私には”永遠のアイドル”がいる。
(急にカミングアウトかっ…💦)
 
 
彼女は私が中学生の頃にデビューし、瞬く間に日本のアイドルとなった。
 
その歌声とルックスに惚れ、すぐにファンになった。
 
但し、当時の私はお金も無いしコンサートなどは行くことができず、実物(本人)を生で目にしたことはなかった。
 
 
小遣いを貯めてレコード店で”LPレコード”を買い、”ミニコンポ””テープに録音して聴く”のが精一杯の楽しみだった。
 
余談だが家にまだミニコンポが無い頃は、”ラジカセ”を使いFMラジオで流れる歌をタイミングを合わせて録音ボタンを押し”エアチェック”したものだ💦
(あー懐かしい 笑)
 
今思うと超アナログな感じ…と言うか原始的な方法がちょっと笑える💦
 
そういえば当時はFM局しか”ステレオ放送”していなかったっけ…。
 
だいぶ昭和なフレーズを連発してしまったので若い世代には理解できないかもしれない。
 
 
 
その後、私は高校卒業と同時に就職のため上京した。
 
 
 
私が大人になると当然ながらアイドルも大人になった。
 
そして彼女は結婚し、出産。
 
テレビにもあまり出なくなった。
 
 
いつの間にか二人(私とアイドル)の距離は遠く離れてしまった。
(そもそも近づいてないけどね…💦)
 
 
それから数十年の時を経て”アメブロ”で二人は再会した。
(会ってないけどね…💦)

 

 

 

そしてそのアイドルは2019年にステージ4の舌癌(ぜつがん)を発症。
 
一命はとりとめたが手術により一度声を失ったのだ。
 
 
術後は思うように声が出せず、もう歌は諦めようと思ったらしい。
 
 
しかし彼女は家族に勧められボイストレーニングを始めたそうだ。
 
 
彼女は諦めなかった。
 
 
ステージでもう一度歌うことを誓いトレーニングに励んだ。
 
 
そして、ついにその日がやってきた。
 
 
 
 
2023年2月15日…
彼女自身の誕生日のことだった。
 
 
『Chiemi Hori 40th+1 Anniversary Live
           ~ちえみちゃん祭り2023~』
 
そしてステージの幕が開けた。
 
 
彼女がステージに上がると鳥肌が立った。
 
彼女が歌声を発すると涙が溢れてきた。
 
 
「歌えてる!歌ってるやん!」
と当たり前の事を小声で叫んで、その後は言葉にならなかった。
 
 
何年も行方しれずだった恋人にやっと会えたような、そんな安堵の涙だった。
(ずっと片想いだけどね…💦)
 
 
2時間半のステージを彼女は歌いきった。
 
 
私も彼女に負けまいと歌い、そして踊った。
(膝に水たまってて踊れねえだろ…💦)
 
身振り手振りで踊った。
(だろうね…💦)
 
心も踊った。
(うまいねえ…💦)
 
 
彼女の場合、破裂音の"た行"や弾(はじ)き音の"ら行"の発音が難しい。
 
ライブ中もほんのわずかに違和感を感じた部分もある。
 
だが手術直後の頃と比べたら、彼女が血の滲むような思いでリハビリやボイストレーニングに挑んできたことは誰の目にも明らかだ。
 
 
デビュー曲"潮風の少女"から始まり、少女から大人の女性へと成長するように、次々と曲は変化していく。
 
 
彼女の歌う姿と私の妄想(回想含む)が重なりあい、まるで一編の映画を見ているようだった。
 
 
 この日のステージは”彼女の人生そのもの”だ。
 
 
最後はアンコールにも応え、終わってみれば全25曲を歌い切る濃密でパワフルなステージだった。
 
 
生まれて初めて生で聴く彼女の歌声。
初めて観た彼女のステージ。
 
本当に素晴らしいステージだった。
 
感動した。
 
そして燃え尽きた🔥
 
 
戻ってきてくれて本当にありがとう。
 
やはりあなたは私の"永遠のアイドル"です。
 
これからも応援しつづけます。
 
 
 
✨🎤✨
 
 

「かつしかシンフォニーヒルズ」を出たのは夜の9時半ごろ。

いつもなら寝る時刻だ。
 
仕事で疲れ果てていたのが嘘のように身も心も軽やかだった。
アドレナリンのせいかもしれない。
 
最寄の駅に向かう途中で空を見上げた。
 
「また明日から仕事がんばろう」と心で呟いた。
 
 
__🚃🚃🚃_
 
 
大磯の自宅に着いたのは日付が変わる少し前だった。
 
ワイフ~は寝息をたてていた。
 
燃え尽きることを想定して翌日は休暇をとってあった。
(翌日から仕事頑張るんじゃないのね…💦)
 
風呂に入り髪を乾かし、ワイフ~を起こさないようにそっと布団に潜り込む。
 
ステージの余韻に浸りながら目をつむった。
 
アドレナリンは減少し、仕事の疲れも手伝い
いつの間にか深~い眠りに落ちていた。
 
 
✨✨✨
 
 
「永遠のアイドル ~涙の復活ライブ~」
 
おわり