「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

♪ シモネッティ作曲…マドリガル(バイオリン曲)… [ハマボウ(黄槿)の花の下で]より ♪

北イスラエルのヨセフ系の人達が我が【ヤマト=日ノ本】国の創建者だった!

イスラエルとユダ民族の捕囚の移住地~

 

バビロン捕囚」の検索結果 

★ヤコブの12支族の中のヨセフの紋章(子のマナセとエフライムも同じ)は「一角野牛(ユニコーン/後年に於ける任那国・ミマナの語元はミマキ入彦=崇神天皇の御名ミマが語元である)も同じだった…我は加羅国、君の御子、角が有ら人、 父が名は、牛キ有り人、伝え聞く~/諸祝ふ時、角1つ、有る人此処福井県の敦賀の語元となったに、漂えり~ホツマツタヱ34章)。

★北イスラエル国の捕囚(紀元前722年頃)は、アッシリア帝国の領土(メディア国.等)に連行された。 

★近年、失われたイスラエル(ヤコブ)の12支族の内のヨセフの子マナセ族の子孫が、インド北東部(ミャンマー)から2012年12月25日にイスラエルのテルアビブ国際空港に到着し、帰還を果たしました。 

★捕囚としてメディア地域に移住(紀元前722年以降)させられたヨセフ系の一部の人達はシャンシュン(現在に言うチベット)の【カイラス山】(標高5630m・チベット高原西部…インダス川の源流…・ヒンドゥー教・ジャイナ教の聖地)で、「古・梵教」を設立する。因みに、「古・梵教」はその後に廃れたので、現在のチベット「新・梵教」は、インドから取り寄せられたとされている。

★その後年(紀元前3世紀~紀元後1世紀)、「大月氏(ゲッシ)国」は、ヘレニズムのバクトリアを滅ぼして建国し、インド北西部にまで勢力を広げた。

★三国志『魏志倭人伝』の㊟【魏略・西戎 伝 】(セイジュウデン )によると~天笁國皆并屬大月氏。臨兒國(ネパール)、浮屠經云其國王生浮屠(フト)。浮屠、太子也(後に王となる人物)。父曰屑頭邪、母云莫邪、臨児国(ヘブル語ヤハウェの別称アートマン=梵天の教えを悟るを以てなる仏教の発祥地=インドの北)が【浮屠】(祭壇の上で全焼の生贄・牛か羊を焼いて煙の薫りを主に捧げる教義~レビ記1・8~9)を生んだ。浮屠の父は屑頭邪(スッドーダナ)、母は莫邪(マヤ)。此國在天笁城中。天笁又有神人,名沙律。昔漢哀帝元壽元年(紀元前2年),博士弟子景盧(ケリョウ)受大月氏王使伊存(イソン)口受浮屠經曰復立者其人(2代目の卑弥呼=世襲ヨソタリ姫の祖・神武天皇のルーツに当たるヨセフ系の人物「イソン」)也~。

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「命の危機」(心臓・心筋病)を感じる今日この頃(78歳)~当時16歳の時は「自分の研究」(日本語の始まり)の糸口探しの旅(インナートリップ・自分探しの旅)の途中だったので、それを探す迄は結婚しないと決めていた。此の歌(19歳の時に帰郷した折、佐賀県伊万里市のレコード店で探して買ったシングル盤・青春の裏町…浜田光夫の歌)を聴けば、その旅の途中(30歳の時)で知り合った彼女の事を何時も思い出します…😀

  ↓ ↓ ↓(下の枠内のYouTubeをクリック=青春の裏町 ☆浜田光夫☆)…

 

 

★【日本語の始まり】のルーツは、【死海文書】(1947年=昭和22年にヨルダン西岸に位置すクムラン洞穴から発見)に記されている「ミルハマー」(ヘブル語で戦いの書/ハルマゲドン最終6年戦争)に関連していた事を突き止めました。そしてそれに関連し【千木】と【鳥居】の語元も解明しました。

その「ハルマゲドン最終6年戦争」の模倣が、後年に於ける我が国の「神武天皇・即位前期」として書かれた「反逆者のナガスネ(長髄)彦を討伐する6年戦争」の事でした。その勝利の暁として即位したとする神武天皇のルーツは、創世記に記すヤコブ(後にイスラエルと改名)の12支族中の中のヨセフ系(ヨセフ系の紋章は一角野牛/後の任那の国王の呼称=角1つある人と同じ) の人物だった。

この事に付いては卑弥呼時代の【魏志倭人伝】(三国志)に対す註解【魏略】(紀元前2年に前漢の哀帝を表敬訪問した太子の身分としての伊存)に記す「伊存・イソン」(イエスの父に当たる)が神武天皇の祖に当ります!

