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9割が愚痴日記ですm(_ _)m

服飾評論家・大内順子さん死去 「ファッションは人のすべて」

11月7日(金)16時25分配信

 ファッションジャーナリストの大内順子さんが10月30日、川崎市の自宅で亡くなった。80歳だった。
 テレビ東京の服飾情報番組「ファッション通信」での、大きなサングラス姿が印象に残っている人も多いだろう。
 
 大内さんは1934年、中国・上海生まれ。青山学院大在学中からモデルに。その後、ファッションジャーナリストの第一人者として、世界各地のコンクール審査員を務めるなど活躍した。01年には仏政府文化勲章を受章している。


 そのエネルギッシュな活動の原動力は、上海での終戦前後の体験と、戦争への強い嫌悪、そして突き抜けたポジティブさだった。

上海のフランス租界で遊んだ幼少期

 生物学者だった父親は、上海のフランス租界にあった自然科学研究所に勤務していた。そばの研究者用アパートに家族は住んでいた。
 広大な敷地で、門には頭にターバンを巻いたインド人の門番がいた。大内さんは親しみを込めて「インドさん」と呼んでいたという。
 「中には広い庭があって、池があって、藤棚があって、テニスコートがあって、子供の遊び場には滑り台があって、お砂場があって…」。そんな豊かな暮らしのなかで、感性を育んだ。
 「わたくしの中には、上海時代ののどかな生活がしみこんでいる」と語る。

疎開と家族離散、戦争への嫌悪

 ところが、太平洋戦争の終盤の44年、日本の敗色が色濃くなると、生活が一変した。
 小学校3年生のときに、母親と二つ年上の姉と3人で、神戸に帰国。

 子供心に「またすぐに上海に戻れる」という気楽な気分だったという。
 しかし、神戸に着いたらすぐに東京の家に帰るつもりが、「空襲がひどいから無理だ」と、大阪の叔父のところに身を寄せたのち、岡山に疎開。上海での家族4人ののどかな生活から一転、父親と離ればなれになり、東京にも戻れず、地方を転々とする。

 大内さんは、「わたくしが、戦争や戦いに強い嫌悪感を持つのは、きっとこの頃の体験によるのだと思います」と語っていた。

 
 
情報発信、商品プロデュース…マルチに活躍

 そのためか、大内さんには、突き抜けた達観とポジティブさがあった。
 「いつもやりたいことがいくつもあって、熱中してそれに取り組んで、順番にかなえていっている。だから年齢を意識したことがありません」
 01年には、ホームページを開設。新たな時代の情報発信にも意欲的だった。
 「私はファッションを服だけでなく『人にまつわるすべてのこと』だと考えている。私自身、娘1人を育て、孫もいる。福祉や育児、教育にも興味がある。でも誰も私に福祉の話を取材に来ないし、教育についての原稿依頼も来ないでしょう? ホームページは心の中でふつふつしていたものを実現したという感じね」

 常にファッションを楽しむ気持ちを大切にし、自らアイテムをプロデュースした。
 「夢中になっているといえば、モノづくりもそう。トレンドの最先端を追いかけるのは10代20代で、年配の人が追いかけても、必ずしもすてきとは見られない。だから、年配の女性が美しく見える眼鏡や靴を作りたいと思ったの。眼鏡のフレームは大きめにして肌の欠点を隠し、レンズの色も顔色が元気に見えるように配慮して。靴も楽でスラリと見えるものをと思っています」

「いつも、今が満足なんです」

 幼い頃から多文化の中で過ごし、帰国後の疎開と家族の離散、そして、世界各国で華々しい活躍を残した生涯。
 02年に、こう語っている。
  「先日友人と、『もし今死ぬとしたら、最後にどんな言葉を残したいか』という話題になりました。私は『いろいろありがとうございました』という言葉しか思いつかなかった。いつも、今が満足なんです」

朝日新聞社

 

 

 

 

 

 

大内順子さん死去 ファッション評論草分け 80歳

11月8日(土)7時55分配信

 日本のファッションジャーナリストの草分けとして知られるファッション評論家の大内順子(おおうち・じゅんこ=本名・宮内順子=みやうち・じゅんこ)さんが10月30日、病気のため川崎市内の自宅で死去した。80歳。葬儀は近親者で行った。喪主は長女、中村彩(なかむら・あや)さん。

 昭和9年、中国・上海生まれ。青山学院大在学中にモデルとしてファッション業界に入り、卒業後にジャーナリストに。40年以上、世界の一流デザイナーのコレクションを最前線で取材した。

 「ファッション通信」などテレビ番組の出演も多く、歯切れのいい口調とおなじみのサングラス姿で親しまれた。平成13年、仏政府の芸術・文化勲章を受章。著書に『パリ・コレの最前列から』『たたかわない生き方』など。

 

  

  

   

  

  

 

 

大内順子さんが死去…ファッション評論の草分け

11月7日(金)19時18分配信

 ファッション評論家の大内順子(おおうち・じゅんこ、本名・宮内順子=みやうち・じゅんこ)さんが10月30日、胆管がんのため、川崎市内の自宅で亡くなった。

 80歳だった。告別式は近親者で済ませた。喪主は長女、中村彩さん。

 中国・上海生まれ。青山学院大学在学中からモデルとして活躍。1950年代からファッション取材を始め、新聞、テレビ、雑誌でパリやイタリア・ミラノのコレクションなどの様子を伝えた。85年から始まったテレビ番組「ファッション通信」の解説を長く担当。海外の流行を伝える評論家の草分けだった。

  

   

 

   

 

   

   

   

 

 

ファッションジャーナリストの大内順子さん死去

11月7日(金)17時42分配信

 戦後の服飾評論をリードし続けたファッションジャーナリストの大内順子(おおうち・じゅんこ)さんが10月30日、病気のため川崎市内の自宅で死去した。80歳。葬儀は近親者で済ませた。中国・上海生まれ。
 青山学院大在学中にモデルとしてファッション業界に入り、卒業後はジャーナリストに。40年以上にわたり、パリコレクションなどを取材し、雑誌、新聞、ラジオなど幅広い分野で活躍した。「ファッション通信」などテレビ出演も多く、はきはきした口調と大きなサングラス姿で親しまれた。2001年、仏芸術文化勲章オフィシエを受章。主な著書に「パリ・コレの最前列から」など。 

 

 

 

 

   

   

   

   

  

アパレルの世界に興味を持った頃から、大内さんの発言やTV番組、生き様に、本当に勉強させて頂きました。

本当に、本当に、偉大な方でした。

先日から、F通信でも、「体調は大丈夫なのかな?」と心配しておりましたが・・・あまりにも突然の訃報を聞き、驚くばかりです。

私は病気で、アパレルを離れることになったけど、80歳まで、頑張ってみたかったな・・・・・。

ご冥福をお祈り致します。