アレック・ジョン・サッチ死去 BON JOVI | BIRKENHEAD ERKY

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ボン・ジョヴィの創設メンバー ベーシストのアレック・ジョン・サッチ死去

Alec John Such

 

ボン・ジョヴィ(Bon Jovi)の創設メンバーであるベーシスト、アレック・ジョン・サッチ(Alec John Such)が死去。バンドがSNSで明らかにしています。死因は明らかにされていません。70歳でした。

以下、声明より

「我々の親愛なる友人であるアレック・ジョン・サッチの訃報に接し、心を痛めています」「彼はオリジナルだった。ボン・ジョヴィの創設メンバーとして、アレックはバンド結成に不可欠な存在だった。正直言って、僕らは彼を通じて知り合った。彼はティコ(トーレス)の幼なじみで、リッチー(サンボラ)を僕らのライヴに連れてきてくれた。アレックはいつもワイルドで、人生に満ち溢れていた。今日、これらの特別な思い出は、僕の顔に笑顔をもたらし、僕の目に涙をもたらします。僕たちは彼がいなくなることを心から寂しく思います」

アレック・ジョン・サッチは1951年11月ニューヨーク州ヨンカーズ生まれ。ボン・ジョヴィの創設メンバーとして80年代から活躍し、世界的な人気を博していく黄金期を支えた。アレックは1994年にバンドを脱退。2018年にボン・ジョヴィがロックの殿堂入りを果たしたときには、アレック、そして2013年にバンドを去ったリッチー・サンボラと共にバンドの一員としてセレモニーに出席した。

 

 

ボン・ジョヴィの初代ベーシスト、アレック・ジョン・サッチが死去

ジョン・ボン・ジョヴィは6月5日、ボン・ジョヴィの初代ベーシスト、アレック・ジョン・サッチが亡くなったことを伝えた。70歳だった。



ジョンはSNSを通じ、以下のような声明を出した。「僕らは、大切な友人、アレック・ジョン・サッチの訃報を知り、悲しみに打ちひしがれている。彼はオリジナルだった。ボン・ジョヴィの創設メンバーとして、アレックはこのバンドの形成になくてはならない存在だった。実際、僕らは彼を通じ、お互いを知ることとなった──彼はティコの幼なじみで、僕らのパフォーマンスを見るようリッチーを連れてきた。アレックはいつもワイルドで活気に満ち溢れていた。今日、そういった特別な思い出の数々が僕に笑顔と涙をもたらしている。彼がいないことを、僕らは心から寂しく思う」

サッチは1994年までボン・ジョヴィに在籍し、ファースト・アルバム『Bon Jovi』(1984年)から『Keep The Faith』(1992年)まで5枚のスタジオ・アルバムを制作した。彼は「他のメンバーより10歳も上で、燃え尽き始めた」という。ジョン・ボン・ジョヴィは以前、脱退するとのサッチの決断に「もちろん、傷ついた。でも、僕はそれを受け入れリスペクトすることを学ばなくてはならなかった。僕は仕事中毒で、昼も夜も音楽に取り組んでいたい。(でも)誰もがそのペースに合わせる必要はない」と話していた。

サッチは2018年、ジョン、デヴィッド・ブライアン、ヒュー・マクドナルド、リッチー・サンボラ、ティコ・トーレスと、ボン・ジョヴィの一員としてロックの殿堂入りした。
 

 

BON JOVI創設時のベーシスト、Alec John Suchが逝去

BON JOVI創設時のベーシスト、Alec John Suchが亡くなったことが発表された。享年70。
 
ニューヨーク出身のSuchは、BON JOVIの誕生を支えたニュージャージー州の音楽シーンのベテランだった。ニュージャージー州セイルビルのHunka Bunka Ballroomのマネージャーとして、JON BON JOVI & THE WILD ONESをブッキングしたあと、彼のバンドに参加。1983年から1994年までBON JOVIでベースを担当した。現在のドラマーを務めるTico Torresは少年時代からの友人であり、ギタリストのRichie Samboraを紹介するなど、BON JOVIの結成にも大きな貢献を果たしている。
 