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日本人の聖書『秀真伝』(ホツマツタヱ

ホツマツタヱは日本書紀の底本である

 

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    ↑ ↑ ↑ ↑でかいこの夢の歌)~クリック→URL=https: 

 

★第一番の歌詞~

「かぜのなーぁ ぁぁぁぁー」

「かぜのふきよぉでぇ このよはかわる」

「おれのでーぇばぁんんが かならずくるさぁー」

「そーぉぉぉ れぇまでよ」     

「オーソレ ソレソレソレ エイエイエイ」

「さけをあいてぇぇえにい うたーぁうーぅぅのぉぉだぁー」

…此の歌【でかいこの夢】は、今から62年前の1963年(昭和38年10月/東京オリンピック開催年1年前)発売で、私が16歳の時でした。つまりそれは集団就職で大阪の会社に来ての10月の事、会社の寮のテレビでただ1回見て聞いた曲だったが、此の歌詞が励みとなって今日に至っています…。

今週土曜日(2025年6月21日・土曜)、「ヤマト言葉のルーツ研究会」グループの人達が我が家に来ました。

神武天皇の別称「カンヤマト・イハワレ彦」、即ち~「カン(上)よりに名もカンヤマト(ヤ.276+マ.15+ト.3=294)、イハワレ彦(磐我彦)のアマ君と、あまねく触れて年サナト(辛酉/幻の西暦1年目)、橿原宮の初年と、御代カン(上)タケ(タ.210+ケ.153=363+ヤマト294=657)の、大いなるかな」(ホツマツタヱ29章)。…その合計数価【657】は、伊勢神宮の建立年数価(エルサレム神殿陥落BC586年+第2神殿陥落翌年AD71年迄の年数と同じ/AD71年は景行天皇の即位元年に当る)と同じです。そして、ヤマトの語元数価「294」は、1947年に発見された【死海文書】をクムラン洞穴に隠し残し紀元前31年に姿を消した クムラン秘儀教義宗団の「祭司方式1巡294年」数価で有ると共に、ヤマト言葉の助詞テニオハの語元でもあつた!

つまり、「磐我彦」(神武天皇)とは、創世記に記すヤコブ(後にイスラエルと名乗る)の子ヨセフ(紋章は一角獣/任那国の王と同じ)系の伊存(イエスの父で後に極東列島の王となる人)は、紀元前2年(元寿元年)に天竺(インド)から前漢の哀帝国を表敬訪問(卑弥呼時代の【魏略】に記載在り)した後、エゼキエルの預言(エゼキエル書43・1~2)にもとづき極東列島へ移動し、日本=ヤマトの国を建国しました。

因みに、その年(元寿元年=紀元前2年)の12月25日に【日食】が起きた後、それ迄追われていた王莽は首都の長安に呼び戻された。その時、天竺(以前は天毒・天篤と呼ばれていた)を経由し長安に来た大月氏国の使いとしての太子「伊存」(後に王となる人)が、哀帝国の或る学者の弟子とする景盧(ケイリョウ)に浮屠経(日本のフトマニ=太占の前身)を伝授していた、その浮屠経の内容を知った王莽は、自分も王となる計画(予言的石~「王莽に告ぐ皇帝になれ」と書いた石を井戸に隠し後で発見させる工作) を用いるを以て王莽は自分の政権国(新時代)を打ち立てた(前漢と後漢の中間・AD8年~AD23年迄の15年間)事により、極東列島の島(i=イはヘブル語の島)の王と成っていた「伊(i)存」(ヨセフの子孫でイエスの父)は、王莽政権と貿易を始めた。その事に起因し、その後の後漢との交流の手がかりと成る。

その証拠は、王莽政権時代に鋳造された【貨泉】(貨幣)が八尾市の亀井遺跡(ΙΑΩ=ヤオの大祭司の居住地だった竹淵神社の近く)から出土している事である。この貨幣【貨泉=カセン】出土の事は、八尾文化協会が発行していた季刊誌『河内どんこう』(№1989/29号…に掲載(八尾市立図書館に保存されている)されています。

 

… 

 

 

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カミの数式「496」は完全数の一つ!

 

「496」は完全数の一つで古代ギリシア時代に天地創造と関係があると崇められた数価です。そしてそれが超弦理論から一般相対性理論と素粒子の数式的に矛盾なく導き出されました(後文 略/Google・クリック 検索 ⇒  https://tvmatome.net/archives/5567 /神の数式2「超弦理論」~宇宙はなぜ生まれたのか~|NHKスペシャル

『ホツマツタヱ』は、黙示文書(預言書)とされる【ダニエル書】(BC2世紀前半頃成立)に秘められた秘儀数価(ゲマトリア)を用いて構築されています。つまり、「ヤマト」(日ノ本=極東としての定義付けはアジアの語元に起因する)地域に位置し、小国連合体制から国家としての定義付けは、反逆者としての長髄彦討伐後の天鈴暦58年(幻の西暦1年目・辛酉=ヘロデ王第7年の大地震から31年目)をタケヒト(神武の幼名)の即位元年として定義付けた事に始まりました。

因みに、長髄彦討伐開始年(紀元前7年=天照大神誕生から179萬2470年/日本カミ代物語歴年史は300萬年で終焉す)の設定方式は、先述の黙示書(ダニエル書)に記載された秘儀数価の合計「3685」(2300+1335+50/割り当ての地に立=3685)と、モ-セ5書の創世記のアッカド語ベラシト(BRASIT)のカバラ数価3910を合せた「7595」(アダムからノア迄の生涯年の合計数/ギリシア文字のカバラ数価合計数と同じ)に関連する。

