味)と言う事で在る。つまり、【神代文字】は、「ダマスコ契約宗団」(クムラン秘技宗団)が創製(契約に伴う文書を記す文字の意)した文字の意味であったのだが、其処の部分は秘密裏に継承されていた事を以て、末裔に向かう程、其の詳細が失われていったと考えられます。

因みに、紀元前二世紀~一世紀頃の、地中海沿岸文化圏諸国の興亡史に於いて、
ダマスコ契約宗団」(クムラン秘技宗団)の存在が在ったからこそ、其の後年に「元始キリスト教」が成立した時代が到来したので在る。而して、其の秘技宗団の存在が世界的に認められる事と成ったのは、其の宗団が、其の、クムランの地域から姿を消してから、「約・2000年程の年月」を経た、「1947年昭和22年)・イスラエル国家成立承認の年」の事(年の瀬に近い頃)で在りました。


以下【追記】(2014/4/25/金曜)…

…《『秀眞伝』(ホツマツタヱ)文書は日本人の『聖書』として書かれた》…より


…下の花は[ハマボウ(黄槿)の花]です。此の海岸は、昔(65年程前)、海の中でした。炭坑の黒いボタ(廃土)で埋め立てられ、海水は濁り、海岸に住んでいた我が家(叔父の家・瓦製造業)は立ち退きを余儀なくされました。そして、其の[ハマボウ(黄槿)の花]の木(三本)は切り倒されました。当時、此の木の名称は、家族は勿論の事、我が家を訪ねて来る人達の誰もが知りませんでした。

…私が此の木の正式な名称を知ったのは、四十歳を過ぎた頃でした。図書館へ行く習慣が出来、植物図鑑を調べて解りました。現在は、【絶滅危惧種】に指定されています。此の海岸は勿論の事、此の湾の周辺の何処にも咲いていなかったのでしたが、去年の夏、帰郷した折、埋め立てられ、遙か遠く迄も埋め立てられていく海岸を散歩していると、昔、我が家の海岸の側に咲いていた木の花の種から、発芽して、此の木が復活し、美しい黄色い花(花心は深紅)を咲かせていたのでした。

…炭坑が廃坑に成ったのは、私が中学3年頃でした。其れ以後、炭坑の汚泥的なボタ(廃土)の埋め立ては止まった事。尚、何十年かの歳月を経た事を以て、表面的な海水は綺麗に成っていました。そんな綺麗な海水に成った事と、山の木の伐採で山の水が以前より遙かに増水(大雨の時)し、其の水が勢い良く海岸へ流れ込むように成った事で、昔、咲いていた花の種が、其の山水に押し流され、遙か遠くになっている海岸線迄押し出された結果、海岸へ辿り着けたのだと、私は考察した次第であります。

…此の[ハマボウ(黄槿)の花]の木は、海水の処でしか咲かない種族とされています。此の木の種類と致しましては、沖縄の「ユウナの花」(別名・大黄槿)があります…


…現在、私が、【日本語の始まり】、【日本国家・起元解明】の研究をするに至ったのは、此の木の花に遭遇(2歳の夏)した事に起因します。つまり、其の2歳頃の私は…【 → 】…の語元が本当に知りたかった事に起因します…

…尚、其の下の画像の【桜】は、新種の【笹部櫻(ササベソクラ)】(大阪府立・茨城高校で今年の4月5日の土曜に撮影しました)。