前回のブログ{アメリカンブルー}の中に書いた【青い眼をした人形】のことを書くことにしました。ご存じですか?1921(大正10年)年に発表された童謡です。

作詞 野口雨情

作曲 本居長与

 青い目をしたお人形は アメリカ生まれの セルロイド

 日本の港へ ついたとき 1杯涙を浮かべてた 

 【私は言葉がわからない 迷子になったら なんとしょう

 優しい日本の嬢ちゃんよ

 仲良く遊んで やっとくれ 仲良く遊んでやっとくれ

良く歌いました。セルロイドは劣化しやすく、強く推すと直ぐにへこみがっかりでした。あのキューピーもセルロイドだったような?へこみを治すためにお風呂に入れた気が、、、

    

青い目の人形たち(343体の一部)  パスポートも名前も持っていたそうです。

明治時代後半から日米の関係は悪化していき、それを憂いたアメリカ人宣教師シドニー・ギューリックの提案で、日米の親善を願って 1927(昭和2年)年、12739体の人形が日本の横浜と神戸に到着し、日本各地の幼稚園や小学校に、また個人にも送られて「青い目の人形】とよばれ、大切にされ可愛がられていたそうです。このことに賛同して日本国際児童親善会とういう組織を立ち上げた渋沢栄一(87歳ぐらい)は、返礼として58体の市松人形を送ることに、海を渡ったこの人形たち【答礼人形と呼ばれます)】はアメリカの博物館や美術館に寄贈されました。

  

アメリカで行方不明になり、2009年にマレーシアで発見された【ミス群馬 】は、現在はアメリかに。 89年ぶりに帰ってきたミス群馬は、前橋文学館で(9時~15時 )8/21まで展示中です。下は【ミス石川】                      

渋沢栄一と青い目の人形

【日米の友情の証、青い目の人形】は、第二次世界大戦中は敵性人形として、スパイ人形にされたりしてほとんどが処分されましたが、戦後発見され343体(2023年現在)が残っています。過酷な運命を背負った人形に遭ってみたくなりました。

毎日のウクライナ侵略のニュースに胸を痛めていますが、バカげたことの繰り返しはたった一人の人間がすぐそばに出現することで起こるのだとわかりました。、、、愚かですね人間は。沢山の悲しみが生まれているのに、、、世界中の頭脳をあつめめてもダメなんですから、愚かです。

 

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