…つまり、長髄彦討伐開始年時(BC7年)に言う天文学的な秘儀数価年、即ち…「179萬2470年」(天照大神・生誕年から計算された年数/日本カミ代物語の歴年史は300萬年で終焉す)数価出自は、先述に言う黙示書(ダニエル書)に記載された秘儀数価(2300+1335+50/割り当ての地に立=3685)と、モ-セ5書最初の創世記の元語文字(カルデア語ベラシト/BRASIT)のゲマトリア数価3910を合せた「7595」である。そしてその数価の出自は、ギリシア文字全27字のカバラ数価とイオニア式文字数24迄(ホツマ文字に因るアワの歌の文字数とする)の三角数との合計数である。

つまりそれは「7595」に、Godエロヒムの別称ヤーウェ(IHVH)との接近数【236】(ユダヤ教の神秘の謎を解く鍵とする数価236を解読すれば宇宙の秘儀が明らかになるとされる)を掛けた数価「179萬2420」を抽出し、更に、ヨベルのヨベル50年(大恩赦年数価/自由と大解放のヨベル50年とは7年×7=49年明け50年)明け51年に対しホツマツタヱ文書に於ける「天鈴暦51年」と定義するを以て、その年をハルマゲドン(善軍と悪軍との最終6年戦争/1947年にクムラン洞穴出土【死海文書】に記すハルマゲドン最終6年戦争=ヘブル語ミルハマー・1QMとして記載在り)の模倣戦として設定する。その意味する処は、その戦の勝利の暁にはメルキゼデクの恩恵(イェルサレム大祭祀権の収得/伊勢神宮の建立を可能とする)の年と位置付ける為である。つまりそれは神武天皇の即位元年(幻の西暦1年目・辛酉)と定義し、再設定(崇神天皇12年=AD351年から紀元前7年に遡っての再設定/太神宮諸雑事記第一・雄略天皇21年条の484年文言に関連)する為であった。

従って、日ノ本(世界最初の1日&1年の始まり日の誕生地)の国としての国土形成文言「オノコロ」の、その語元数価「790」(ヤマト式カバラ三角数790が出自でありホツマの天鈴暦の終焉年=景行天皇在位通歴790年と同数価である)は、先述の「完全数496」と、ヤマトの語元数価294(クムラン祭祀方式1巡年数価/クムラン祭司勤務24組が年52週の6年で312週~つまり49ヨベル年×6回=294年)を合わせた数価として、命名されました~😀

神の数式 完全版 第3回「宇宙はなぜ始まったのか ~残された最後の難問~」

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「神代文字」の存在を肯定する齋部廣成・著『古語拾遺』

…『古語拾遺』(齋部廣成・著/大同2年=807年初版)には【神代文字】文書にしか記載が無い部分(ホツマ7章)、つまり、天照大御神が磐戸(岩戸)から出現した時の様子を漢字に変換し記述している。然し、神代文字的仮名に直せば~「アハレ、アナオモシロ、アナタノシ、アナサヤケ、オケ、サヤケ~」(後文略す)となる。

齋部廣成の文言(前文略す)~「上古の世、未だ文字有らざるとき、貴賤老少、口々に相伝へ、前言往行、存して忘れず」(後文略す)と言う意味は、ヤマト国家創建に着手した当時(AD1世初頭)は、未だ漢字が無かったと言う事である。因みに、ヤマト国の創建者達が極東列島への移動(紀元前1年/前漢時代の王莽が政権を簒奪した頃)する以前、既に作成済の象形文字(母音と子音文字との合字・シバの女王の女王系エチオピア文字をルーツとする物部文字&ホツマ文字)を持っていました。

つまり、齋部廣成は「神代文字」文書に記載された文面を漢字に変換し~「阿波礼・阿那於茂志呂・阿那多能志・阿那佐夜憩・飫憩」(アハレ ・アナオモシロ ・アナタノシ ・アナサヤケ ・オケ/後文略す)と『古語拾遺』(808年)記していたのであるす

。従って、その後年に於ける於ける忌部政通(マサミチは齋部廣成の子孫)は【神代巻口訣】と題し~「神代文字は象形也」(幾何学的形状文字/アイウエオ=〇.冂.△.弓.□)と言い切っている。つまり、「神代文字」文書は推古天皇の御代に至り聖徳太子が古来からの象形文字(ホツマ文字)を漢字に変換し作成したのが『先代旧事本紀大成経・72巻本』である。その後その文書の中の旧事等を抜粋し、【日本紀】(ニホンギと読む/養老四年=AD720年奏上本)と題し作成された。そしてその下書き文書の写本伝承本、即ち「佐々木旧蔵本、田中本、岩崎本」(他十数種の写本あり)等を明治時代(明治30年~明治34年)に編輯し、経済雑誌社から刊行されたのが現存の『日本書紀』、つまり逸書【日本紀】の下書文書と言う事である。

早い話が、齋部廣成時代(古語拾遺初版・大同2年=807年)以前(765~767年/孝謙&称徳女帝時代)に、弓削の道鏡が神代文字を焚書にしていた当時、その事に意を唱えた三輪氏の赤坂比古は自害し、その子の代々彦は「和仁估」(神代文字で書かれたホツマツタヱの保存者)と改称し、淡州菅浦(滋賀県)に蟄居し『ホツマツタヱ』文書を隠し置いた。それが昭和時代の戦後に再発見(昭和41年=1966年)され、現在は全国の図書館でも読めるように成っている『ホツマツタヱ』(秀真伝)文書である。

