「神代文字」の存在を肯定する齋部廣成・著『古語拾遺』
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…『古語拾遺』(齋部廣成・著/大同2年=807年初版)には【神代文字】文書にしか記載が無い部分(ホツマ7章)、つまり、天照大御神が磐戸(岩戸)から出現した時の様子を漢字に変換し記述している。然し、神代文字的仮名に直せば~「アハレ、アナオモシロ、アナタノシ、アナサヤケ、オケ、サヤケ~」(後文略す)となる。
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齋部廣成の文言(前文略す)~「上古の世、未だ文字有らざるとき、貴賤老少、口々に相伝へ、前言往行、存して忘れず」(後文略す)と言う意味は、ヤマト国家創建に着手した当時(AD1世初頭)は、未だ漢字が無かったと言う事である。因みに、ヤマト国の創建者達が極東列島への移動(紀元前1年/前漢時代の王莽が政権を簒奪した頃)する以前、既に作成済の象形文字(母音と子音文字との合字・シバの女王の女王系エチオピア文字をルーツとする物部文字&ホツマ文字)を持っていました。
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つまり、齋部廣成は「神代文字」文書に記載された文面を漢字に変換し~「阿波礼・阿那於茂志呂・阿那多能志・阿那佐夜憩・飫憩」(アハレ ・アナオモシロ ・アナタノシ ・アナサヤケ ・オケ/後文略す)と『古語拾遺』(808年)記していたのであるす
。従って、その後年に於ける於ける忌部政通(マサミチは齋部廣成の子孫)は【神代巻口訣】と題し~「神代文字は象形也」(幾何学的形状文字/アイウエオ=〇.冂.△.弓.□)と言い切っている。つまり、「神代文字」文書は推古天皇の御代に至り聖徳太子が古来からの象形文字(ホツマ文字)を漢字に変換し作成したのが『先代旧事本紀大成経・72巻本』である。その後その文書の中の旧事等を抜粋し、【日本紀】(ニホンギと読む/養老四年=AD720年奏上本)と題し作成された。そしてその下書き文書の写本伝承本、即ち「佐々木旧蔵本、田中本、岩崎本」(他十数種の写本あり)等を明治時代(明治30年~明治34年)に編輯し、経済雑誌社から刊行されたのが現存の『日本書紀』、つまり逸書【日本紀】の下書文書と言う事である。
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早い話が、齋部廣成時代(古語拾遺初版・大同2年=807年)以前(765~767年/孝謙&称徳女帝時代)に、弓削の道鏡が神代文字を焚書にしていた当時、その事に意を唱えた三輪氏の赤坂比古は自害し、その子の代々彦は「和仁估」(神代文字で書かれたホツマツタヱの保存者)と改称し、淡州菅浦(滋賀県)に蟄居し『ホツマツタヱ』文書を隠し置いた。それが昭和時代の戦後に再発見(昭和41年=1966年)され、現在は全国の図書館でも読めるように成っている『ホツマツタヱ』(秀真伝)文書である。
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「天照ON神」(ヲン神)のルーツは、聖書地名で古代エジブトの【太陽の町】(ヘーリオポリス)に祀られた【ONカミ】(Godエロヒムの御魂の別称/ギリシア神話ではヘリオス=太陽光線の意)であった。つまりそのONカミの御霊数価300とカミ数価58を合わせた【358】(300+倭語カミ数価58=358)は、創世記の最初の預言文言カルデア語(アラム語)の「イエバシロー」(日本語訳~シロが来るであろう/創世記49・9~10)、つまり要約すれば「メシアが来るであろう」と言うフレーズ文字(IBASILH/イエバシロー)数価【358】を用い、統一国家(八紘一宇)としてのヤマト国が成立しました。
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つまり『ホツマツタヱ』文書作成の目的は、イェルサレム(古語サレム)第二神殿陥落(AD70年以後ユダヤの人々は亡国の民となる)の翌年を、聖書的に日本の歴年史に接続(ホツマ最後の景行天皇の即位年は意図的にAD71年に成るように設定された)させる為であった。
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★要約すればホツマ文書のミマキイリヒコ(崇神)12年=AD351年の時として、大祭司IAΩ(八尾)のアラ(AL)ヒトのミコトノリ、つまり「詔~ハツクニ知らすミマキの代」と発すを以て、その年からメシア来臨数価358を年数に変換し過去へ遡った紀元前7年の時を【死海文書】(1947年にクムラン洞窟から発見)に記されたハルマゲドン(最終6年戦争)開始年として設定された。つまりそれが現存『日本書紀』に記述されている「反逆者・長髄彦討伐開始年」(甲寅・天鈴暦51年/ホツマツタヱ29章に記載)物語である。そのハルマゲドン最終6年戦争(死海文書は【戦いの書】と訳す)的、長髄彦討伐戦の勝利の暁として【死海文書】に記されたメルキゼデクの恩恵(イェルサレムの永遠なる祭祀権の収得),及び「神武(タケヒト)の即位元年」(幻の西暦1年目=辛酉年/天鈴暦58年)としてヤマトの歴年史は聖書的に再設定されました。因みに「幻の西暦1年目」とは、クムラン大地震年(ヘロデ王の第7年)から数えGodエロヒムの頭文字数価を年数として「31年目」の時として設定されました。因みに、現在の西暦年(Anno Domini)は6世紀中頃に設定されの過去に遡って設定されたものであり、我が国が最初に設定していたのであった~
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因みに、「景行天皇」(ヲシロワケ)の即位元年設定方式は、世界史的に後漢の歴年史に照合して設定されています~つまり「景行天皇28年は唐の章和帝12年(太神宮諸雑事記第一の景行天皇条/後漢・和帝の章和元年=AD87年+和帝12年=AD98年-景行天皇28年=AD71年)の時として記されている。つまりそれは、イェルサレム第2神殿陥落の翌年に当たります。その【太神宮諸雑事記第一】は、「伊勢神宮の創建~平安末期」迄の主要事項を編年体で記した皇大神宮の禰宜の荒木田一族の手で書き継がれた文書です~
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