義母の家には大きな黒い犬がいた。
いつもドアの前にごろんと寝そべっていた。
ラブラドールレトリバー。人間の子供がはいつくばったくらいの大きさで、
猟犬。主人の命令に忠実で、川や湖にまでざぶざぶと飛び込んで行き、獲物を加えてもどってくる。
『Retriver』。
その分たくさんの運動が必要で、ペットとして飼うには朝夕の散歩が不可欠の犬種だ。
メギーが散歩に連れ出してもらっているところを私は見たことがない。
だからメギーはその賢さをたたえる小さな頭とはとても不釣り合いな大きな大きな体を
重そうにドアの前に横たえていた。
『メギー!NO!』『メギー!地下に行きなさい!』といつもいつも言われていた。
メギーはもともと夫の犬だった。
私と出会うずいぶん前に一人ぐらしのアパートに連れて行けない、という理由で
義母の家に預けられていた。
それから、何度も引っ越して、家に移っても、メギーが飼い主と一緒に散歩に出ることはなかった。
『メギーが病気でもう立ち上がれない』
義母から電話があった次の日、夫がメギーを病院へ連れて行った。
安楽死させるために。
『さくら』というビーグル犬を日本の実家で飼っていた。兄達が思春期の反抗期で毎日家族の言い争いが絶えなかったあのころ、家族に『楽しみが咲くように』と私が『咲楽』と名付けた。
父の布団で一緒に寝起きした。朝晩散歩に連れて行った。ねずみとりの毒を飲んでしまって
ふらふらで息も絶え絶えの数ヶ月間、毎週動物病院へ連れて行った。
最後の数年は目が曇り、何も見えていないようだった。
私はとっくに結婚してアメリカで暮らしているのに、家の電話がなると、私からの駅まで迎えに来てほしい、
という連絡だと信じて、夜中玄関前でずっと待ってくれいた。
さくらは18年生きた。
メギーに何もしてあげられなかった、見て見ぬふりをしていた後悔と、
あまりにも酷に思えるこの国の人の常識と。
メギーがもうあのドアの前に横たわることがなくなった日の夜、
義母が言った。
『次は小さい犬が欲しいわね』と。