日教組がひた隠しにし続けてきた中国、朝鮮、ソ連の加害の歴史の一つ、葛根廟事件。

ソ連軍が中立条約を破り満州に軍事侵攻する手始めに葛根廟事件(虐殺)で戦車で日本人居住区を取り囲み日本人市民をひき殺し大虐殺した。

その後中国人達が日本人の赤ん坊や幼い子供を抱いた母親達を河に追い詰め棒で叩き殺し子供達を売りさばいた。

女の子には高値をつけたというのがおぞましい。

 

 

 

 

こちらのXの投稿やWikipediaに詳しく書かれています。

 

https://twitter.com/napori_ankake/status/1426314730524745736?s=19

 

 

 

 

 

「満州で星屑と散った子供達の遺書」という満州で孤児となった子供達が、夏服のままでマイナス30℃になる冬の壮絶な環境の中で心優しく助け合いながら次々と崇高な精神を持ちながらも次々と亡くなっていった唯一の生き残りの方の体験談の本があります。

 

日教組の強い小学校で、年中戦争のことを教えられ、戦争の話は知り尽くしたと思っていたのに、ソ連軍や中国人、朝鮮半島人による日本人への虐殺など一言も教えられたことがなく、あまりに衝撃的な内容に涙を流しながら一気に読み終えた本です。

 

この本の中に、日本人の男の子が日本人居住区を襲い虐殺するソ連軍の戦車を止めようとするがそのままひき殺したことに抗議する人の話も出てきました。

 

その話こそがこの虐殺でした。

 

 

本日は8月14日。

【葛根廟事件】

1945年8月14日、満州国の葛根廟(かっこんびょう)において日本人避難民約千数百人(9割以上が婦女子)が攻撃され、1,000名以上が虐殺された事件。

ソ連軍が樺太・満州に侵攻して来たため、興安街在住の日本人約千数百人が近郊のウラハタに集結し、徒歩で避難を開始 https://t.co/3W3FYvoV86

 

 

14 Aug

本日は8月14日。

【葛根廟事件】

1945年8月14日、満州国の葛根廟(かっこんびょう)において日本人避難民約千数百人(9割以上が婦女子)が攻撃され、1,000名以上が虐殺された事件。

ソ連軍が樺太・満州に侵攻して来たため、興安街在住の日本人約千数百人が近郊のウラハタに集結し、徒歩で避難を開始したが8月14日、葛根廟丘陵付近まで到達したところで、ソ連軍歩兵部隊に遭遇したため、白旗を掲げたが、機関銃で射殺された。

 

ソ連軍は丘の上から避難民に対し攻撃を開始し、戦車が機関銃で攻撃を加えながら、避難民を轢き殺していった。戦車の後方からは、ひき殺された人々がキャタピラに巻き込まれ宙に舞いだしたという。

 

戦車による襲撃が止むとトラックから降りたソ連兵が生存者を見つけ次第次々と射殺し、銃剣で止めを刺していった。

 

2時間余りの間に非武装の女性、子供を主体とした1,000人以上が殺害され、生存者は百数十名にすぎないとされている。殺害を免れた者も戦車に轢かれたり、被弾して負傷したものや、家族が殺害されたものがほとんどであり、大勢が自決した。

 

犠牲者のうちの200名近くは児童だった。生存者に対する襲撃も執拗を極めた。

 

中国人暴民によって、身につけている下着にいたるまで身ぐるみ全てを剥がされる。また、暴民から逃れようとして川で溺死した者もいた。ある女性はソ連兵に子供を殺され、続いて襲ってきた暴民に衣服を全てはぎ取られた上に鎌で乳房を切り落とされている。

 

暴民たちは、生き残った母子を見つけると母親を棒で殴りつけ子供を奪ったり、親を殺された子供達も同様に奪っていった。

 

当時は日本人の男児は300円、女児は500円で売買されるのが一般的であった

 

終戦後も、避難民に対する襲撃は続いた。

 

12歳の少女の証言によると、少女が加わった女性たちの一団は、暴民に襲われて衣服を奪い取られ暴行を受けるなどしながら、一週間余りをかけて葛根廟駅から10kmのところにある鎮西駅にたどりついた。

 

女性たちは駅から少し離れたところにある畑の空き家に身を寄せることにしたが、夜になるとソ連兵に発見され、深夜まで暴行が行われた。暴行が終わるとソ連軍兵士たちは屋外に積まれてあった枯れ草を家の中に投げ入れては火を付け、女性たちを焼き殺そうとした。

 

少女と妹は窓のそばにいたために難を逃れることができたが、他の女性たちは火の回りが早く脱出できなかったようであると証言している。

 

助かった少女はその後、残留孤児として生きることを余儀なくされた。

 

この事件は暴民ではなく一国の軍隊の攻撃によって無差別的に大量虐殺されたジェノサイドであり、その点では終戦時に満洲の日本人難民が遭遇した悲劇のなかでも最大のものであるといわれている。

 

またソ連は同事件において、「関東軍のプロパガンダに騙されて避難民は自決した」と主張している。

 

同事件の様にソ連軍・中国人による避難民虐殺は凄惨かつ卑劣であり、同じ人間の所業とは思えません。

多くの日本人が知るべきであり、忘れてはならない歴史です。

 

 

今のロシア大使館もツイッターで、「日本は戦争で負けたことを潔く認めるべきだ。北方領土への認識が謝っている。ソ連軍はナチスと戦って勇敢で正義だ。」

等々の内容で、失礼極まりない発言を次々と投稿し続けています。

 

ソ連は、日本が無条件降伏した後、弱ったところを見計らって、一方的に中立条約を破り、非武装の日本人居住区を戦車で取り囲み、虐殺の限りを尽くしました。

中国人や朝鮮人が加担し、婦女子への強姦、残虐な虐殺をしました。

 

これは完全に国際法違反です。

 

日教組は戦前、満州への移民を推進していたので、そのせいで子供達が悲惨な目に遭わなければならなかったことを終戦直後は責任を問われていました。

 

それなのに、その後は満州で日本人が虐殺に遭い壮絶なめに遭ったことを隠し通し続けるようになりました。

 

それどころか、私の小学校の日教組バカ教師達は、満州のことを説明した時は、日本のせいで満州の人達が貧しく暮らすことを強いられたと怒り顔で攻撃的な口調で何度も話していました。

 

その学校は北朝鮮出身者のような日教組教師もいて、年がら年中慰安婦や徴用工、南京事件の話をしていました。

私は随分長く騙されていましたが、完全なる捏造の証拠を確信でき、これまでの反動で、今では中国、韓国の反日ネット工作員、五毛党、VANKが親日の外国人をターゲットに手当たり次第それらの捏造写真や捏造情報を膨大に拡散しているのに対して、私達が捏造である証拠をあばく史料を拡散しています。

 

日教組を絶対に許しません…!