どうぞ私をお使いください。

 

先達たちは言う。

神社に参拝したら、「神様、どうぞ私をお使いください。」と願うのだ、と。

 

 

よく分からないなりにも、「私に出来ることがあれば何なりと!」昇天

と、願ってはきました・・・

 

 

ガ「我」を無くす道のり

 

自分の精神性を高める

霊性を開く

目覚めて生きる

 

といったことを進めていく中で、「我(エゴ)を無くす」ということは、

必ず向き合う日々の実践。

でも、これをどう理解すればいいのか、という謎は、進化を重ねるほどに

その答えも深まるばかり。

 

自分の言動の一つ一つに意識的になり、

古い価値観を見直し、

執着を手放し、

いかに中庸、ニュートラル、中今に居られるか。

 

自分の言動を観察し、意識的になるためのスタンスとして、

自分の体がガンダムならば、ガンダムの操縦席(松果体位置でもある)で

指令を出す感覚になると良い、と聞いた。

ここからニュートラルに物事を捉えて、感情から距離を取り

自分の行動を指令して行くのだ。

 

手放しを進める度に、軽くなった世界を感じるが、

こびりついた執着も、自分と一体化した価値観も、まだまだ出るわ出るわ。

それでも、「我」を無くすということを、肌感覚で感じるようになってきた。

 

そして、「我」が無くなるとは、おそらくネドじゅんさんのように

自動思考が湧き上がらずに、魂の声だけを聞いて生活する状態なのだろうと

想像する。

 

 

 

私って操縦席だったのね 凝視びっくりマーク

 

そんなネドじゅんさんは、こう言われていました。

「この体は操縦席なのに、操縦席が操縦席に座っている」のが眠りの状態だと。

だから、もう「操縦席を本体さん(魂でも神でも)にあけ渡そう」と。

 

 

ガンダム操縦席から内観し、言動を本来の自分と一致するようにしてきた。

古い価値観や執着を手放し、我が宝を他人に譲るようなこともした。

それもこれも、次のステップに移る練習だったんだと、今になって痛感する。

とうとう、「我」が座り続けてきた操縦席までも手放すのだ。

 

 

アムロみたいにもうちょっと座っていたいな、と正直思いました。指差し

これこそエゴやん。えへ

 

 

先達が言う「神様、どうぞ私をお使いください。」の意味がやっとわかってきた。

「神様、どうぞ私を操縦して下さい」ということやったんやろう、と。

 

 

 

そして、アチマリカム

 

そして、山蔭神道八十世・表博耀さんが、当代で初めて明かす御真言は

 

昇天 アチマリカム「神様、どうかよろしくご統治ください。」

 

 

 

 

人間だけの力では立ち行かなくなった時にこの言葉を唱えよと、

神様から残された言葉

これを、この時代に初めて公開された意味を考えれば、

「我」をどこまで手放せばいいのか、ということが自ずと見えて来る。

良いことを教えてくれました。

 

 

日常生活の中で湧き上がる もやもやもやもや魂 を見つけては、

「我」が操縦してるんやなあ、と気づく今日でもありました。

 

が。もう観念して、朝な夕なに唱えておるんです 

 

 

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アチマリカム✖️31回

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気づきが長くなりましたが、お読みくださりありがとうございます。

みなさまのエゴはいかがお過ごしでしょうか。

今日もまた、互いに進化の一歩を歩めていますように。