「闘病」というぐらいだから、昔から「病」は「闘う」べき敵だったのかもしれない。

けれど、それって「病」に対する正しい振る舞いなんだろうか…?


『患者よガンと闘うな』という近藤誠医師の言説が物議を醸してからもう四半世紀以上が経ってしまった。

当の近藤先生も亡くなって、「ガンと闘わない選択」について云々する話はもはや時代遅れ。

ガン治療はもっとエレガントになってきたはずだ。

そもそも抗がん剤の主力が分子標的薬、それも抗体薬になってきて急性毒性の表れかたや長期連用による耐性獲得とか蓄積毒性の影響とか、近藤先生が『闘うな』と言いだした頃とは様子が全く違ってきている。

 近藤先生自身、そこには自覚的だったみたいで晩年の本では、一旦全身病になってしまったらどこかで逆襲が始まるから、終わりのない消耗戦に突き進むのはどうなの?

という論調になっていた、ような気がする。

 

それでも…なのである。

 

まず、「ガン治療」を保険で受けられるのはガイドラインに沿った標準治療の範囲。

患者が必死で探し当てた「こんな治療があるらしいけど?」と言う方法を試すのは、そんなに簡単ではない。

そもそも、標準治療のうちどのレジメン(薬の種類、量、投与間隔などの“方法”とでも言えば近いかしら?)を採用するかは主治医と言えどもそんなに自由じゃない。

「それは保険が効きませんよ」

と言われれば、どうにもならないないのだ。

特に入院の必要な治療の場合、標準治療を標準通りの期間受けたらそれ以上は一旦退院しなくてはならない。

たとえもう少し、でも置いてはもらえないことがあるのは、そんなことしたら延長した分の全ての費用が病院の持ち出しになるから。(つまり赤字)


特に大学病院や地域の中核病院では、効果の見込めない化学療法は断られることもある。

どっちかと言えば、最近では「とことん闘いたい」患者に「いや、もうそろそろ闘わない方法で楽に生きる時間を伸ばしましょう」と医師が提案することも増えているんじゃないだろうか。


85歳以上の(晩期)高齢者 (←昔、認知症対応のレクチャーで聞いた区分。一般的ではないので悪しからず)  の場合、大きな開腹手術や肺切除、乳房切除といった負担の大きな侵襲的治療は勧めないようになってきたようだ。

DPC病院ばっかりになって、標準治療以外の治療を希望するのは事実上「無理」。

特に入院の場合には。

病名に対して、保険で認められた「治療」しかできないように決まっているから、予定終了したら、具合が多少悪くても退院しなくてはならない。緩和ケアは例外で、看取って貰えるのかと思っていたが…

緩和ケア入院ですら例外でなく、頑張って生き延びたら一旦退院しなくてはならないらしい。


ガン治療のような高度な治療をしている病院は、特に厳格なようだ。

「闘う」と言っても、それが前提。

保険治療以外の自由診療に活路を求める人が後を絶たないのも何となくわかる。


でも、そうやって「闘い」にしがみつくのがホントにいい人生の過ごし方なんだろうか?

私が迷うのは、「治療」に突き進めばQOLが犠牲になるのがわかっているから。

私が生き延びたいのは、今の生活が続けたいから。


元々が自分の細胞だった半グレヤンチャ坊主を手懐けて、一緒にゴールまで走り切る方法を考えたい。

まずは8月に東京へ行って3年ぶりに旧交を温めてきたいし、その前に孫たちに逢いたい。

それより先のことは、9月になってから考える。

体力を保つためのリハビリと万一入院の必要な場合を考えて、家の整理に着手しよう。


神経障害で新聞もチラシも畳めなくなった。

下着や靴下が畳めなくなるのも時間の問題だろう。

けれど、ちゃんと喋れない失語症の私は、キーボードやタッチパネル操作が出来なくなったら、自己表現ができなくなる。

ペンで字を書くことは日によって出来ないし。

 惰眠を貪っている場合じゃないんだった。


時々、考えを整理するためにここにこようと思う。