先週の水曜日夜 第2回目の Pastorin Isringhausen との 洗礼のための勉強会がありました。
この日 11月17日は ちょうど Buss und Bettag というキリスト教の行事の日
(場所によっては祝日のところもあったらしい うちは平日でした~)
でしたので Buss und Bettag ってどんな日? という話や
11月14日の日曜日 Pastorin Isringhausen が仕事をされた Gottesdienst に
私も出席していたので そのときのお話など・・・・
時間に際限がなければ夜明かししちゃうんじゃない?
というほど 話に花が咲いた私達でございました ![]()
結局 勉強会のうちには Buss und Bettag がどんな日なのか? よ~わからんかったんですが
Wikipedia
で調べてみると
「悪事を犯した罪を悔い改め処罰を受ける日(Busse=悔い改める)・・・・という意味ではなくて
心の持ち方 あり方 考え方を変え 人間が神様の下へ帰る日」
↑自分的直訳
とあります。
罪を憎んで人を憎まず・・・・・ということのようです。
日曜日の Gottesdienst には時間がある限り出席するようにしている自分。
第1回目の Pastorin Isringhausen との勉強会で受けた彼女の印象がとても明るくて透明感あふれた
ものだったので ぜひ 彼女のお説教というものを聴いてみたくて 14日の日曜日はちょっと期待して出かけました。
うちの村の うちのGemeinde の 日曜集会の状況って言うのは ドイツ国内どこでもそうらしいですが
例に漏れず 閑散たるありさまで
集会に出席している信者は 10人いるかいないか? です。
Pastorin Isringhausen は
「なぜ ここの地区の日曜集会はこんなに殺伐としているのか・・・まったく寂しいものです。
教会事務所のなんらかのバックアップが必要だと思ってます」
と 語られていましたが、 この話しを 一信者である主人に仲介して話しましたところ
「この村の教会は 企画とそのコマーシャルがへたくそなんですよ。
日曜集会 と 教会 だって 信者にとって わざわざ日曜日の午前中を割いてまで出かけていくだけの
魅力がないからじゃないじゃないですか」
とスパッと斬って落としてくれました ![]()
14日 日曜日の 彼女による Praedigt は、
大きな喜びや幸せの前には
どうしても深い苦しみや耐えなければならない期間が
存在してしまうものだ
しかし 一旦 大きな喜びと幸せの中に飲み込まれてしまえば
辛く厳しかった時期など
微塵も残らずわすれてしまえるものではないのか・・・・・
ということを柱に いろいろと語られておりました。
うちの村に所属している Pastor または Pastorin の 日曜集会でのお説教には
現在の苦境を嘆くものが多く
何も 希望を与える言葉をくれる事無く集会が終わっていくので
Pastorin Isringhausen の Praedingt は割と 好感を持って聴くことができました。
日曜集会のあとは 皆 明るく 気分よく 生きる力に満ちて 家路につきたい・・・・
少なくとも 私はそう思う。
昨晩は 第3回目にして最後の勉強会がありました。
このお話はまたいづれ~