どこから書いたらいいのか…
ハワイで家族旅行中
父が明け方滞在先のホテルで急な心臓発作により
みるみるうちに意識がなくなり、その瞬間心肺停止、、、気が動転する中、夢中で母が心肺蘇生法、わたしが救急隊を呼び、それを待つ間役割分担し、私は胸骨圧迫、母は人工呼吸を続けました。
この時のことを後で母に尋ねると、夢中であまりその時の事は覚えていないそう。
間も無く、ホテルに待機されてる救急隊の方が来て交代、それから数分で病院の方が来てAEDを2回使用。
私は、気が動転し泣きじゃくる母に、その音がなるべく聞こえないように、覆い被さるように強く抱きしめました。
それから、救急隊や現地警察に発作時の状況やその日の行動、父の健康状態などなどできるだけ細かく説明しました。
そのままワイキキから1番近くの救急病院に真夜中に搬送され、すぐ後をタクシーで追いました。
すぐにICUに入り、中でいったい何が起きているのか、容態の変化など全く解らないまま、寒い待合室の中でひたすら待ち続けました。
やっと立ち入りを許可され面会できたものの、人工呼吸器にたくさんの体に付いたチューブや点滴、浮腫んだ冷たい手足…
その姿を見たときの母の気持ちは痛いくらい察しがつきました。
わたしも同じ気持ちだったから。
それから数日間その状態が続き、なかなか人工呼吸器が取れず、、、
毎朝、気持ちを切り替えて、病院に行っては落胆する繰り返しでした。
そして、肺炎の併発。。
昔、父が肺炎で入院した時、医者から"次に肺炎になったら命はない"と言われた事が頭を過ぎり、さらに私達に追い打ちをかけました。。
倒れる日の朝まで、こんなに元気に二人仲良くしていたのに…
横で辛そうに頭を抱える母を見て、もっと強くならなければと本気で思いました。
正直、いつかはこんな日が来るかもしれないと、ここ数年自分自身に焦りを感じて過ごしてきました。
どんな事が起きても、対応できるよう人間的に成長して、両親のからより多くを学んで、地に足付けていこうと。
父は応急救護指導員をしています。
日々、ボランティアで、応急救護普及活動に励み、一般の方はもちろん、中学校や高校で講義や講習を行い、資格認定証を渡します。
わたしは小さい時から、父が人の命を救うところを何度も見てきました。
だけど、父もこの年齢にきた今、もし父に何かあったら誰が父を救えるんだろう…
こんなに人のために尽くしてきた父に何かあったら誰が救うのか…
そして私も父と同じ資格を持って、
誰が周りの人に何かあった時にただ見て何もできないような人間ではいたくないと思うようになった矢先、まさかこんな早くにその日が来るなんて…
もしも助からなかったら、今まで両親や自分への甘えからやるべき事を先延ばしにしてきた自分のせいだと強く思いました。
その反面、神様がくれた大きなチャンスなのかとも思いました。
奇跡的に父も快復し、精一杯病気と戦ってくれました!
幸い何の障害も残らず体重以外は元通りに!
どのドクターからも、直後の心肺蘇生法が功を奏したと言われました!
本人は一週間昏睡状態で何一つ覚えてないらしいですが。(^ν^)
今回のことで、さらに家族の絆が深まり、いざとなった時の応急救護の大切さを感じました。
常々から、父の知識があれば周りの愛する人に何かあっても、その命を助けることができると言っていた言葉通り、母は愛する父を救いました。
あの瞬間に、パニックになりながらも夢中で心肺蘇生法を行い、父の命を救った母に本当に感謝しています。