「天照ON神」(ヲン神)のルーツは、聖書地名で古代エジブトの【太陽の町】(ヘーリオポリス)に祀られた【ONカミ】(Godエロヒムの御魂の別称/ギリシア神話ではヘリオス=太陽光線の意)であった。つまりそのONカミの御霊数価300とカミ数価58を合わせた【358】(300+倭語カミ数価58=358)は、創世記の最初の預言文言カルデア語(アラム語)の「イエバシロー」(日本語訳~シロが来るであろう/創世記49・9~10)、つまり要約すれば「メシアが来るであろう」と言うフレーズ文字(IBASILH/イエバシロー)数価【358】を用い、統一国家(八紘一宇)としてのヤマト国が成立しました。

つまり『ホツマツタヱ』文書作成の目的は、イェルサレム(古語サレム)第二神殿陥落(AD70年以後ユダヤの人々は亡国の民となる)の翌年を、聖書的に日本の歴年史に接続(ホツマ最後の景行天皇の即位年は意図的にAD71年に成るように設定された)させる為であった。

★要約すればホツマ文書のミマキイリヒコ(崇神)12年=AD351年の時として、大祭司IAΩ(八尾)のアラ(AL)ヒトのミコトノリ、つまり「詔~ハツクニ知らすミマキの代」と発すを以て、その年からメシア来臨数価358を年数に変換し過去へ遡った紀元前7年の時を【死海文書】(1947年にクムラン洞窟から発見)に記されたハルマゲドン(最終6年戦争)開始年として設定された。つまりそれが現存『日本書紀』に記述されている「反逆者・長髄彦討伐開始年」(甲寅・天鈴暦51年/ホツマツタヱ29章に記載)物語である。そのハルマゲドン最終6年戦争(死海文書は【戦いの書】と訳す)的、長髄彦討伐戦の勝利の暁として【死海文書】に記されたメルキゼデクの恩恵(イェルサレムの永遠なる祭祀権の収得),及び「神武(タケヒト)の即位元年」(幻の西暦1年目=辛酉年/天鈴暦58年)としてヤマトの歴年史は聖書的に再設定されました。因みに「幻の西暦1年目」とは、クムラン大地震年(ヘロデ王の第7年)から数えGodエロヒムの頭文字数価を年数として「31年目」の時として設定されました。因みに、現在の西暦年(Anno Domini)は6世紀中頃に設定されの過去に遡って設定されたものであり、我が国が最初に設定していたのであった~

因みに、「景行天皇」(ヲシロワケ)の即位元年設定方式は、世界史的に後漢の歴年史に照合して設定されています~つまり「景行天皇28年は唐の章和帝12年(太神宮諸雑事記第一の景行天皇条/後漢・和帝の章和元年=AD87年+和帝12年=AD98年-景行天皇28年=AD71年)の時として記されている。つまりそれは、イェルサレム第2神殿陥落の翌年に当たります。その【太神宮諸雑事記第一】は、「伊勢神宮の創建~平安末期」迄の主要事項を編年体で記した皇大神宮の禰宜の荒木田一族の手で書き継がれた文書です~

 

 

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【サクラ=桜】の語元!

日本語の元点【ヤマト言葉】のルーツは🌸サクラの語元に関連す。つまり「酒飲む合いに、桜の実(サクランボ=ギリシア語ケラスス)、秋帰る日も、酒贈る」(ホツマ・11章)。

◆サクラ(桜)の語元はギリシア語「Χ(ch)erasu」(ケラス=赤い実を付けるサクランボの木)だった。その頭文字「Χ」(Χ/Χi・キー)は、春日氏族の祖であり我が国最初の祭祀者(ギリシア系香取氏の1人娘を娶る)と成った、そのアメのコヤネ(コ=Χ屋根が置千木の語元)の語元数価85(ア1+メ20+コ22+ヤ23+ネ19=85)は、倭の天使「アマカツ=空這う児」の秘儀数価85と同じ天使数価である。

そして、数価千(チ)を表すギリシア文字「X」の形状を、天界に坐すGod(カミ=上)の依代として建立された「倉造・社殿」の屋根に設置(置千木)するを以て、Godエロヒムとの交信教義(フト祝詞文言をGodに届ける教義)と定義付け、尚、その第22番目文字「Χ」(「サ=Χ」と「コ=Χ」に当る)は、ヤマト言葉の「サ」(サ倉=佐倉氏の祖先~ペルガモン系の人達がサクランボの苗木の持ち込み者)に当る故、山桜に対し「サクラ・佐倉」と命名されました。

因みにサクラの語元ルーツ「ケラス/Χ(ch)erasus」(赤い実🍒が生るサクランボ)の木は、「自家不和合性植物」だから繁殖が難しかった。それで似た種類で山に咲く花の木を社殿等の敷地内に植樹するを以て「サクラ」(里桜/千葉県の佐倉氏・桜打氏の語元)と命名されました。

