カブは協同病院のPICUへ2週間いて。このとき私はPICUの前のソファーで寝たりもしてました。PICUってNICUの赤ちゃんばんってかんじかな。

協同病院にはこの頃まだ珍しいPICUがあり、小児の循環器の専門の先生がいたおかげで助かったのでした。

両手両足だけじゃたりなくて太ももにも大きな穴をあけられ、管だらけでした。

19歳の今も、傷が残っています。

そのあと容体も安定してきたので一般病室へ。

私も同じベッドで寝られるようになりました。

長女のサリーは私の両親がみてくれていました。

私の食事は病院の食堂で食べたり売店で買ったり、母が差し入れ持ってきてくれたり。

そろそろ退院という頃、だんなさんはいつ来られますか?そのとき今までの経過を

まとめて話します。と言われ、なんか嫌な予感してました。

告知は21トリソミーのダウン症候群。

染色体の写真?みたいの見せられながら。

 

あの時の夫ドビーは、

先生が後でだんなさんの方が心配って言ってたくらい、まっさおで震えていたよ。

不安でいっぱいの私とカブを残して、逃げるように帰ったからね。上尾の自分の実家へ。

 

ちょうどこの日は入院している子供達のためのささやかな花火大会。中庭でね。

カブを抱っこして見に行きました。

病院の中でずっと暮らしている子もいるのに、カブはとりあえずうちに帰れるんだものね。

でもカブのお姉ちゃんのサリーや両親、妹、親戚に、これから迷惑かけちゃうんじゃないか?とかいろいろ考えました。

このまま消えてなくなりたいとも思いました。

ごめんねカブ、今19歳で元気です。