☆…[東日流外三郡誌](東日流・六郡誌の中の外三郡誌)は、[青森県市浦村史…資料偏]として作成される時、膨大な資料を有す[和田文書]の中から其の資料に関する部分等が提供されました。従って[原書・和田文書]に対して[偽作説]として批判すべきで有るが、安本美典(元・産業能率大学教授)は、直接的[東日流外三郡誌]の原典に対し良く調べもせず、其の総てが和田喜八郎氏(昭和2~平成11年)が創作(偽作)した文書で有ると勝手に決めつけ、其の[偽作説]を宣伝をしたのが騒動(雑誌社も良く調べもせずして偽作説に相乗した)の始まりであった。其れは[古田武彦・古代史論説]に対する批判(安本美典氏の逆恨み)として転化(裁判の本質は別に有った)されたに他ならず、青森地裁の判決は、其の「偽作説を否定しました」。従って、「江戸の敵は長崎でも返り討ち」と言う事で有り、その後に於ける偽書説者は、此の件に関し、沈黙した儘に有ります。若し、其の裁判の判決が其の反対の結果だったと考えれば、「鬼の首を取った」が如くにして、今でも大騒ぎしている可能性が示唆されます。