因みに日本では【国花】は法定されてなく、天皇や皇室を象徴する花は菊である。そして、現在のサクランボ(果実桜)の多くはヨーロッパの「甘果桜桃=西洋実桜系」(江戸時代初期の中国のサクランボは寒さに弱く広まらず)が、明治初期に欧米から伝えられた)とされています。

日本語の元点【ヤマト言葉】のルーツは🌸サクラの語元に関連す。つまり~「酒飲む合いに、桜の実サクランボ=ギリシア語ケラスス、秋帰る日も、酒贈る」(ホツマ・11章)。

◆サクラ(桜)の語元はギリシア語「Χ(ch)erasu」(ケラス=赤い実を付けるサクランボの木)だった。その頭文字「Χ」(Χ/Χi・キー)は、春日氏族の祖であり我が国最初の祭祀者(ギリシア系香取氏の1人娘を娶る)と成った、そのアメのコ(Χ=千木)屋根の語元数価85(ア1+メ20+コ22+ヤ23+ネ19=85)は、倭の天使「アマカツ=空這う児」の秘儀数価85と同じ天使数価である。

そして、数価千(チ)を表すギリシア文字「X」(アメのコヤネ命の語元文字)の形状を、天界に坐すGod(カミ=上)の依代として建立された「倉造・社殿」の屋根に設置するを以て、Godエロヒムとの交信教義(フト祝詞文言をGodに届ける教義)と定義付け、尚、その第22番目文字「Χ」はヤマト言葉の「サ」(サ倉=佐倉氏の祖先~ペルガモン系の人達がサクランボの苗木の持ち込み者)に当る故、山桜に対し「サクラ・佐倉」と命名されました。

そのサクラの語元ルーツ「ケラス/Χ(ch)erasus」(🍒・赤い実が生るサクランボ)の木は、「自家不和合性植物」だから繁殖が難しかった。それで似た種類で山に咲く花の木(後に言う山桜)を社殿等の敷地内に植樹するを以て「サクラ」(里桜/千葉県の香取系の佐倉氏・桜打氏の語元)と命名されました。

因みに日本では【国花】は法定されてなく、天皇や皇室を象徴する花は菊である。そして、現在のサクランボ(果実桜)の多くはヨーロッパの「甘果桜桃=西洋実桜系」(江戸時代初期の中国のサクランボは寒さに弱く広まらず)が、明治初期に欧米から伝えられた)とされています。😀

 

サクランボ、核果の木、ザイフリボクの画像のようです

 

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日本の「神武・三輪・住吉・桜打=香取・白山姫」のルーツ

…倭人のルーツはエチオピア系(ソロモン妃シバの女王系・Y染色体民族)でサマリア(北イスラエル)に住んで居た人達だった。それは紀元前721年にサマリアが陥落した後、1部の人達は南ユダ国に移住。そして南ユダ国の滅亡後(紀元前586年にイェルサレム神殿陥落)は、ダビデ系で【脱・ユダヤ教思想】(預言者エゼキエルの教え)を引き継いだ【義の教師】グループ(ダマスコのアブラハムの村を拠点とした【太陽の国思想】研究グループ/その末裔がイエスキリスト)に加わった。その【義の教師】の或人は、エゼキエルの預言「悔い改め期間430年間」を子孫を通じ全う(BC586-430=紀元前156年頃迄)した人達の前に現れて「ダマスコ契約」(ダマスコ文書はカイロのケニザ=倉庫から発見)を結ばせた。そしてその紀元前156年頃、エゼキエルの預言に基づきエチオピア系の人達は陸路にて東に移動し、東の果てに於ける理想郷地の探索に向け旅立った。その旅の途中、成都(四川/雲南の北に位置す三星堆(タイ)遺跡地・盤古物語=天地開闢物語に関連)の【西王母】天勝(アマカツ)を頂く西王母が日本の白山姫の祖の子孫達(アモス系の人達)を取り込み、四川の南に位置す雲南の昆明(コンメイ)地域(西南夷の一種で滇(テン)国の別称・タイの北に位置す)では【洪水伝説】(スガンリ伝説)を持ち込んだ。そのY染色体を有したエチオピア系の人達はスマイル(微笑・エミス)思想を有した「三輪氏族の祖」紅海からの海路移動の人達=シバの女王系アクスム王国の人達が住吉氏族の祖に当たる)であった。そして「滇(テン)国」(紀元前202~後8年/マゲを結った民族の国)は、前漢の王から倭人として「蛇鈕(ダチュウ)金印」(AD57年に我がヤマト国に贈られた金印と同種の蛇鈕金印)が与えられた。又、「滇国」に住み着いていたタイ族の人達には「スマイル精神」(マイペンライ・mai pen rai=大丈夫/微笑)と、「太陽の国・思想」(自由の国・思想=Maung・マウングタイ/ビルマ人は東のタイを浅黒い人の国=シャムと呼んだ)を教えていた。

漢委奴国王』印に向けられた疑惑3

 

