夫婦喧嘩は犬も食わない、といいますが、本人にとってはつまらないことではないのよね。そんなわけで 夕べはほんの些細なことが発端で喧嘩が始まりました。
どのように考えても彼が悪かったとおもうのですが そんなことよりも腹だたしくおもうのは
「何を僕がしたんですか?」と聞かれるので やられたままのことを言うと「覚えてないなぁ、何に対して僕はそういったんですか?そのときの状況を聞かせてください」と こんな態度で臨まれる事。
「ぼくは知らない」
この言葉、非常によく使われてます。
ディズニ-ランドに行ったとき、娘に買ってあげたティガ-の耳の形をしたカチュ-シャがなくなってしまった。ず-っと彼女の面倒をみていたのは主人だったのに
「僕はしらないよ」という。自分には責任が全くないかのよう・・・・・・・・・・・・・。
幼稚園のバザ-の話にも書いたけど 私にはあまりにも無責任な響きがある。
「しらない、できない」
ドイツ人はよく使いますね。たとえば 道を聞かれる。ドイツ人は本当にしっていないときはもちろんだけど、めんどくさいなぁ、と感じるときも「知らないわ」と答える。まあ、それはそれで無責任でなくていいのだけど。
道を知ってるときも その場にたって口頭で道の名前を告げ わかったうようなわからないような会話で終わっていく。味気ないのです。
イタリア人に道を聞く、彼らは知らない場所でも「いっしょに探そう!!」と探してくれたりする。逆にできないことでも請け負っちゃうあたりは たいへん迷惑だったりもするけど。
ヴェネツィアで 案の定道に迷って親切そうなおばさん (これはポイント、道を尋ねるときは親切そうな、しかも女性を探しましょう!)道を聞いたら彼女は全く違う方角へ帰るはずだったのにしばらく一緒に歩いてくれて 私とそのとき一緒だった友達がウイ-ンで音楽を勉強しているとはなした途端 ラ ボエ-ムのミミのアリアをフルパワ-で歌いだした、しかも演技つき。
今回の喧嘩・・・・・・・・・
今朝になっても「いつ僕はそんなことを君にいったの?」といつまでたっても認めようとしない。日本人同士の喧嘩だったらとりあえず誤っとけ、くらいのかんじでしょうか?
誤ればゆるしてもらえるのか、ってそれも嫌だけど、とぼける、屁理屈をこねる、というようなドイツ人の無責任な態度にほとほと呆れている私は 「ここで情は無用。負けてはいけない、折れてはいけない」と かなりドライ。
そんなんなので 日本へ戻ると わたしはずいぶんドライになってしまった・・・・・・と感じずにはいられないこともしばしば。
結局朝ごはんを用意してもらえなかった彼は 十分骨身にしみたらしく「・・・・・僕は君に そういいました。ごめんなさい」と誤りました。
わたしの勝ち!!なのである!!!
「Es tut mir sehr Leid」 これも言うだけは只~♪と思っていっているのかもしれないが、これが口から出てくる、ということは こちらの人にとってはかなり反省して 心から悪いと思っているしるし。
普通は「schuldigung」という言葉が使われる、まあ 失礼しました、と訳されてるけど。
ドイツ人は とりあえず「知らない、できない」という人たち、イタリア人は「もちろんさ!!
一緒にできるよ~!!」といってしまう人たち、日本人は?
こんなんで よく同盟くんでましたね、いや だから駄目だったのね・・・・と 思わずにいられない日曜日の朝でした。