日本人の特性なのか、国や大企業による加害事件で検証はされないのが当然となっており、7311644に付随する加害についても無論されていないのだから、その思想は今も生きていると言ってよいだろうし、その延長上に薬害事件等は起こり続けている。


 覚書として、7311644残党が関連する事件として以下をあげる。


 47年 府中刑務所受刑者に発疹チフス人体実験」毎日新聞(8225日)



 48年 ジフテリア禍

GHQの為の予防接種法が始まり、その第一弾で、京都をはじめ西日本で死者が出た。

 これについては別途書くが、戦後予防接種を語る際には忘れてはならない事件。



 48年 百日咳の新鮮菌培養基として乳児院の乳児を利用 で「阪大病院と京都府立医大、ナゾの奇病が続出 流行性出血熱 医師ら10人以上発病 感染源は実験用ラット」(毎日新聞81421日 )


 京都府立医大で、7010月頃初めて研究者1人が発病。

 713月下旬頃までには5人以上が出血熱特有の腎不全や多量の蛋白尿などの症状を見せた。阪大微研で血清検査をしたら、3人に陽性反応が出て出血熱と確定された。

 この検査機関であった阪大微研で、細菌兵器への予備実験を行っていた。



 52-56年 ツツガ虫病感染実験

 ベトナム戦争へ向け米軍にツツガムシ病がでないための実験として、米軍生物兵器部隊406研究所が出資し、旧731部隊の北岡正見、浅沼靖が協力した新潟精神病院ツツガムシ病人体実験は、新潟大学医学部桂内科の桂重鴻教授等が、医療法人青山信愛会新潟精神病院の入院患者118人に対して、ツツガムシ病原菌(リケッチア)を注射(うち9人からは皮膚の一部を切除)。

 患者8人が死亡(うち一人は自死)。



 52年 名古屋市大医学部乳児院収容児実験

名古屋市立大学医学部小児科の医師たちが、附属病院内に設置された名古屋市乳児院の収容児に対して、特殊大腸菌(「アルファー・ベーター大腸菌」)を投与。

 投与された乳児および伝染した乳児は下痢を起こし、重態に陥って静脈切開点滴を受けた児もいた。

 伝染した乳児が一人死亡。  


 胸腺注射(前縦隔洞充気術)、バルーン法(健康児の肛門にサックを結びつけたゴム管を差し込み、空気を入れて腸の動きを調べる)などの実験的処置も相当数行われていた。


 実験の中心は予研で、東大伝染病研、東京第一病院、都立駒込病院、婦人共立育児会病院が協力して行われた。