…因みに、【失われた十支族】中の「ブネイ・メナシェ族」(チベットのマナセ支族の「復立伊存」は神武天皇の祖となる)は、北インド(現在のミャンマー/タイの西方に位置す)からイスラエルに近年帰還を果たしている。因みに、「クムラン秘儀教義宗団」(1947年発見の【死海文書】を隠し残し姿を消した宗団)を指導した【義の教師】グループは、ダビデ系の人を頭として【脱ユダヤ教】(預言者エゼキエルの教え)を目指し、ダマスコ(世界一古い都市名)の「アブラハムの村」(ヨセフス著・ユダヤ古代史に記載)を拠点(クムラン宗団との契約地/ダマスコ文書に関連)として【太陽の国・思想】(ヨベル思想=自由平等思想)の研究を重ねていた。そしてその「自由平等思想」は、聖書写本に必須的な羊皮紙(ペルガマ)購入先ペルガモン王国のアリストニコス(アッタロス朝の君主エウメネ2世の非嫡出子)に教えていた。従って、アリストニコスは【太陽の国思想】を掲げ古代ローマに反抗するも鎮圧(紀元前133年頃)された。それでそのローマに遺贈され属州と成ったペルガモン王国から東(エーゲ海の東は元来フェニキア語でアス・Asu=東の意と呼ばれていた)を行政上の「Asia(アジア)」と言う呼称が誕生した。ローマ遺贈に抵抗したギリシア系の1部の人達香取・桜打氏の祖/Χerasus・ケラス=チェリー・サクランボが日本の桜の語元は、それ以前に既に理想郷地を探す為に旅立っていたエチオピア系の人達の後を追い、四川、雲南、タイ民族地を通り抜け、ユーラシア大陸の東の果て地(現在の浙江省・会稽/徐福が船出した地域)に辿り着き、後続隊(God・カミ=上の顕現=ユダヤ地域を襲う大地震を待ち望んでいたクムラン秘儀教義宗団トップグループ)の到着に備え、その会稽地を最終的集合地として整備をした。
 

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「日の本」(365)国の大晦日の神事(門松・閉め縄・鬼ヤライ)のルーツ

★ヤマトの国家としての【年中行事】(明治以前の旧暦の行事)。その師走大晦日に設置する【門松】、【閉め縄・〆縄】。そしてその夜に行われる【鬼ヤライ】(追儺)は、何故、旧暦の師走の大晦日(年末最後の日)の時として設定されたのか?。

【世界史】に向けた当時(幻の西暦1世紀初め頃)の表玄関港としての「伊万里」ヰ190・マ15・リ153=358はメシアの語元数価/創世記49・9~10/シロが来るとは、カミ(上・天地創造主エロヒム)の降臨地として命名された地名呼称です。つまり、「幻の西暦349年」(崇神天皇10年/この当時は未だ西暦年は存在しないに佐賀のカシマ(カシマ=カミの島の意/カバラ数価は189)系タケカシマ命(常陸国風土記)は、世界に向けた表玄関に当たる伊万里港から船出して東海(静岡)、及び、その近隣の国賊(クズ=国栖・現在の茨城県)を平らげました。そしてその2年後に於けるヤオΙ Α Ω =八尾/1947年発見【死海文書】のレビ記断片文字のアラヒト大祭司のミコトノリ(崇神天皇12年条記載)~即ち「初国知らすミマキ(崇神)の代」等と発すを以って我が国は、それ迄の小国連合体制を解体し、≪ヤマト(日ノ本)国家≫としての体系化を完成させました。その統一ヤマト国家としての【年中行事】を設定するに当たり、何故、大晦日(明治時代以前の暦の12月30日)の夜の神事【鬼ヤライ】門松と閉め縄・〆縄の設置に関連する)教義が設定されたのかと言えば、旧約聖書に記すノア期(創世記1656年)に発生したとされる大洪水に起因する。つまり、そのような大洪水を二度と起こさない為のユタヤ教の祭事ペンテコステ=聖霊降臨を毎年欠かさず行う事をGodエロヒムと契約(ヨベル書6・9~33)したからであった。それて我がヤマト国家では、その祭事ペンテコステの模倣として設定したのが、水無月(6月)と師走(12月)のツゴモリ(晦・新月)の日に祭祀系中臣氏が行う大祓(オオハラエ/罪を水に流す儀式)であった。早い話が、その大祓(オオハラエ)の儀式を毎年滞りなく履行する事によって、Godエロヒムとの年々契約が自動更新(門松の設置に関連されると言う事である。

何故、我が国の国称は「日ノ本=ヤマト」(最極東の意と命名されたのかと言えば、それは紀元前133年以降のペルガモン王国をAsia(アジア)の始点地とする共和政ローマ(紀元前509年~前27年迄の古代ローマ国の意)に因る行政上の呼称が誕生した事に起因する。従って、世界で最初に迎える新年の初日の出現地は、現在に言う日本列島であり、尚、その中でもFar East(最極東)に位置す事から日立(日の常床立地/現在の茨城県)の意に当る。そしてその日立地域より北の東北南部を朝の兆しの地として設定し、尚、香取(千葉県)地域は旧暦の大晦日の夜と新年との境界線地帯(利根川の河口付近)として設定された。従って、その朝の兆し(キザシが銚子の語元)の終点地点地に【鹿(カ=日)島神宮】が建立されました。因みに、鹿島の地域は太陽が普遍的循環する世界最初の1日、及び1年の始点地点(カバラ数価文言・続く意の→ツヅ数価T.19+香取フツ主数価157+鹿島数価189=1年循環法則日数365)とするを以て、カシマの頭文字「カ」(倭語カの訓読は日数の意であり、鹿と香の当て字は間違っているを取り【香(カ)取】と称し、【香(カ=日)取神宮】千葉県/黒海付近ペルガモン王国地域のケラス=🍒サクランボを語元とする桜の語元地域も建立されました。

