2018年の夏に母が亡くなって兄は介護から解放された。
しかし、しばらくは元気がなかった。
とても真面目な兄は母に対して後悔の念があったのだろうか。
それと、仕事中に足を怪我してしばらく仕事を休むことになったのも要因の一つと考える。


2019年の正月。
いつも通り私は実家に帰省した。

兄が珍しく私を映画に誘ってきたので、はじめて兄と二人で映画館へ行って映画を見た。
二人でLサイズのポップコーンを頬張りながら映画を観たのを昨日のように思い出す。


兄は休日はいつも母と過ごし、外出といえばたまにドライブに連れていくくらいで、介護中は映画など観に行けなかった。

好きなお酒も控えていて、私が帰省するときだけは母を私に託して馴染みのスナックへ飲みに行っていた。

彼女なんか作る暇もなかったと思うし、遊ぶ暇もなかったであろう。

介護から解放されて、これから兄も自分のために生きてほしいと皆が願っていた。
彼女も作って、結婚して、子供ができて、…etc。
50歳をとっくに過ぎていたので多くは望まないが、介護で失った時間を取り戻してほしかった。


兄は仕事で怪我をしてから約一年後の2019年9月ごろに会社を退職した。
怪我が完治せず仕事に戻れなかったためだ。

そんな中で私は11月に今の会社に再就職した。

そして兄は不自由な身でハローワークに通い、12月からの再就職が決まった。

兄と電話で話し、互いの再就職を喜びあった。
「年末帰るから就職祝いしようね(笑)」
と電話を切った。


12月のとある日曜日。
私は一人で映画を観に行く予定で身支度をしていると警察から一本の電話が入った。
部署名などを丁寧に名乗った後おかしなことを言い出した。
「○○さん、お兄さんね、亡くなったんだわ…ご遺体の…引き取り…」
全く意味がわからなかった。
私は「えっ…」と言ったきり言葉を失った。


夕刻の圏央道外回りは以外と空いていた。
関越道に入っても渋滞などはなくストレスなく移動できた。

冷たくなった兄と対面すると今度はすぐに涙があふれ出た。
この世からいなくなってしまった悲しみもあるが、再就職も決まり、これからが人生の再出発という時になんということか。
悔しさが涙となり溢れ出した。


死因はくも膜下出血。
自宅前の駐車場に停めた車の運転席で亡くなっていたそうだ。


葬儀を終え神奈川に戻る日が来た。
天気予報では雪の予報が出ており、高速道路情報によると関越道はチェーン規制が入っていた。
車は冬装備をしていないので、まだチェーン規制のない磐越道→東北道経由で帰ることにした。

腹が減ったので帰路につく前にファミレスへ入った。
外気がとても冷たかったので、私は温かいうどんを注文した。
あまり妻と会話はしなかった。
言葉を口にすると私自身泣いてしまいそうだった。

注文したうどんが配膳された。
鼻水をすすりながら温かいうどんを少しずつ食べた。
うどんは本当に温かかった。
思わず言葉が出た。
「兄貴…車ん中、寒かったよな。ごめんな。何もしてやれなくて。もう温かいうどんも食べられないんだよな。」
涙が溢れてうどんの器にぽろぽろ落ちていった。
妻の鼻をすする音が聞こえた。


本当はブログを読んだ人が笑顔になれる記事を掲載したいものだ。
この記事を読んで悲しい気持ちにさせてしまったら申し訳ない。

兄は50代という若さでこの世を去った。
その生きた証しを少しでも残したかった。
ただそれだけである。

ちなみに本日、12月20日が敬愛する兄の命日である。


おわり