違和感は間違っていなかった | なぜか、全部おかしい

なぜか、全部おかしい

SNS、承認、成功、労働、AI。普通に見える社会の中で、なぜか消えない違和感を静かに観測しています。

違和感がある。

ずっとあった。

言葉にはできなかった。

説明もできなかった。

しかし確かにあった。

SNSを見ている時。

仕事をしている時。

成功者の話を聞いている時。

ニュースを見ている時。

AIの話題を見ている時。

なぜか落ち着かない。

なぜか苦しい。

なぜか疲れる。

ここに一つの違和感があった。

私は長い間、

その違和感を観察してきた。

そして思う。

もしかすると、

違和感は間違っていなかったのかもしれない。

ここが重要だ。

現代社会では、

違和感より適応が求められる。

頑張ろう。

成長しよう。

挑戦しよう。

前向きに。

もっと努力しよう。

もっと結果を出そう。

そう言われる。

すると人は思う。

苦しいのは自分の問題なのだろうか。

疲れるのは自分が弱いからだろうか。

適応できないのは自分の責任だろうか。

しかし私は、

違う気がしている。

私は団地を歩きながら考える。

SNSは便利だった。

しかし比較も増えた。

情報は増えた。

しかし不安も増えた。

自由は増えた。

しかし迷いも増えた。

成功の情報は増えた。

しかし安心は増えていない。

これは事実だ。

だから違和感がある。

それは自然なことだ。

面白いことに、

現代社会は違和感を解決対象にする。

疲れている。

改善しよう。

不安がある。

克服しよう。

落ち込む。

前向きになろう。

もちろん必要なこともある。

しかし時々、

違和感は異常ではなく、

観測結果なのかもしれない。

ここが重要だ。

例えば警報機。

煙を感知する。

警報が鳴る。

警報機が悪いわけではない。

煙があることを知らせている。

違和感も似ている。

何かがおかしい。

何かが苦しい。

何かがズレている。

それを知らせている。

だから私は、

違和感を否定しなくなった。

消そうともしなくなった。

代わりに観察するようになった。

なぜ苦しいのだろう。

なぜ疲れるのだろう。

なぜ不安なのだろう。

すると少しずつ見えてくる。

自分の問題だと思っていたものが、

構造の問題だったりする。

性格の問題だと思っていたものが、

環境の問題だったりする。

努力不足だと思っていたものが、

終わらない比較だったりする。

少し不思議だ。

違和感は敵ではなかった。

むしろ、

気づくための信号だった。

私はこのブログで、

たくさんの違和感を書いてきた。

SNS。

承認。

成功。

労働。

情報。

比較。

空虚。

不安。

全部観測対象だった。

そして最後に残ったのは、

一つの結論だ。

違和感は間違っていなかった。

苦しさも。

疲労も。

モヤモヤも。

全部、

何かを知らせていた。

だからもし、

あなたが最近、

なぜか全部おかしいと思うなら。

その感覚を急いで消さなくていい。

無理に前向きにならなくていい。

その違和感は、

あなたを困らせるためではなく、

何かを知らせるために存在しているのかもしれない。

私はそう思う。

そしてこれからも、

観測を続ける。


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▼ 静かな生存インフラ通信
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SNS。

承認。

成功。

労働。

AI。

なぜか全部おかしい。

そんな違和感を感じたことはありませんか。

なぜSNSを見るだけで疲れるのか。

なぜ成功しても満たされないのか。

なぜ真面目な人ほど消耗するのか。

私はその違和感を観測し続けています。

ブログでは書けない観測記録は、

「静かな生存インフラ通信」

で配信しています。

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観測者K

なぜか全部おかしい。

その違和感を静かに観測しています。