Kantorinになる! -70ページ目

Kantorinになる!

教会音楽家がとうとう職業になってしまうのか?
どこへ行く、自分?

先週の水曜日夜 第2回目の Pastorin Isringhausen との 洗礼のための勉強会がありました。


この日 11月17日は ちょうど  Buss und Bettag というキリスト教の行事の日
(場所によっては祝日のところもあったらしい うちは平日でした~)


でしたので Buss und Bettag ってどんな日? という話や 


11月14日の日曜日 Pastorin Isringhausen が仕事をされた Gottesdienst に
私も出席していたので そのときのお話など・・・・




時間に際限がなければ夜明かししちゃうんじゃない?


というほど 話に花が咲いた私達でございました  チューリップオレンジ





結局 勉強会のうちには Buss und Bettag がどんな日なのか? よ~わからんかったんですが

Wikipedia  で調べてみると 



「悪事を犯した罪を悔い改め処罰を受ける日(Busse=悔い改める)・・・・という意味ではなくて
心の持ち方 あり方 考え方を変え 人間が神様の下へ帰る日」


↑自分的直訳 



とあります。



罪を憎んで人を憎まず・・・・・ということのようです。







日曜日の Gottesdienst には時間がある限り出席するようにしている自分。

第1回目の Pastorin Isringhausen との勉強会で受けた彼女の印象がとても明るくて透明感あふれた
ものだったので ぜひ 彼女のお説教というものを聴いてみたくて 14日の日曜日はちょっと期待して出かけました。


うちの村の うちのGemeinde の 日曜集会の状況って言うのは ドイツ国内どこでもそうらしいですが
例に漏れず 閑散たるありさまで


集会に出席している信者は 10人いるかいないか? です。





Pastorin Isringhausen は 


「なぜ ここの地区の日曜集会はこんなに殺伐としているのか・・・まったく寂しいものです。
教会事務所のなんらかのバックアップが必要だと思ってます」



と 語られていましたが、 この話しを 一信者である主人に仲介して話しましたところ


「この村の教会は 企画とそのコマーシャルがへたくそなんですよ。

日曜集会 と 教会 だって 信者にとって わざわざ日曜日の午前中を割いてまで出かけていくだけの
魅力がないからじゃないじゃないですか」



とスパッと斬って落としてくれました あせる




14日 日曜日の 彼女による Praedigt は、 




大きな喜びや幸せの前には 
どうしても深い苦しみや耐えなければならない期間が
存在してしまうものだ


しかし 一旦 大きな喜びと幸せの中に飲み込まれてしまえば
辛く厳しかった時期など
微塵も残らずわすれてしまえるものではないのか・・・・・




ということを柱に いろいろと語られておりました。




うちの村に所属している Pastor または Pastorin の 日曜集会でのお説教には
現在の苦境を嘆くものが多く 
何も 希望を与える言葉をくれる事無く集会が終わっていくので 
Pastorin Isringhausen の Praedingt は割と 好感を持って聴くことができました。



日曜集会のあとは 皆 明るく 気分よく 生きる力に満ちて 家路につきたい・・・・
少なくとも 私はそう思う。




昨晩は 第3回目にして最後の勉強会がありました。

このお話はまたいづれ~