愛のかたち。 | 米国のにほんじん。

米国のにほんじん。

2004年に渡米。
米国の冷蔵庫の通称を持つひえひえのミネソタ州にひんやりと在住。
2 marriage, 3 kids, one full time job and 1 divorce laterの日々のことを、
つれづれなるままに日暮らしてきにメモ。

テレビの画面から、電車のつり広告に、週3で通ったカラオケの
スクリーンからは溢れるほどに
『愛』はどこにでもあった。

だけど『愛してる』と人生で初めて自分に向かって囁かれた時は
その言葉は異質すぎてまったく胸まで降りてこなかった。

朝に夕に誰かのことを思って言葉や行動の一つ一つを邪推したり
うれしくて走り出したくなる気持ち、
触れたら電気を持ってぞわぞわと鳥肌がたつようなあの感覚は
『愛』とは全く違うように思った。

大好きで、やっと『愛』に近づいたかと思われた人から
『愛してる。でも一緒にはいられない』と言われた時に
また『愛』は遠くへ飛んでしまって、また、わからなくなった。

永遠の愛を誓って指輪を交換してからは
I love youは句読点となり、意味をもたなくなった。
空気のように消えてしまうのが愛だと思った。

子供を産んで、柔らかくて温かい、ふわふわとした髪の毛の匂いを
嗅いだ時、突然愛は湧いてきた。
『この人はこのまんまで良いんだ。このまんまのこの人が
悲しい思いや痛い思いをしないように、ずっと守って行こう。』
誰かに持ってきてもらうものではなく、自分の中から生まれてきた
命と一緒に本物の愛は壊れた蛇口のようにザバザバと『溢れる』ものだった。

『たくさん嘘はついたけど、君のことは本当に愛していた。君のことを愛する気持ちに嘘はなかった。』

愛してたから傷ついた。傷ついたから傷つけた。
引き裂いて床にたたきつけた。本当に愛してたんだ。

『愛してるのに』『愛しているから』と印籠のように目の前に押し付けて、言葉で首をしめられるような
喧嘩が続いた冬を越えて
嘘ですっかりさびついた指輪を外して
指輪焼けのない久し振りの夏に

また『愛』がすっかりわからなくなった。