これまでの生き方を変えてしまうほどの大きなできごとは、
なんでもない普通の日にこそ起こるのかもしれない。
その日、朝起きるといつもの月曜日だった。
ただ、強いめまいがして危うく柱にぶつかりそうになった。
特に強い頭痛もなく、ただのカゼだと思っていたが
セキや発熱などの症状がないのが不思議だった。
気になったのは強いめまいと食欲不振くらい。
でも、どうしても体が動かないので、仕事を休み
自宅で安静に過ごした。
二日目の朝も症状が良くならなかったので、妻から
「近所の内科を受診したら?」と勧められたが
「ただのカゼだから寝ていれば治るよ」と
言い続けていた。
めまいが強くて真っ直ぐ歩くのに支障があったので
外出するのがとても億劫だった。
ところが、どういうわけか妻が突然、
総合病院に電話して私の症状を伝え、
受診できるかどうか確認した。
すると、その病院の方から
「紹介状がないと待ち時間がすごくかかるので
近くの脳外科を受診してから来ると
待ち時間が少なくて済む」と勧められた。
脳外科に向かう車中で私は
「カゼくらいで脳外科受診は大げさ」と
何度も言ったことを覚えている。
MRIなど、すべての検査が終わった時はすでに
正午を回っていたので、妻と
「帰りはどこかで食事して帰ろうか」と
のんびり話していると妻だけ呼び出された。
数分後、真剣な顔をした医師が現れ
「脳梗塞なので救急病院へ搬送します」と突然言われ、
驚きのあまり言葉を失い妻と顔を見合わせた。
遠くから救急車のサイレンが近づき
、身のこなしの敏捷な救急隊員たちから、
あっという間にストッレチャーに乗せられ
救急車で総合病院へ運ばれた。
病院では、大勢のスタッフに囲まれて次々と
検査を受け入院となった。
その日の夕方、病室のベットで茫然としていると
担当医が大勢のスタッフを引き連れてベッドの前に現れた。
そこで担当医から笑顔で
「1週間で退院できます」と告げられた。
私は雰囲気に圧倒されながらも
軽く済んだことに感謝した。
幸い脳梗塞の後遺症は体の麻痺などの
身体障害がゼロだった。
検査やリハビリのたびに
医師、看護師、リハビリスタッフの方々から
「ラッキーだ」と言われた。
脳外科受診から救急搬送、検査、診断、入院まで数時間。
まるでレールの上を走るかのようにスムーズな展開に驚いた。
退院後、脳梗塞の発見が遅れて
あと1センチほど進行していたら
言語障害、右半身不随、嚥下障害を
起こしていただろうと担当医から告げられた。
しかも、私がかかった脳梗塞は最も死亡率の高いタイプで、
発病すると7割の確率で重症であり、再発率が最も高い。
ところが医師の診断では再発率は、ほぼ
0パーセントとのこと。
これも神さまと妻の機転のおかげだと大感謝だ。
退院後は、脳梗塞そのものの後遺症よりも、
ほぼ治っていたはずのパニック障害の
発作のほうが苦しかった。
パニック発作とは心臓発作と呼吸困難が
同時に起こるような症状で心療内科の医師からも
「死ぬほど苦しい症状」と言われていた。
この症状は長く続かず数分から10分くらいで治る。
なおかつ、心電図にも症状が現れない。
退院後の自宅療養では入院の時よりも
体調の悪い日々が続いた。
なぜなら、病院では静かで刺激のないベットの上で
安静にしなければならないので、めまいや耳鳴りなどの
後遺症もあまり気にならなかったのだが、
自宅ではテレビもCDもあるので、周囲の音や光の
刺激があったからだ。
文章は1日かけても数行くらいしか
読めない日が続いた。
目も耳も感覚過敏な状態だったのでとても疲れやすく、
テレビを見すぎたり本などを読みすぎてしまった日などは、
しばらく寝込んでしまうほど。
これまで体験したことのないほど体調の悪い日が続き、
頭の中は一日中、悪い考えに汚染された。
例えば、窓の外でお年寄りが通りかかると
(あの人はあとどれくらい生きるのだろう?
自分の寿命はあとどれくらいか?
