🍒 私の生まれた1961年のヒット曲は、
坂本九さんの 「 上を向いて歩こう 」。
この歌と 1963年の 「 見上げてごらん夜の星を 」は、
歌詞カードを配るとたいていの人が歌えるの。
曲も歌詞もシンプルで素敵ですよね。
60年経った今でもたくさんの人に愛されています。
それで私の父の趣味はオーディオで、クラシックとジャズが大好き
でしたが、歌謡曲も大好きでした。
よくレコードかけていたのが、美空ひばり、島倉千代子、
そして青江三奈。
一番好きなのが青江三奈さん。
ハスキーボイスでとにかく色っぽい。
あの頃はまだ珍しい茶髪でした。そして体にピタッとしたロングドレス。
なんか夜の酒場のムードがプンプンしてた。
父はお酒🥃がぜんぜん飲めないので、酒場とは無縁でした。
私が小学生の高学年になると、アイドルブームが来た〜!
天地真理、アグネスチャン、麻丘めぐみ、浅田美代子・・・
もちろんマネして歌ったの。
天地真理、アグネスチャンはマネしやすいよね。
それで中学生になると 森昌子、山口百恵、桜田淳子 大人気。
私の一番仲の良いAが、森昌子さんの大ファン。
いつも「 森昌子ちゃん可愛い〜 」と言って、ファンクラブにも
入ってました。
森昌子さんは演歌で歌がとーーーっても上手かった。
それでAちゃんのお父さんは、錦糸町の映画館 🎬に勤めていたので、
山口百恵さんの主演の映画🎬はタダ券をもらって、2人で観に行きました。
百恵ちゃんって、歌も上手いけど、演技も上手だった。
とくに印象に残ってるのが「 伊豆の踊り子 」。
綺麗だったなぁ・・・
百恵ちゃんって、年のわりに大人っぽくて、みんなの憧れでした。
当時は松戸市に住んでいたので、バス🚌で市川駅に行くと、
錦糸町は電車🚃ですぐでした。
映画🎬のあと、ちょっとドキドキしながら2人で喫茶店に入った。
それでお年頃で太りたくないから、ところてん食べた。
私も歌手になりたくて、スター誕生! の予選に行ったけど、2小節歌ったら
落ちたよ・・・
ショックだったなぁ。
そして私も高校生になりました。
Aちゃんとは別の高校になりました。
高校生になったら、歌手を目指す Hさんと仲良くなった。
Hさんは 演歌でした。
2人で 「 君こそスターだ 」の予選に行ったの。
Hさんの 歌ったのは 「潮来花嫁さん 」。
ずいぶん古い歌だなぁと思ったけど、とても上手でした。
私はすぐに落ちて、H さんはどんどん勝ち抜いて、とうとう歌手になり、
レコードも出しました。
でも歌手になるのも大変だけど、ヒットするのはもっと大変なんですね。
高校生のときに太田裕美さんの曲集を買って、友達が自宅に来ると
ピアノ🎹弾き語りを聴かせてました。
木綿のハンカチーフ、最後の一葉、九月の雨、幸せ未満・・・
イイ曲が多かった。
4歳年下の妹が、ピンクレディーの大ファンで、あの頃は毎日テレビ📺で
ピンクレディーが出ていたから、2人で歌って踊ったよ。
すごいブームだったよね!
このピンクレディーの歌と踊りの練習のおかげで、デパート🏬に
就職して、新入社員歓迎旅行の宴会で披露したり、ピンクレディー商品を
売る催事のときに歌って、踊って、販売したのでした。
ピンクレディーの文具、おもちゃ、人形、三輪車・・・
すごい売れたわ。
久保田早紀さんの「 異邦人 」って、ヒットしたよね。
20歳のとき、松戸の駅近くの大きなパブで、この歌をカラオケで歌った。
このパブに行くたびに歌っていたら、それが評判になって、
私の歌が目的で来るお客さんがたくさん増えました。
もちろん私の飲食代はタダだよ。
でも土浦市に引っ越したので、このパブに通ったのも3か月でした。
じゃ、💖。