悟りのススメ

悟りのススメ

どうやら悟りを開いてしまったようです。
現在の思考論理や今に至る経緯などを書いていこうと思います。
思いつきで書いていきますが、文章は苦手なのでご容赦いただきたいと思います。

多くの皆さんは小さい頃に「大きくなったら◯◯になりたい」と将来の夢を持っていたと思います。
 
ちなみに私は「大きくなったらゾウさんになりたい」と言っていたらしいですが…笑
 
多くの人はもう少し大きくなってからは職業的な将来の夢を持っていたと思います。
 
パイロットや野球選手、医師やパティシエ、保育士など色々思い描いていたと思います。
 
高収入やカッコよさなどに憧れてそうなりたいと夢をもったと考えます。
 
それ以外にも大人になってからも広い家や高級車、クルーザーや海外旅行などを目標というより夢として描いている人もいると思います。
 
子供の頃の夢と大人になってからの夢では少し意味するものが違いますが、結局は現実逃避の側面があると考えています。
 
子供の時の夢はまだ成長過程である現実からの逃避し大きくなれる前提で考えるし、実現度は別として大人も今の現実から逃避して幸せをイメージできたりするようです。
 
以前、宝くじを毎回買っている人の話を聞きましたが、当たるとは思っていないけど当たったことを考えると住宅ローンや将来への不安を少し忘れることができて幸せな気分を当選発表まで感じることができると話していました。
 
もちろん本気で狙ってないからいつも10枚だけだとも言われていましたけど…笑。
 
中には本気で宝くじを当てようと大量に買う方や研究されているブログなども見かけましたが、確率的には相当低いと思います。
 
もちろん夢の解釈の個人差などもありますが、概ね叶う根拠のない期待であると考えています。
 
 
いずれにせよ将来の夢とは金銭欲・名誉欲・承認欲求や自己顕示欲の具現化目的がほとんどであると考えています。
 
その欲を満たすために実現に勤しむかただ座って待つかは別として現状の現実逃避でイメージするものであり、脳のストレス回避機能であると考えます。
 
現状に満足していれば夢を描く必要は無いし、特に実現可能性が低いものを根拠もなく大きく期待すると不安やストレスなどのリスクは大きくなるばかりです。
 
 

〇自己正当化力が向上した現代人

 

以前、赤信号2秒以内なら大丈夫説の方の話を書きましたが、先日見た光景の話を書きます。

 

緊急車両に対する対応で、救急車に対する協力姿勢が見えない状況がありました。

 

通勤通学の時間帯ではありましたが、横断歩道の歩行者が立ち止まらないのは少し驚きました。

 

「まだ距離があるから大丈夫」「急いでいるから勘弁して」などそれぞれ自己正当化の理由はあるので立ち止まらないのだとは思いますけど少々驚きました。

 

実際にはどのような自己正当化力が働いているのかはとても興味がある事例でしたが、いじめやパワハラなどの傍観者や消極的な協力姿勢は反社会的とも取られる時代になっていると考えています。

 

社会規範に基づく良心や良識的行動を前提とした他者への無意識的な期待は強制力をもって対応しなければならない時代になってきたような気がします。

 

 

ちなみに特に理由もなく「そんなの俺の勝手だろ」と明らかに悪意がある行動などがみられる場面もありますが、これも無意識的な承認欲求や自己顕示欲が原因だと考えています。

 

これは誰かに迷惑をかけることでその他大勢の中に埋もれないよう印象付ける目的の行為で、好きな人にちょっかいかけるいたずらっ子の心理だと考えています。

 

しかし本人は「やりたいからやっている」感覚なので自覚はなく、無意識に内から出る行動なので本人に言っても理解はできません。

 

なので「なぜ行動したのか?」ではなく「何に動かされているか?」がポイントになってきます。

 

 

このように人間は感情の動物なのでその行動原理や行動論理が見ることができれば無駄な期待もしないし自分の行動もコントロールすることができます。

 