ライターとして再起不能では?)という具合。
どんなに打ち消しても暗いイメージしか浮かんでこない。
退院から10日後の夕方、家族全員で夕ご飯を食べているとき
パニック発作が起こり、子どもたちが心配して口々に
声をかけてきた。
そこで、妻からの促しもあり子どもたちに
母と私の体験談を話した。
私は子らに自分の心配ごとを話したことはなかった。
というのは、子どもの頃に自分の気持ちを
踏みにじられたという思いが強くて
「子どもの気持ちがわからない大人にはならない」
という誓いを自らに立てていたからだ。
だから、子どもたちにも余計な心配を
かけたくなくてパニック発作が起きた時も
我慢して口に出したことはなかった。
ところが子どもたちは、この事実を平然と受け止め、
逆に私を励ますのでとても驚いた。
でもよく考えると、末っ子以外は成人した社会人なので
当然のことではないかと気づいた。
その日の深夜、またもや突然パニック発作が起こり、
いつもの腹式呼吸で収めようとしたが効果が出ず焦り、
ついに堪えきれず妻を起こして手を置いて祈ってもらった。
発作の苦しみの中、妻に祈ってもらいなんとか発作が治まった。
その時、妻から「なぜもっと早く起こさなかったの?」と
聞かれ自分でも理由を考えた。
私の子ども時代は母がパニックを起こして取り乱すのを
目の当たりにして怖かったことを思い出した。
子ども時代は、夜寝ている時も「母が死んだらどうしよう?
自分も死んでしまうのではないか?」という考えに
取り憑かれて寝ながら何度も泣いたことを
初めて話すことができた。
すると、その瞬間、パニック発作が
消えてしまうという体験をした。
心療内科、福祉の専門家のリハビリ、
心理療法など様々なことを試して完治できなかったのに、
この日以来、発作は起こっていない。
後日、妻が突然、脳外科を受診するよう
しつこく言った理由を聞いた。
妻は、私が救急搬送された前日、ある話を聞いていた。
それは、クモ膜下出血のためドクターヘリで
救急搬送されたある男性が、危険な状態から
劇的に回復したというエピソードだった。
さらに、仕事を終えて歯科に行き、治療で
麻酔を打ったので顔半分が麻痺した状態を鏡で見て
「もし、万が一、脳梗塞にかかったら、こんなふうに
麻痺するのかな?」と一日中、考えていたとのこと。
妻がその話をもし聞かなければ、
歯医者の治療で顔が麻痺しなければ、
その翌日、私を説得して脳外科を受診しなかっただろう。
ここに神さまの導きがあったと思う。
今は後遺症から近くのものが左右に揺れて見え、
視野の一部が欠けており耳鳴りがある。
そのため、スーパーなどに行くとすべての商品の
パッケージや価格表示が揺れて見え
店内BGMで耳が痛くなる。
やがて気分が悪くなる。
これは、船酔いに似たような状態だ。
この症状は、発達障がいの特性にそっくり。
そのため、妻や子どもたちからアドバイスを受けて
発達障がいの対処法を適用し、スーパーの店内を歩く時は
床を見るようにして、BGM対策で
耳栓などをつけるように工夫している。
今現在、発達障がいの講演会や執筆、
4コマ漫画の新聞連載を行っているので
より良い内容を書けるように神さまが
家族の症状を疑似体験させてくださっていると思う。
今も、めまいと耳鳴りの後遺症はまだあるが、
ずいぶん慣れて体が回復してきた。
職場復帰を果たし、プールにも通っている。
この夏には孫が生まれる。
ある日突然やってきた大きな病気だったが
不思議なほど大事にいたらず、かえって
心の傷がいやされ、家族の結束が強まった。
大嵐のような日々だったが、行く手には
虹のような希望が見えている。
今思うのは、読みたい本が読めることのありがたさ、
大きなボリュームで
エリック・クラプトンが聴けるうれしさ、
好きなときに散歩にでかけて裸足で
芝生のやわらかさを確かめることができるたのしさ。
大きな病気にならなければ知り得なかった宝ものだ。
世界は冒険と発見にあふれている。
※記事は次女リスミーが口述筆記してくれたものをリライト
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