【カラダノート】ママびより × バーバパパ

 

 

 

 

死産を経験した話【火葬編】

 

 

2019年1月末に死産した我が子昇天

今日は火葬に行った時の事を書こうと

思います。

 

 

 

前編と後編はこちら下矢印

 

 

 

 

 

 

 

 

退院

 

帝王切開手術から4日目。

普通は帝王切開やと術後7日目辺りで

退院になる事が多いのですが

これ以上産院にいてても辛いだけだろう

という事で、退院になりましたにっこり

 

傷はまだまだ痛かったけれど

早く退院して、早く火葬に行きたかったので

私も退院に納得しました照れ

 

 

 

 

入院中の遺体管理

 

手術から火葬するまで5日間あり

遺体が傷まないように葬儀屋さんで

保管してくれているという事でした。

 

葬儀屋さんは自分達で探したのではなく

産院で紹介された所にしました。

自分達で探す時間的、体力的な

余裕も無かったので…無気力

 

遺体の保管と火葬費用併せて

2万5千円ほどだったと思いますキョロキョロ

 

 

 

 

火葬場へ

 

退院した翌日、遺体の火葬へ行きました。

少し遠かったのでタクシーで行きました。

 

待合室で順番が来るのを待ちました。

長男(当時2歳)は旦那と一緒に

ベンチに座ったり、ジュースに飲んだり

特に変わった様子はありませんでした。

 

私は帝王切開の傷口が痛むので

ずっとベンチに座って、順番が来るのを

待っていました。

 

しばらくすると名前を呼ばれ

いよいよ火葬する火葬炉の前へ移動しました。

 

絶対に泣くと思ったのでハンカチを

握りしめて移動しました笑い泣き

 

 

 

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最後の別れ

 

火葬炉の前に行くと

棺に入った我が子がいました。

 

見た目には新生児と何ら変わらない。

でも、死んでる。動かない。

不思議な気持ちでした。

 

頭元に

『〇〇様 9ヶ月』

と一応年齢が書かれてありました。

 

 

   

 

9ヶ月…あと少しだったのにな。

なんで死んだんかな。

 

 

無念で涙が出ました。

 

 

妊娠9ヶ月。35週。

誰もが元気に産まれると思っていた。

名前も決まっていた。

死ぬなんて思いもしなかった。

 

でも、そういう事もあるんだな…。

 

 

「ごめん」「ありがとう」「またね」

その時の気持ちを伝え

死んだ我が子は火葬炉へ入って行きました。

 

 

 

 

 

家族4人で帰宅

 

1時間ほど待合室で待ちまた火葬炉へ。

 

小さな骨の塊へと姿を変えた我が子。

でももう涙は出ません。

 

『やっと家に帰れるね』

『一緒に帰ろう』

 

そういう気持ちの方が大きかったです。

 

葬儀屋さんに用意してもらった骨壺に

小さな骨を全て入れて

タクシーを呼んでもらい

家に帰りました。

 

 

 

以上が退院~火葬のお話です。

最後まで読んでもらい

ありがとうございました爆  笑

 

 

 

 

 

おまけ

 

 

 

 

確かに存在した証拠として

 

2023年3月現在、あの時に持ち帰った骨壺は

今もまだ家にあります。

 

旦那が小さな祭壇を作ってくれ

そこに骨壺、お鈴、お地蔵さんと

一緒に置いてあります。

 

母子手帳も保管しています。

産院が取ってくれた記念の足型も

壁に飾っています。

 

 

色んな考えがあるだろうとは思いますが

この世に確かに存在していた証拠として

その事を忘れないように

あえてこのような形で置いています。

 

 

 

※写真に撮りやすいように一時的に移動しました。

 

 
 
今でも時々
『生きてたら4歳か…』

と思うこともあります。

 

でも、そうやって時々思い出して

『あんたの分もお母ちゃん楽しんで生きるわ』

と思えますウインク

 

私の所へ来てくれてありがとう。

今日も頑張るよ星

 

 

 

 

最後まで読んで頂き

ありがとうございました乙女のトキメキ

 

 

 


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