その結果、社会内における無意識の相互依存を意識し管理することで人を傷付けず自身も傷つかないことでストレスを少なく日々の生活を送ることが可能になります。

 

悟るとはそういった内容だと考えています。

 

 

皆さまの生きづらくない毎日のお手伝いができれば幸いです。

知り合いに不倫経験者がいましたが、自己正当化力を絵にかいたような人でした。

 

どんなに頑張っても不貞行為を否定することはできないと理解していても、自己正当化力に支配されてしまうようです。

 

出会うタイミングが‥とか、いつかは自分の希望が‥とか、ひどい場合は否定する周囲がおかしい、社会がおかしいと発展・暴走する場合もあるようです。

 

相手を上手く利用することが目的な行動であり、相手に上手く乗せられることが楽しい場合も多いようですが、自分個人は単独で生きている訳ではないことを忘れてしまうようです。

 

既婚者には配偶者が存在する訳で、配偶者に迷惑かける行為は既婚者本人にも迷惑をかける行為であるという客観的事実を自己正当化力が見えなくさせてしまうようです。

 

 

この傾向の人は普段の行動から見てとれる場合が多い様に感じます。

 

他責傾向はもちろん、物事を単眼的に捉えて言葉を自分のためにしか発しない感じ?で自己中心的な思考をしている人です。

 

しかし多くのこの傾向にある人たちも悪意がある訳ではなく、自身を取り巻く環境や情報を整理できていないだけだと考えています。

 

マスメディアによる不倫の話題提供や自分は正しいと思い込ませる偏った利己的な情報発信に端を発しているとも感じています。

 

それらの影響を少なからず受けている人が自己正当化力がアップしているように感じます。

 

 

〇信号は赤になっても2秒は大丈夫

 

最近ではYou Tubeなどで交通安全啓蒙動画としてドライブレコーダーの動画データを編集したものなどで多くみられますが、体感的に信号の切り替わりで突っ込んでくる車が多いように感じます。

 

以前飲食店で隣の席のグループから聞こえたある人の発言によると「信号は赤になっても2秒はそのまま突っ込めば大丈夫」とのことでした。

 

これは自己正当化力による勘違いであることは間違いないのですが、過去に急いでいる自分を正当化した結果とその過去を持つ今の自分の正当化であると考えられます。

 

このように自身の行動を正当化する思考は本人に悪意などはなく、脳がストレスを回避する機能が活動しているだけであるということを知る必要があると考えます。

 

その上で自己正当化力の存在を理解し、上手く付き合うことが必要だと考えています。

 

 

〇会社は裏切ると言われているが、実は都合よく理解していただけ

 

会社員時代に「会社は裏切るから信用しないように」という話をよく聞きましたが、これは雇用される側の会社員の思い込みであると考えています。

 

会社は事業の運営状況や会社の指揮・運営の判断ができるとされる上層部の都合などで、方向性や方針が変更することが時々あります。

 

それを会社に裏切られたと感じるのは、自身が勝手に期待て思い描いていた方向性や方針、対応が変更されたことで自身が否定されたように感じることだと思います。

 

会社が裏切っているのではなく、自身がそこまで予測できなかっただけのことだと考えます。

 

 

〇愛情も見返りに基づく行動

 

昔のサルの子供の実験でお乳は出るけど金属的な形状の母親の人形とお乳は出ないけど毛皮に包まれた母親の人形のどちらに寄り添う時間が長いか?的なヤツでしたが、結果的には毛皮に包まれた人形の方だったと記憶しています。

 

お乳という実利よりも居心地の良さという精神的安定が求められたと考えています。

 

親の立場で子供の存在を考えると自分を必要としてくれる、自分の存在を証明してくれるという意味で、承認欲求が満たされるのではないかと考えています。

 

成長が自身の楽しみになり生きがいを与えてくれるとも言われていますので、愛情を注ぐ相手には無意識下で見返りを受けいていると考えています。

 

 

最近ではペットを家族だと言われる方も増えていますが、これも可愛さや従順さ、癒されるなど愛情を注ぐ根拠となる見返りは受けていると考えています。

 