フロントマンのJon Bon JoviはTwitterにて、"BON JOVIの創設メンバーとして、Alecは不可欠な存在だった"と追悼メッセージを発表している。

 

 

 

 

1951年にニューヨーク州ヨンカーズで生まれたアレック・ジョン・サッチはファントムズ・オペラというバンドに在籍した後、ボン・ジョヴィに加入している。初期は将来のボン・ジョヴィのドラマーとなるティコ・トーレスやメッセージというバンドでリッチー・サンボラと共演していた。

 

アレック・ジョン・サッチは1983年にボン・ジョヴィに加入して、1994年まで在籍している。後任にはヒュー・マクドナルドが加入しており、現在までメンバーであり続けている。アレック・ジョン・サッチは『夜明けのランナウェイ』、『7800°ファーレンハイト』、『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』、『ニュージャージー』、『キープ・ザ・フェイス』という5枚のアルバムに参加している。

 

アレック・ジョン・サッチは2018年のロックの殿堂入りの式典で次のように述べている。「何年も前、ジョン・ボン・ジョヴィに呼び出されて、バンドに入らないかと誘われた時、彼がどれだけ真剣で、彼にヴィジョンがあること、そして彼が自分たちのもたらそうとしているものを知ることになったんだ。そのヴィジョンに加われるのが本当に嬉しかったよ」

 

「この連中は最高だよ。素晴らしい時間をたくさん一緒に過ごしたし、この人たちがいなかったら自分がここにいることはなかった。死ぬほど愛しているし、これからもそう思うだろうね」

 

 

「ボン・ジョヴィとは素晴らしい時間を一緒に過ごしてきた」 故アレック・ジョン・サッチの言葉

ボン・ジョヴィのオリジナルメンバーで、ロックの殿堂入りも果たしたベーシストのアレック・ジョン・サッチが70歳でこの世を去った。バンドは現地時間5日にソーシャルメディアに声明を発表し、元ベーシストの訃報を告げた。死因は明らかにされなかった。


「自分たちの大事な友アレック・ジョン・サッチの訃報を聞き、胸が張り裂ける思いです」

「彼は独創的でした。ボン・ジョヴィのオリジナルメンバーだったアレックは、バンド結成に欠かせない存在でした。正直、彼を通じてお互いに知り合ったようなものです――彼はティコ(・トーレス:Dr)の幼馴染で、演奏を観に来るようリッチー(・サンボラ:Gt)を誘ったのも彼でした」
 
 
これとは別に、キーボードのデヴィッド・ブライアンもこうツイートした。「心の友よ、安らかに眠れ……君と一緒にステージに立ち、人生を共にできて光栄だった。楽しかったよ」

サッチは1983年のセルフタイトルアルバムから1992年の『キープ・ザ・フェイス』まで、ボン・ジョヴィ初期のアルバム5作品でベースを担当。「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」や「ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ」「禁じられた愛」「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」などのヒット作で演奏した。1994年に脱退した後はヒュー・マクドナルドが代役を務めた。

バンドのツイートはさらにこう続く。「アレックはいつもワイルドで、人生を謳歌していました。今日そうした特別な時間を思い出すと、笑みとともに涙が浮かびます。彼の死を心からお悔やみ申し上げます」

サッチはボン・ジョヴィへの貢献を認められ、2018年に元バンドメンバーとともにロックの殿堂入りを果たした。

「何年も前にジョン・ボン・ジョヴィから電話があった。彼からバンドに入ってくれと言われた時、彼が真剣で、バンドの方向性についてはっきりビジョンを持っていることがすぐに分かった。そうしたビジョンの一員に加わることができてうれしい」と、授賞式のスピーチでサッチはこう述べた。

「彼らは最高の仲間だ。長いこと素晴らしい時間を一緒に過ごしてきた。彼らがいなかったら、受賞もなかっただろう。死ぬまで彼らが大好きだ。それはずっと変わらない」