瞳をとじると


今でもはっきりと一年前の自分がいる

肩をびくびくさせながら

悲しいわけでもなく
辛いわけでもなく

痛みが伴うこともない


作品や映像に心打たれ
泣いているはずがない。


間違いなく自分の涙

頭をかかえて
泣いていた。



理由がわからない


わけではなかった。


泣き止みたいのに
頬には生温い
大粒の滴る液体が

止まらないまま流れ落ちていた


忘れていたのに

携帯の液晶なんてみなければよかった…


いつまで


いつまで…



脳内から削除させてくれない苦しさを

あと幾度、私は
味あわないといけないのかと思うと、恐怖と後悔の苦しみと共に


不思議と
心が楽になる

心がやさしくなれる

この世で笑っていてほしいと

あの日、優しくなれた時みたいに。


幻でも幻覚でもないのに


二十代前半の私をしっかりと離さなかった。

あれから、



七年



八年…



枕に顔をうずくめて


涙の本当の意味をさがした


リビングに母親が入ってきた音と同時に、ブランケットを頭まで被せて

ベッドに蹲りながら、
涙をふいて

鼻ですすり

すべてがグシャグシャだった。



去年一年間で30年分以上の涙を消費した


泣けないことが悩みでもあった私の涙腺がたるんで
一年が過ぎ

やっと涙腺などと
信じない

自分が確立しようとしている。






同じ季節がやってきた。


どの季節でも輝いていた。

輝やいていなくてもよかったけれど、

輝いていた時代を共に過ごせた事に

私は嬉しくて、うまく表現が出来なくて、


涙を流すという行為で
表現をしていたんだと
思う。


痛々しい部分も少なくはなかった。


むしろそっちのほうが多かったのに逃げずに立ち向かう姿を尊敬し

薄っぺらくない完成度が高い人間であることを

崩すことなく地に足がついていた。

全くブレずにいた。



未だに不満が見当たらないほどに真っ白な人間に
出逢えた自分に誇りがもてた。


今もその誇りは捨ててはいない。



8年という時間は短過ぎて
ゆっくり物事を考える時間は与えられずに
ただただ己のためだけに

がむしゃらに過ぎていた。


しかし、8年という時間は長すぎて、

昔の自分とは想像以上に
かけ離れている自分なのか

それとも変わりなく毎日を消費しているのか
自分だけ残されたままでいるのか

自分の事なのに
自らに問いかけてみても

答えはまだ出ない。






始まりの豪快なゴング



終わりの切ないチャイム


同じタイミングで重なった

喜びと哀しみの
どちらかが

私を左右し

つきまとい、幸福と屈辱の迷路に突き落とされて


あと、どのくらい

もがき
堪えて、前を向いて進むのか?

どんどん不安感はふくれ
冒険心が薄れる自分を
あえてみたくはない。



俯いて、眉間に皺が寄った分、


口角を上げて笑いたい。


幸せの余韻に浸りながら
明日を知らない

眠りにつきたい。



つぎの日の

空が見えなくても、


時計の針の音が聞こえなくても

手触りの良いものに囲まれていても全く感触が
わからなくても

笑い声が出なくても
歌が歌えなくても

反論ができなくても



いい日がいつでもいい

後悔はしないというか

後悔をほとんど
残さないでいたから。

足掻きようがない。



自らを自らで苦しめなければ、私にとっての一番の
喜びであり

望みでもあり。


産まれた時から
待ち続けている事だと知ることが出来てから


まだ一年は経過していない。


頭と心の中で何かが
終わり、はじまる胸騒ぎがする。


今年は涙を流してはいない。

去年の自分が理解し難い。


一年前と変わらないもの

この世の中で
最もおそれているのは
明日の自分自身

時には他人であり


時には自らを滅ぼすのは
自らであると気づいた時から、

終わりなき戦いの
日々の始まりのゴングが

予告なく


自分にだけ





小さく響く。