因みに、新年の正月を迎える為の1年の角、つまり日時的には「1年最後の大晦日夜のカドで新年を待つ」(角=門で待つ)意であり、地形的地域としては【鹿(カ)島】の地と【香(日)取】の地(利根川を挟む)に当たり、其処は世界で最初の朝日の出現地に当る。又、其処は大晦日の夜の24時間の切れ目的な境界線でもある。つまり新年の最初の朝日を、そのカド(角・門)で待つ意とするを以て【角=門松】と言い換えた。従って、旧暦の大晦日の日には家の前に「カド=角=門松」カトリのカトが角=門の語元)を設置し、旧年最後の24時間の切れ目の夜は年中行事の最後としての教義、即ち 👹「鬼ヤライ」(オニとは終え物の意)神事が行われました。因みに、年末の「閉め縄・〆縄」設置の意は、その昔に終えた者(紀元前145年頃のユダヤ大祭司👹オニアス4世の意としての終え物の御名「👹・アス=明日」(アシタ=朝の意/ユダヤの1日は日没から始まり沖縄のイリオマテ=西表の語元に関連す)の「アス」が新旧の日時の隙間に入り込むのを防ぐ教義として設定されました。つまり、旧年と新年との隙間から「終え物」としてのアス(明日=朝)が侵入するのを閉め引き塞ぐ意ヤマト国は脱ユダヤ教国の意として設定し、その年末夜の「カドで待つ」意とするを以て、旧暦の大晦日の日には🎍【門松】の設置が定義付けられました。

 

 

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地理歴史)~【復立・卑弥呼】(邪馬台国)のルーツ解明に到った動機(3歳の時の出来事)!

 

★【卑弥呼】のルーツ(籠名神社祝部氏系図/『先代旧事本紀』系図)は日本の歴史、つまり日本の「古代史」(推古天皇時代頃から奈良時代=AD710年頃迄・それ以前は文字無し時代とする)の範疇では捉え切れません。従って、当研究は世界史に於ける「地理歴史」(後漢書時代は地理志・表記/古代ギリシア時代は・地理誌と訳されている)と位置付けています。その「地理歴史」への切口となるのが『三国志』の「西域伝」(裴松之・著)であります…

既に連絡済みの知人(ホツマ研究グループ/教師・高槻名誉市民を語り継ぐ会会員)が、昨日(2024/11/08・金曜)の昼過ぎに来られました。それは私の研究日本語の始まりとヤマト国家創建思想ルーツ解明を引き継ぐ事に関連し、その全ての資料を受け取る為でした。つまり、私の研究の必須的目標であった歴史上の人物(卑弥呼)をホツマツタヱ文書記載の世襲足姫(ヨソタリヒメ)として、それを三国志「倭人伝」の注解【魏略】の中に見つけた内容(天竺 ⇒ 復立卑弥呼)を、本として出版する為でした。

因みに、卑弥呼が何故ヤマトの国では「世襲足」と表記されたのかと言えば、「初代・卑弥呼」(老齢/後漢の桓帝と霊帝の治世AD147~189年頃の女性)の世襲だったから【ヨソタリ=世襲足】と表記し、その人物は我が国最古の系図として国宝に指定された元伊勢「籠神社」所有【籠名神社祝部氏系図】と、【籠名神官祝部丹波国造海部直等氏之本記・系図】に記載されています。そしてその元典は日本人の聖書として書かれた『ホツマツタヱ』(神武天皇条/系図は先代旧事本紀に因る尾張氏の系図)でした。 

その研究の始点と成ったのは私が3歳時(昭和25年=1950年)の事。つまり、我が一家は夜逃して辿り着いた伊万里の塩浜海岸際の叔父(焼塩製造兼瓦製造者)の家で、初めて迎えた夏の或る朝の出来事(昭和25年夏/『ハマボウの花の花の下で』より~   https://erusaremu4654.jugem.jp/?eid=2  ・ ⇒ クリック検索に起因します。因みにその海岸とは、下段の 白黒写真(伊万里湾・川南造船所の南側に位置す川南造船・塩浜住宅と追﨑の高尾ノ鼻との間に位置す小さな港的な塩浜海岸)の右端に位置す小さな港です。

