お母さんが東京の病院へ転院してから、毎週金曜日の夜、私は高速バスで出発していた


金曜日は毎週本当にバタバタ


午前中パートに出て、午後から夕御飯と次の日のおかずを作り、夕方からピアノ教室、夕食、お風呂に入ってから駅へ向かう


高速バスの事故もたまにニュースで見ていたので、ビビりの私は朝までしっかり寝ることは最後の最後までできませんでした


ちなみに高速バスはトイレあり(一回も使いませんでした)
夜は22時頃、朝は6時頃に10分のトイレ休憩がありました


夜は化粧もしてないので歯磨きだけ


朝は歯磨きと化粧を10分以内にやっていました


バスの消灯は22時30分頃。
朝は6時頃電気がついてアナウンスがありました


朝は電気がついてすぐにサービスエリアに停まるので、朝が苦手な私はフラフラでバスを降りていました


そして毎度首都高でスーパーラッシュにあい、東京駅に着くのでした


病院へ行く前にあるドトールでモーニングをすることが、このときの唯一の自分へのご褒美でした






※お母さんへ※



高校生のとき東京へ上京したいってよく困らせていたね

今思うと、実家の前に家を建ててずっとお母さんの近くにいたことは良かったと思ってるよ

一緒に孫を育ててもらえて、美味しいご飯を食べさせてもらえて…

今度は私が全力でお母さんに寄り添おうって決めてたよ

でも…
あのとき全力を出したつもりだけど、やっぱり足りなかったなと今でも後悔してるけどね