こんにちは、エリりんです。
今回函館に行った一番の目的は、、、
五稜郭に決まってます。
ええ。いまさらそんなの当たり前です。
土方歳三さんが最期まで戦った地を、
じっくりと見てこようと思ったのです。
私、若かりし20代の時に一度来ているのですが、
駅から遠くてすごい歩いたという記憶しかな・・・。
まだまだだな、若い頃の自分よ。
そして私、大きな勘違いをしていたんですが、
五稜郭は城ではなく、奉行所だったのでした。
えーっと、幕末にペリーが来て、
日本に開国しろと脅して、
幕府はしょうがなく箱館(当時)と下田を開港しました。
で、箱館に奉行所を造ることになり、
武田斐三郎という人が、
ヨーロッパの五角形の城塞都市をマネして
設計したのが五稜郭です。
お星さまみたいな形状だと、攻撃されたときに死角がなく、
敵に攻撃し返すのにもよいという、
まさに戦いを意識した設計です。
模型で見てみましょう。
手前に三角の出っ張り(半月堡)がありますね。
こちらも、防御のための陣地。
設計図によると、最初は五か所全部に
三角を造る予定だったんだけど、
なにかの都合で端折られたみたい。
もっと大きな雪の結晶みたいな形。
想像してみると、美しくて怖いですね。
三角の端っこはこんなふう。
忍者でも登りにくい武者返し。
三角の上はこんなふう。
腹ばいになって、土塁に隠れると、
外からは見えないんだよ。
すごいなあ、よくできてるなあ。
わりと最近再現された奉行所跡は、ピッカピッカ。
時代劇の殿様気分が味わえます。
さて、そんな箱館奉行所ですが、幕末に完成して間もなく、
大政奉還がおこなわれ、幕府はなくなってしまいました。
で、明治政府が箱館府を置いたのですが、
すぐに榎本武揚率いる旧幕府軍に占拠されてしまいます。
幕府海軍の偉い人だった榎本さんは、
五稜郭を本拠地にして、蝦夷共和国なるものを樹立し、
総裁になりました。
そのあと半年くらい、戊辰戦争最後の戦い、
箱館戦争が続きました。
五稜郭は、戦うための城塞として造られているので、
占拠しちゃえばこっちのもの、
みたいな感じだったのでしょうか。
というか、新しい国を勝手に造ったとか、
発想が突飛すぎるよ、榎本さん。
そんな榎本さんの旧幕府軍に参加してた、
土方歳三さん。
いちいち写真も銅像もかっこいいので、
人気がでるわけです。
ドラマにもなるわけです。
土方さん最期の地といわれている、
一本木関門の碑に行ってきました。
この関門を守るために戦い、馬上で撃たれたそう。
その6日後、榎本軍は降伏。
箱館戦争は終わりました。
土方さん、どこに埋葬されてるのか、
未だによくわからないそうです。
戦争中だからね。
ゴタゴタしてたんだろうしね。
誰かが隠したかもしれないしね。
う~ん幕末。
誰が正しくて誰が間違ってるのか
全然わかんないのだけど、
個人的に、本当に個人的には、
会津とか新撰組の方が好き。
なんか生き方が、かっこいいから。
そういや、昨年末に近藤勇さんのお墓に
お参りに行った記事があります。
あ、今日と同じようなこと書いてるよ自分。
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つづく