 

他者に対する気遣いができる人も他者評価を期待する見返りではなく、自己満足感や達成感が目的になっている場合が多いようです。

 

なので相手によって使い分けるとかではなく他者評価を気にせずできるようです。

 

 

何れにせよ人間の多くは利己的で自己正当化力を持ったものであると考えることが必要だと考えます。

 

 

 

皆さまの生きづらくない毎日のお手伝いができれば幸いです。

 

最近巷で話題になっているAIですが、個人的にはとても期待しています。

 

なぜかというと、AIでの分析や文書作成などでは本人が意識しづらい「小さな欲求」が排除されるからです。

 

それにより無意識的な欲求が排除されてそれに誘導される人が少なくなると考えています。

 

無意識的な敵意や選民意識、無礼や排他的思想などが排除されて読みやすくて要点などが脳に入り易い文面になると考えています。

 

 

現在の多くのメディア記事などは右や左、筆者の勉強不足や情報の偏りなどで結論に至るまでに情報自体の信用が無くなり読む気が失せる記事が多い様に感じます。

 

ちょうど漫画を読んでいたらトンデモ理論で展開し現実離れしすぎていてツッコミどころが満載で白けてしまい楽しめなくなる感じでしょうか… 笑

 

 

多くの人たちの作成資料には個性が含まれています。

 

それは言い換えれば個人の小さな欲求が見て取れるということです。

 

文体が誰かの影響を受けているとか、敢えて賢く見える表現を使っているとか、無意識に少しどこかに肩入れしたりどこかへ誘導したりが見えてきます。

 

逆に言えばそれがその人の個性であり魅力であるので魅了される場合もありますが、多くが主観の押し付けで読んでいて煩く感じる場合も多いと感じています。

 

その中には自己肥大の自己正当化力がそのまま見て取れる場合もあります。

 

 

正直、この文章も多くが主観的で気付きを誘導する目的をもった文章なので、興味のない人は興味が湧かないでしょうね 笑

 

まぁ、何かのきっかけになればとか、他に頼るものが無くなった時に辿り着いて少しでも救われる人がいればいいかな?ぐらいで書いていますのでこんなもんです…

 

だからフラットな立場を堅守するために、営業いいねや相互フォローなどを一切やっていません。

 

なのでほとんど閲覧数は伸びませんが、もし間違ったことを発信していては申し訳ないので積極的に読者を増やすようなことはやりません。

 

たまたま辿り着いた人が救われればそれで良いですし、たまたま天涯孤独の状況にあるから辿り着いただけで資本主義的競争社会で戦い抜くこともまた社会に貢献する人生ですので。

 

 

・・・とまた少し逸れてしまいました。

 

・・・で、AIの話でしたね 笑。

 

今後はAIによる作成時の条件やキーワードを知ることで、作成者が意識することもできると考えています。

 

自分の意に沿う文章を作る際には改めて条件的なものを整理する必要があると思うので、その際には自身を見つめ直すことができると思います。

 

父親の当たり前を自身の当たり前として映画を見ていたら、好きな映画は必ずR指定の暴力表現に対する注意がある…みたいな‥ちょっと違うか 笑。

 

 

ついでですが、日本に存在するメディアの多くの文章には見えない「前提条件」が存在します。

 

多くのTV出演者も「私の意見ですが…」を省略して自身の主観を一般論のように語っていることが多いようです。


これらは自己正当化力に影響を受けた思考・行動である場合が多いようです。

 

スピード違反で止められて「みんなやっている」と言い訳するのと同じだと思います。

 

なので、文書作成の際にAIを使用すると前提条件も明確にされると考えています。

 

 

基本的に優秀な人はその前提条件を省略せず、誤解が発生しないように注意を払って発言しているようです。

 

まぁ技術革新は誰かが得をするのではなく、皆が何らかの形で得をするものでないといけないですよね。

 

 

 

皆さまの生きづらくない毎日のお手伝いができれば幸いです。