どうぞ私をお使いください。
先達たちは言う。
神社に参拝したら、「神様、どうぞ私をお使いください。」と願うのだ、と。
よく分からないなりにも、「私に出来ることがあれば何なりと!」
と、願ってはきました・・・
ガ「我」を無くす道のり
自分の精神性を高める
霊性を開く
目覚めて生きる
といったことを進めていく中で、「我(エゴ)を無くす」ということは、
必ず向き合う日々の実践。
でも、これをどう理解すればいいのか、という謎は、進化を重ねるほどに
その答えも深まるばかり。
自分の言動の一つ一つに意識的になり、
古い価値観を見直し、
執着を手放し、
いかに中庸、ニュートラル、中今に居られるか。
自分の言動を観察し、意識的になるためのスタンスとして、
自分の体がガンダムならば、ガンダムの操縦席(松果体位置でもある)で
指令を出す感覚になると良い、と聞いた。
ここからニュートラルに物事を捉えて、感情から距離を取り
自分の行動を指令して行くのだ。
手放しを進める度に、軽くなった世界を感じるが、
こびりついた執着も、自分と一体化した価値観も、まだまだ出るわ出るわ。
それでも、「我」を無くすということを、肌感覚で感じるようになってきた。
そして、「我」が無くなるとは、おそらくネドじゅんさんのように
自動思考が湧き上がらずに、魂の声だけを聞いて生活する状態なのだろうと
想像する。
私って操縦席だったのね ![凝視](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/629.png)
![びっくりマーク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/611.png)
そんなネドじゅんさんは、こう言われていました。
「この体は操縦席なのに、操縦席が操縦席に座っている」のが眠りの状態だと。
だから、もう「操縦席を本体さん(魂でも神でも)にあけ渡そう」と。
ガンダム操縦席から内観し、言動を本来の自分と一致するようにしてきた。
古い価値観や執着を手放し、我が宝を他人に譲るようなこともした。
それもこれも、次のステップに移る練習だったんだと、今になって痛感する。
とうとう、「我」が座り続けてきた操縦席までも手放すのだ。
アムロみたいにもうちょっと座っていたいな、と正直思いました。
これこそエゴやん。えへ
先達が言う「神様、どうぞ私をお使いください。」の意味がやっとわかってきた。
「神様、どうぞ私を操縦して下さい」ということやったんやろう、と。
そして、アチマリカム
そして、山蔭神道八十世・表博耀さんが、当代で初めて明かす御真言は
アチマリカム「神様、どうかよろしくご統治ください。」
人間だけの力では立ち行かなくなった時にこの言葉を唱えよと、
神様から残された言葉
これを、この時代に初めて公開された意味を考えれば、
「我」をどこまで手放せばいいのか、ということが自ずと見えて来る。
良いことを教えてくれました。
日常生活の中で湧き上がる もやもや
を見つけては、
「我」が操縦してるんやなあ、と気づく今日でもありました。
が。もう観念して、朝な夕なに唱えておるんです
アチマリカム✖️31回
気づきが長くなりましたが、お読みくださりありがとうございます。
みなさまのエゴはいかがお過ごしでしょうか。
今日もまた、互いに進化の一歩を歩めていますように。