6回戦埼玉大学F
6回戦は埼玉大学F途中から来た安部君を5将にいれて、私は4将に出場しました。同型角換わりの定跡から間違った攻めをしてくれたので勝利、なんと知識で勝利しました。知識勝ちしました。大昔(25年前)思い悩んだ局面がそのまま出てきて記憶にとどめておいてよかったです。
角換わりは知識量がでる戦型ですね
春木啓君が相振り飛車から作戦勝ちを収めて勝利したのが大きく、水沼君、春木優君も勝って4-3勝ち
私の関東学生将棋リーグとちょっとした話
私は1995年~1998年に関東学生将棋連盟に東京理科大学理工学部(通称理大理工)の選手として出場しました(上の代に渡辺俊雄さん、うんと下の代に大森翔太朗君や山中達也君)
1年次は多くの先輩方がいらっしゃいましたが、(96年)2年次と(97年)3年次に合計一人しか部員が入部しなかったので、(98年)4年次にリーグ戦にでても人が足りず腐りかけてしまったのを覚えています。B2からC2に降級
部の存続が危ぶまれましたが、私が卒業してからの99年に新入生が入ってきて、息を吹き返したのでありました。
国学院OBチームは、ほとんどの人が90年~90年半ばに入学したメンバーです。その頃は国学院大学の黄金期といってもいいぐらいB1で活躍していました。そして95年秋にはあともう少しでA級かというところまで昇級争いをしていました。94年の春にはうちのチーム(先輩方)と対戦していました。今回の4将の鈴木淳さんとか主力もいました。私は97年の春関東リーグで赤石氏と当たり、勝てば全勝だったのに手痛い完封をくらった相手でした。
その国学院チームもうちと同じく、96年に関東リーグに新参加した戦力は赤石氏だけで下降の一途をたどります。なんと赤石氏が四年(99年)のときには、赤石氏一人だけとなったのです。そうするとC1からC2まで連続降級はのがれません。一人だけならやめてもいいと思うでしょう。しかし赤石氏は春秋一人でもくもくと大将で出場し、6勝1敗ずつで静かに指していました。当然他の大学の人間からもたった一人でも出場する姿は立派だと賞賛されました。翌年から国学院はリーグ戦から姿を消しましたが、彼の意地は記憶に残っている人もいるのではないでしょうか
2日目5戦目国学院大学OB戦
一ヶ月後の7月30日、社団戦2日目が行われた。この日は天候が良くなくなんとか会場に到着した。エースの田中君が出場できないのは痛かった
5戦の相手は国学院大学OBで20年~25年くらい前の国学院大学将棋部の部員であったチーム(私も同時期に関東学生リーグに所属)
である。中澤秀佳さんが初日欠席のため、初戦に大将に座る
私が5将で出場、4将に津藤君、6将に高橋さんが座る。国学院チームが朝一の集まりが悪く、5人で4将にエースの鈴木氏、5将が補欠氏が座る。そして遅刻して赤石氏が6将に来たことがこちらにとって都合が悪いことになった。(7将は途中から来るということで時計だけ進めることに)
4将と6将は関東学生棋界で磨いてこられた方だけにとても厳しい、田中君でないと勝負にならない。私の相手が津藤or高橋と当たって、私が鈴木氏か赤石氏に勝たないと勝負にならないと・・・
予感が的中する5将は私の徐々に優勢になっているのだが隣の二人が振り飛車をして押さえ込まれて、じょじょに差を広げられている。キャリアの違いを見せつけられてしまう。私は卒倒しそうになったが、自分がきっちり勝たないといけないので手堅く指して勝利。
国学院7将は遅刻してきて、(不戦勝を期待したが)現れた、けど水沼君がきっちり危なげなく勝利。頼りになる。
中澤さん、春木啓君が負けで、春木優君が勝ち、津藤君が居飛車穴熊に押さえこまれて負けで3-3になる。
高橋ー赤石戦が残る、無理な動きを咎められて、高橋さんは絶望的な局面でも頑張る(すごく偉いことです) するとそのときちょっとしたハプニングが起こった
赤石氏の時計がendの表示が!!!!
時間切れ勝ちかと思ったが、対局時計に秒読みが設定されていなかったとのこと(残念!!)対局時計を変えていくばくもなく投了
3-4負け