第40回朝日歌壇賞 2023年の永田和宏選は、


どっちみちどちらかひとりがのこるけどどちらにしてもひとりはひとり

            (豊中市 夏秋淳子)


という一首。

2024.1.14の朝日歌壇 永田和宏選には同じ作者の歌があった。


ほんたうは羨ましいのよひとりよりふたりがいいに決まつてゐるわ    (豊中市 夏秋淳子)


ふと思い出したことがある。

現役の頃、ご夫婦で在宅療養をされていた90代のご夫婦。

長く薬剤師として訪問で支援していた方。

ご家族は、お仕事や学校のため日中はお留守。

私が通い始めた頃は、ご主人は酸素ボンベが手放せないけれど時にはご自身で運転してお出かけするくらいお元気。

奥様は脳血管のトラブルで寝たきりで療養中。

訪ねるとご主人がいつもふたり分のお薬を受け取り処方箋を渡して下さった。

「まあ、座り」と言われてしばらくお話しすることでご様子を観ることにしていたのだが、奥様はデイやショートでお留守のことも多かった。


「どんなに仲の良い夫婦でも最後はひとりで逝くんやで。九死に一生を得てうちに帰って来てるのに、日中は一緒に過ごすこともできひん。

元気なうちだけやから、しっかり手ぇ繋いで寝るんやで。」(←以後、セクハラギリギリ発言連発😰)


アラフィフだった私は1人で困って逃げ腰になったのだけれど、あれは人生の黄昏についての箴言だった、と思う。

1年前、2023.1.6付の朝日新聞の言葉季評で穂村弘氏が『死が2人を分かつとき 残された側が映す夫婦仲』という文章を寄せている。


彼の言うには、仲の良かった夫婦ほど残された方のダメージは大きい。


終わりなき時に入らむに束の間の後前(あとさき)ありや有りてかなしむ (土屋文明)

白梅の香り立つ道ドライブす来たことあるねと亡き妻が言う (村上理一)

遊び仲間皆未亡人私だけ家路を急ぐを同情される

 (湊規矩子)

われ死なば妻は絶対泣くだらふそれから笑ふ十日ほどして (岩間啓二さん)


穂村氏の揚げた歌だ。

生き残ったひとりは、泣いてばかりもいられない。かと言って、先立たれた友を「いいわねぇ」と羨ましがるのも違うし…

母は54歳で56歳だった父を見送った。

それから30年。ふたりではできなかっただろう自由な時間を過ごしてきた。それこそお友達に「いいわねぇ」と羨ましがられながら。

「寂しいのに」と言いながら、十分充実した時間だったと思う。

それを亡き父は目を細めて応援している気がしていた。


若年なのに早期認知症を疑われている知人は奥様と「呆けたもん勝ち」だと言い合っているとか。それを聞いた夫は「うちは倒れたもん勝ちやな」と笑った。全くである。動けないから、という理由で「やりっぱなし」「思いついたら好きなことからして良い」と許されている私。夫がせっせと後始末する生活は生まれて初めての“ストレスフリー生活”である。


これが続いているうちに発てればいいけれど。

不自由な身体で災害避難しなければいけないことになったら…

夫がまた心臓発作で倒れたら…

交通事故で入院することになったら…


ふたりがいいに決まっているのは、揃って元気な時のこと。片方がお荷物になってしまったら、決まってはいないような気がする。

私と同じくらいの年齢で同じ脳血管障害のため不自由になった奥様を、長年介護していたご主人が定期的に薬局へいらしていた。

ある夜、そのお二人の家が全焼。

無理心中だと噂された。

直前にいらした時、何か言いかけて「いや、いい」と俯いて淋しそうに笑った顔が忘れられない。


何でも笑い飛ばしてくれる夫がいなければ、生活自体が成り立たず「生きている」ことの意味が半減する私は、もう「ひとり」が成立しない。

ほんとうは考えておかなくてはならないのだろうけど、どちらかが欠けたらもうひとりの人生も壊れてしまうこと。

でも、予定通り(?)私がいなくなったら夫には「ひとり」を存分に楽しんで欲しい。

そのための友人関係をメンテナンスする自由は優先してもらうよう心がけている。