然し、戦後(大東亜戦争)の昭和25年頃は、県道拡張工事(現在の国道204号線)で叔父の家は立ち退きを宣告されていました。そんな或る日(小学3年/昭和31年・夏)、学校の家庭訪問で早く授業を終え、先生を道案内し家に帰ると県道拡張工事関係者の人が我が家に来て、叔父が家の際に植えていた3本の木(毎年、夏には美しい黄色い花を咲かせてた木/現在は佐賀県指定の絶滅危惧種)が切り刻まれ捨てられていたのを見て悲しくなりました。つまり、3歳時に初めて見た黄色い花の美しさに感動し、花の呼称を母に訊くと、唯「木の花」言言い、誰も知りませんでした。それで、では誰が「キ=木と名付けたか」を執拗く訊くと、挙句の果てには「名付けた昔の人に訊いてこい」との母の返事であった。そんな母との言葉のやり取りの中でわたしは「言葉の不思議さ」を感じていました。それで日常的に話している言葉は誰が考えてつくったのかを、私は死ぬ迄には必ず見付けだしてみせると我が胸に刻み込みました。

そして、仕事の合間の休みを利用し資料を集め、ヤット、その研究内容を本に纏め出版する準備の処(77歳)へ行着いた次第です~(画像をクリックすれば戦時中の川南造船所の画像は少し大きく見れます)。

★浜辺の画像(ハマボウの木と花)は、叔父が植えた3本の木の花の種が「川南造船所・事務所跡地」の東海岸に流れ着いて咲いていた花を、帰郷した時に撮った写真です。現在は佐賀県指定【絶滅危惧種・塩生植物】の立て看板が、事務所跡(玄関前)に設置されています!

「復立・卑弥呼」(世襲・卑弥呼=【世襲足)の祖先「伊存」(後の神武に当たる)一行と、別働隊(クムラン秘儀教義宗団)の移動ルートは陸路と海路に分れ、徐福が出港したとされる会稽(カイケイ)で合流し、有明海北西部に上陸しました。

地図、テキストの画像のようです

   

 

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◆「卑弥呼」のルーツ解明しました!

 

★『三國志』(巻三十倭人伝/著者・陳寿)の「魏志倭人伝」に記す元書~「復立卑彌呼宗女壹與年十三為王、國中遂定、政等以檄告喩壹與」。

その宗女「壹與」(13歳)とは、『ホツマツタヱ』~「かすかをきみのおしひめお、いれてうちみやことしそみ」(31章)。に記されている忍日女(オシヒメ)に当たります。因みに、その人物は高忍日賣神社たかおしひめじんじゃ/愛媛県伊予郡松前町にある神社)に祀られています。そしてそのルーツは、日本最古の系図で国宝に指定(昭和53年)された【海部氏系図】籠名神社祝部氏系図&籠名神官祝部丹波国造海部直等氏本記の系図)に記されています。

何故三国志は卑弥呼に対し「復立卑弥呼」と表記したかと言えば、その倭人伝に対し裴松之(臣松)が注として記す【魏略】に記載している事に関連します。つまり~

★(裴松之㊟…≪魏略≫)「臨兒國(天竺/北インド・インダス文明発祥地),浮屠經云其國王生浮屠=太子。(中文略す)~前漢時代・紀元前2年に哀帝を表敬訪問した時の事として)、漢哀帝元壽元年(紀元前2年),博士弟子景盧受大月氏王使【伊存】口受(口伝)浮屠經曰復立者其人也」(つまり、三国志の東夷伝に記す復立卑弥呼のルーツは紀元前2年の復立伊存=後に王となる人物)として明記していたのでした。(魏略の後文は略します)。

因みに、此処に記す「浮屠」(フト/屠る意~祭壇の上で全焼の生贄・牛か羊を焼いて煙の薫りを主に捧げる教義/レビ記1・8~9)の教義は、その後年に於ける我がヤマト国では【フトマニ】(太占図は七曜配置図を参考にして作図)と言い換え、元来の生贄(牛・未)の煙を天に上げるのではなく祝詞文言の言葉を天上のGod(上=カミ)に届ける教義として再設定されました。

その≪魏略≫が記す【復立】とは、子孫やルーツの意としての漢字表記に当たります。従って、「2代目の卑弥呼」(魏志倭人伝の卑弥呼は世襲2代目・15歳で立つ/初代ヒミコは後漢末の時として老年で未婚の女性として記されている)は、天竺の臨児国の太子とする伊存(後に王と成る人=神武天皇に当たるを祖とする意の【復立】だった。そしてそれは日本人の聖書として書かれた『ホツマツタヱ』(秀真伝)に因ると、タケヒト(幼名/後に言う神武天皇)の妾だった久米系ユリ姫を弥彦(天香語山命/タグリコ=高倉下に嫁がせたとして記されている。つまり、それをルーツ(復立)とする天村雲命の子【世襲足姫】(ヨソタリ姫)の「世襲」の漢字は世襲制の意に当たる。それで世襲2代目として「世襲足姫】(日巫女?)と表記し、尾張氏の系図(先代旧事本紀)に記されている。

★魏志倭人伝は「復立・卑弥呼」の宋女を~「壹(壱)與・13歳で立つ。 国中遂定」と記す。つまり、その宋女とは国宝に指定された「海部氏系図」(元伊勢・籠神社系図)の中の「忍日女」オシヒメ/雨村雲命の子)に当たる。因みに、日本人の聖書として書かれた『ホツマツタヱ』(31章)に因ると~「かすがをきみの、おしひめお、いれてうちみや、ことしそみ今年13歳」と記しています。

  宝物|丹後一宮 元伊勢 籠神社(このじんじゃ) 奥宮 真名井神社(まないじんじゃ) 

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